
個展会場と自宅の往復。毎日変わっていく景色を見るのも楽しみのひとつ。特に最近は、田園の色が急に黄金色になり、辺り一面が輝いています。新緑が光る時期もあるけど、収穫前の色も実に気持ちのいいものです。刈り取られる前の儚さ。こうした景色を楽しみながら走る車中で流す音楽も大切ですね。愛機のiPodTouch(2nd generation)の調子が悪いので(多分修理に出すと思う)、今は往復の時間を考慮し、CDを二枚選んでから車に乗り込みます。iPodに頼ってきた最近の僕なんですが、この二枚をササッと選ぶ作業が楽しい。買った時の場所、思い出、自分のおかれていた状況などがジャケットや盤面に刻まれている様な気がします。プレイリストで管理された音楽を、その場の気分で選ぶという行為よりも、感情を揺さぶられるんです。聴く責任感も自然と出てくる。しかも、シャッフルプレイはしないので、CDの冒頭から最後までを丁寧に聴く。たまに耐えられない曲を飛ばしたりしますけど。LP時代のアルバムをCDで買い直したものは、B面の一曲目に相当する部分が解るので、ちょっと気分が変わったり。LPというのは、ベスト盤などを除き、殆どの場合が大きな物語でくくられていました。まさにアルバムだった訳ですが、今の人は音楽と対峙する暇がないかも知れませんね。音楽を聴く人の姿勢が雑になれば、それに呼応する様に音楽を作る側も(無意識的に)雑な音楽を提供してしまうことになりかねません。あまり考えたくはありませんけど、音楽に限らず、そういう問題が表面化してきています。デジタル化社会、フラット化社会のこうした弊害は、鑑賞者側、消費者側の真摯な姿勢で、最終的には消え去っていくと信じたいですね。勿論、作り手側にも責任はあります。
















