
アジア大戦は避けられない?そんなムードになってきたのですが、実際はどうなんでしょうか。震災以降「声を上げることの意味」が深まってきている様に思います。反原発の運動も、なんだかんだ言って、実を結んでいると思います。原発は再稼働せず、夏の電力不足を乗り切ろうとしています。マンガ「はだしのゲン」の閲覧をめぐってもご承知の通りの流れ。原爆、戦争、残酷描写・・・そういった表現に対して制限をかける人が、最も危ないと、大衆の側が生理的に理解しているんですね。また鹿児島の身近な問題で言えば、伊藤知事が「ドルフィンポート跡に体育館を造ると言い出した問題」「上海線維持のために県職員を派遣した問題」「市立病院の人事を巡る問題」・・・これらがリコール運動にまで繋がり始めています。これが震災前の鹿児島だったら、もしかして見て見ぬフリのオトナが多かったのではと推測します。小さな問題であれ大きな問題であれ「それは違うんじゃないのか」と、真摯な態度で伝え続けていれば、それが大きなうねりとなって世の中を動かしていけると、みんなどこかで思い始めています。安倍政権になってしまったのは残念ですが、それがどんな政権であれ、監視し、賛成出来るところは褒め讃え、明らかに違う部分については違う違うと、ひたすら意思表明する。これが最終的には戦争を避ける手段なのではないかと思っています。黙っているのが一番怖い。そういう意味では、震災後、個人単位では確実にかわりつつあるのだと、希望を持っています。

























