11月14日。私が暮らす地域の中心的存在「永吉小学校」で図工の授業を担当させてもらいました。いろいろと考えた末に「デジタル表現をアナログで」という課題を与えてみました。色のついた1センチの方眼紙(5色分)を与え、方眼(グリッド)以外の部分でカットすることを禁じた上でキャラクターを数体作らせます。これが一時限目。二時限目は、大きな方眼紙を教室の前と後ろにある黒板に貼りだし、それぞれが作り出したキャラクターに関係性を持たせてみました。この時もグリッドに沿って貼り付けることを指示しました。途中から制御が効かなくなり、最終的には斜めに貼り付けられていたりしますが、まあこれはご愛嬌・・・。
僕はデジタルの恩恵を受けて生活していますが(もちろんみなさんも)、結局は「正確に情報を伝える術として優れているから」ということが一番の魅力なんだと思っています。永吉小学校の生徒には、授業の終わりに「この作品は紙としての寿命が来るけれど、どのグリッドにどの色が塗られているか、ということを記録しておけば、100年後にこの状態を再現できるよ」と言ったんです。果たして、どこまで通じたのか解りませんが、写真、音楽、絵画、テキストetc・・・全てを差別せずに受け入れているメディアっていうのは、やはりすごいことですよね。
Monthly: 2015年11月
図工の授業
公開目前
小学校6年生の夏に観た映画「スター・ウォーズ」は人生で最高のカルチャーショックであり、人生を変えた。(最も多感な、素晴らしい時期・素敵な季節に出会うことが出来た。)この映画がなければ今の自分はいないのだ(・・・そういう人は世界中に死ぬほどいるけどね。)もっと極端な言い方をすればこの映画がなければ今の文明はないとも言える。「SF嫌いだから私には関係ない」とは言わせない。今、ほとんどの人が目にしているCGも、元をたどればジョージ・ルーカスの特撮工房ILMから始まったものであるし、音響についても、業界標準のフォーマットはスター・ウォーズ・シリーズが生み出したもの。史上最高のクリエイター達が構築した世界・宇宙。もはや映画ではない。
最近、同世代の友人たちとこの映画について語る内容の軸というのは「発想がどれも斬新すぎて、最初は意味がわからなかった」というもの。そうなんですよ・・・何から何まで、全てが初めての体験だったんです。この感覚を今のフラット化された社会で若い人に説明するのがいかに難しいか。
7作目公開目前にして美術手帖が特集を組んでいます。
久しぶりに桜島フェリーに乗る
12月14日から始まる展覧会「EXPOレインボーin桜島」に急遽参加することになり、桜島へ・・・。舞台となるのは国民宿舎「レインボー桜島」。今年は火山活動が活発になり、警戒レベルが上がって大変な事態だったようだ。警戒レベルが下がった後も、おとなしすぎて逆に怖いという話を聞くし、実際、自分もそう思うことがある。風評被害という言葉を良く耳にするが、桜島の場合は実際に何度も噴火している様子を直接見ているし、ヴィジュアル的なインパクトもあるので「根も葉もない嘘」とは言い切れない悔しさがある。
今回の展覧会は、そんな桜島に足を運んでもらいたいという気持ちから、アーティストのますみつ三知子さんさから声がかかって企画されたものだ。桜島在住の画家・野イ忝宗男先生を中心に8名の仲間が集まった。果たしてどんな展覧会になるのか?
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写真上は、桜島フェリーの窓に張られているステッカー。キャラクターは僕が考えたもの、ロゴタイプは富永巧太郎さん。フェリーは方向転換を行わないので、往路、復路共に指宿方面は変わらないのです。
アサカツその後(後編)
そして今、何が必要か?ということなんですが、人口減少の問題は、自分たちが暮らす地域に限らず、日本全体の問題になってきました。人が減っても持続可能な社会を形成するためには、やはり人と人の密なコミュニケーションが軸になってくると思うんです。ここはもう確信を持って言える部分です。そしてこの感情の動きは、遅かれら早かれ、都会の人達もトレースせざるを得ない状況と言えるでしょう。世代や趣向が違う人達となるべく多く語る場を設けると、不思議なことに、地域が一つの生き物のように見えてくることもあったりします。
深刻な言い回しになってしまいましたが、アサカツの場で行なわれている話というのは、参加メンバーによってムードも違います。笑い話だけで終わることもあるし、地域の問題を真剣に話し合うこともあるのです。
皆さんも是非、一度遊びにいらしてください。
アサカツその後(前編)
5月から始まった「アサカツ」。5月から9月までは毎週水曜日の開催でしたが、10月からは土曜日にシフトしました。毎週、同じ構図の写真をFacebook上にアップしています。テキストはほぼ毎回同じ・・・「今日もアサカツ、始まりました。この後8時まで。どなたでも自由に参加できます」。早いもので、毎週休まず(僕は3〜4回欠席しましたが)もう半年続けたことになります。
今日行われた忘年会の席で、久しぶりに会った仲間3人から「アサカツって何やってるの?」と何度も聞かれたんです。みんな気にしてくれているんだなあ・・・と。何をやっているのか?とあらためてご報告しておきますね。まず、議題は何も決まっていません。住民の方々が顔を合わせる場を作っている、というのが軸に成っています。アサカツが行なわれている場所は街の中心地。かつては80店舗が軒を連ねていたという記録もあります。その当時からすると、街の規模はおそらく1/10になっており、もちろん、それに伴って住民同士が顔を合わせる機会は減り、商店街の体力も低下したわけです。(後編に続く)
働く場所・住む場所
鹿児島在住で、同業の後輩が数週間ほど、とある外国で試験的に生活するという話をFacebook越しに知った。以前からそんな話を聞いていたので「遂に実現か!」と嬉しい気持ちになった、羨ましくもあった。2007年に、僕も2週間ほどニューヨークに滞在した。MacBookがあったので、鹿児島の仕事、千葉の仕事、東京の仕事をホテルの一室で行っていたことを思い出す。そのうちの一つは、1GBを超えるファイルを送らなくてはいけないものだったが、ニューヨークの通信環境は、僕が暮らしている場所よりも格段に速かったのでサクサクと仕事が出来た。外国なので、当然、日々の暮らしをするには言葉の壁があったり差別を受けたりもする。しかし、部屋に入ってしまえばパソコンと向き合い、普段の仕事は出来るのである。短いニューヨーク滞在ではあったが、「どこででも仕事が出来るんだから、どこに住んでもいい」という確信が持てた。感覚自体は宇宙を彷徨うことが出来るという事実。そうなった時、やはり自分にとって最も意味のある拠点は鹿児島なのであった。
1day cafe
最近、稀に見る忙しさでブログの更新を怠っています・・・。今回は10月28日の出来事。香港料理で有名な「聚福園」のお二人がプロデュースし、ワンデイカフェと銘打って、私の暮らす地元・永吉商店街の2店舗を使ってちょっとしたイベントが行われました。伊達商店さんと、その横にある「date spot」=二箇所の空間は、鹿児島市内・日吉町・伊作などから珈琲店や雑貨屋さん、和菓子屋さん・・・が駆けつけてくれて、賑やかな場所へと様変わり!告知活動も不十分だったと思われるのですが、こちらが予想していたよりもはるかに多くの来場者がありました。あまりの楽しさに、僕も1日に何度も自宅とこの空間を往復することになってしまったんです。商店街の体力、ということで言えば、一番人口が多かった時期と比べて、おそらく1/8程度になっています。この先10年を考えると、果たしてどうなるのか?という心配は常につきまとっています。しかしながら、今回のような試みが定期的に行われることになれば、交通弱者と呼ばれる層には十分すぎるほどインパクトを与えることが出来ると思います。疲弊した場所を回る若い行商の方々も、もしかするとこれから先増えてくるかも知れませんね。地元の方々からも、定期的にやってほしいという声が聞かれ、いろんな可能性を感じる1日となりました。
久々に更新
この10日ほどブログをさぼってしまいました。自分には珍しく、抱えきれないほどの仕事があって分刻みでイラストを描いている状態なんです。この10日、何をしていたのか?イラストについては思い出せますが、その他の出来事についてはiPhoneで撮影した写真を頼りに記憶をたどっていくしかありません。この写真は・・・宮崎で仕事を終えたあと、早朝、宮崎駅に向かうところですなあ・・・。雨が降った直後で、逆光で、舗道が輝いていたんです。
抱えきれない仕事は、インターネット上で資料を検索しながら描くことが多いんです。誰が撮影したものか分かりませんが、世界のどこかに住んでいる誰かの行動が自分の役に立っていることを実感します。同じように自分が発信することも世界の誰かの役に立って欲しいと、切に願うばかりです。
フランスで同時多発テロが起きましたが、パリの市民や犯人グループ側とも、どこかで繋がっている筈です。フランスで核実験が行われた時に、日本ではワインの不買運動が起こったことがありましたね。あの感覚では生きていけない。昔とは違う世界、善悪で語れない複雑な社会だから、今こそ信じたい性善説・・・。
第40回宮崎市美術展
第40回宮崎市美術展の講評会を終えてきました。終了後、スタッフの方々、運営委員の方々、審査員の方々と懇親会が開かれました。僕が座ったテーブルでは真剣に「これからの宮崎市美術展はどうあるべきか?」というテーマを軸に話題が広がり、二次会、三次会と夜中の1時まで話題は尽きませんでした。すでに40回を数える美術展ですが、やはり常に新しい価値観や若い世代の受け皿にならない限りは衰退してしまいます。まずは、全員参加型の文化祭的な美術展にしていくのか、それともある程度のクオリティを設けて文化度の向上を図るか?といったことに始まり、宮崎をテーマにしている作品が少ないがどうすれば良いのか?という話(サーフボード部門を設けたら?というアイデアも出ました)、そして、宮崎市の中心で行われる展覧会ですが、限界集落で暮らすような方々や、マイノリティの声を拾いあげるためにはどうすれば良いのか・・・などなど話題は多岐に渡りました。美術を通して出来ることは沢山ありますが、行政側に何かを期待するのではなく、出品者が自ら作り上げていくのが最も近道なのではないかと思っています。結局のところ、行政側というのは観客動員数を指標として、展覧会の価値を図らざるを得ないのです〜逆に言えば動員数の少ない美術展を短絡的に「税金の無駄遣い」と決めつけてしまう市民の側にも責任がある訳ですよね。審査は2年連続で担当させていただきましたが今年で終わりです。遠距離ですが、宮崎のいろんな方と触れ合えたので、これからの動向が気になる展覧会になりました。
まだまだ「美術」というと小難しいイメージがあるのでしょうか?ブレイクスルー出来る何かを一気に仕掛けるのは大変だと思いますが、徐々に市民の側から意識を高めていくことが何よりも大切だと感じています。