
1976年1月9日〜1月11日。伊集院に住んでいた母方の祖母が亡くなったことが記述されています。小学校3年生だった僕の自宅にはまだ電話がなく父の職場(「ゆうせい」という表現)から連絡があった様です。父は電話が大の苦手だったと思われ、小学校6年になるまで自宅には電話がなかったんです。僕が人一倍、遠距離の人とコミュニケーションしたいという理由は、おそらく「電話が当たり前でなかった家庭」という環境に起因しています。この後、中学校2年の時の父方の祖父の葬儀、そして1990年、自分の父の葬儀に至るまで、東京から鹿児島へ出向くことになります。お墓から離れて暮らすことの不条理さも人一倍感じていました。父のこと・・・ある部分に関しては尊敬していますが、反面教師だった部分も同じような割合で混在しています。それにしても「トライスター」という飛行機は懐かしいですね。

























