Monthly: 2016年4月

date 2016.4.1
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1976年の俺(2)

illustration ©ohtematic

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この博文館日記。特色として「製本=一年つけても傷まない特別の製本資材=いずれも一生保存できる特選資材」と書かれてあります。確かに40年経過した今でも特に劣化した印象はありません。黄色いページに自分のイラスト?が描かれていますが、これは田渕幸一(阪神タイガース)をモチーフにしたものだと思われます。背番号が220となっているので、(田渕の背番号)22に0を足して、未来の田渕幸一を表現したのでしょうか。父が阪神タイガースファンだった影響で、自分もそのまま阪神ファンでした。東京だったら巨人ファンではないのか?という疑問があるかも知れませんが、実は巨人は全国区であり、東京ローカルのチームにはなれなかったことが今でも問題視されていると聞きます。西東京で育った自分の周りには、川崎球場=大洋ホエールズのファン、神宮球場=ヤクルトスワローズのファンが多かった記憶があります。
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装丁や中面のイラストは、深沢邦朗氏のものです。恥ずかしながら存じ上げない方ですが、素晴らしい絵を描かれています。水車の絵の脇に、僕が勝手に貼り付けた潜水艦の絵がありますが・・・これはどこから持ってきたのか思い出せません。「もぐり号」という名前が何とも微笑ましいですね。

date 2016.4.1
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オーテマティック生誕50周年企画。1976年の俺(1)

illustration ©ohtematic

過去の自分に頼るのはあまり好ましくないんですが(特に、昔自分が描いてきた作品の発表)、さすがに1976年、40年前の小学生の時代まで遡るのは問題ないでしょう。というわけで、1976年時に書かれた自分の日記を不定期的に公開していきます。10歳の時、突然父が博文館の小学生日記(写真)を買ってきて「これから日記を書け」と言ったんです。父の言葉のニュアンスは忘れてしまいましたが、何故か「やらなくてはいけない」と感じ、それから大学2年くらいまで、ほぼ毎日日記をつけていたんです。ある時は、日記の存在による「就寝前に今日を振り返る」行為が果たしていいことなのか悩んだこともありました。しかしながら40年も経ってしまうと、こうした日記が今の自分の骨肉になっていることが確認できます。そして、こうしてブログ記事を書き続けることができるのも、日記をつける習慣があったからなんだろうと思います。日記もブログも、基本的には自分のために書いています。しかし「誰かに見られる」ことを、どこかで配慮している。その境界線は40年間いつも曖昧です。(100%自分に対しての表現というのは、この世にあり得るのでしょうか)自分は東京育ちですが、鹿児島市内に比べれば随分と田舎で育ちました。草野球、釣り・・・3年生時の日記を振り返ると、今の子供達よりも外を使って遊んでいたことがわかります。スターウォーズでカルチャーショックを受ける2年前の自分の行動を振り返ります。タイトルは「1976年の俺」。