
「エピソード7」は全てのファンへの気遣い、次世代への継承がテーマになっていたと思う。結果として良くも悪くも「ベスト・オブ・スター・ウォーズ」の様な仕上がりになっていた。
対して、この「ローグ・ワン」は、自分の様な1970年代後半から80年代前半に思春期を送った世代への贈り物という性格が非常に強い。誰しも、意識/無意識の境目なく、中学生から高校生にかけての数年で吸収したもの、影響を受けた文化が生き方のベースになっていることが多いと思う。なんだかんだ言って、その後社会人になってから出会ったものというのは、そのベースの上澄み液の様なものだ。
ガンダムファンの間では「ファーストガンダム原理主義者」と言われる人たちがいるそうだ。いろんな後発ガンダムシリーズが作られていく中で「最初のテレビシリーズを上回る何かは創出されていない」という価値観がそこにはある様だ。自分はガンダムのことは殆ど知らないけど、充分納得できる感覚だ。
スター・ウォーズシリーズにおいても、同じ意味で原理主義者は数多い。1977年(日本公開は翌年)の一作目のカルチャーショックを上回るものはない。技術が進んで、特撮の時代からCGIになって合成のアラがなくなったり、画面の情報量が格段に増したり、映画としての密度やクオリティは、間違いなく1977年よりは高まっているのである。しかし脳内にもたらされた衝撃については、小学校6年の、あの夏がピークなのである・・・
(鳥のひなが、最初に見た動物を親と思う感覚とほぼ同じと考えてください)
「ローグ・ワン」は、物語については、前半、特に整理されていない印象を受ける。初日に家族で観に言った自分は、劇場を出た時に「つまらなくでゴメンね」と言う決意を中盤で意識していたほどである。しかし、しかしである・・・後半の畳み掛ける様な演出によって、涙が止まらなくなってしまったのだった!「タメ」がかなり効いていただけに。結局、劇場を出て家族には「ローグ・ワン、やべえ・・・やべえ・・・」と放心状態の感想を繰り返す始末。
何が「ローグ・ワン」の魅力なのであろうか・・・それは原理主義者にとってのファースト・インパクトに帰結するアレ、アレ、アレ・・・に他ならないのだった。スター・ウォーズの世界の原風景をもう一度観られたという喜び(言い方を変えれば自分の人格が形成された瞬間に立ち会えるという驚き)。そして、この世界に帰属してきて良かったという純粋な喜びなのである。
































