「昨日の川内原発に係る住民説明会で、県民は(再稼動についての説明を)理解したこととする」
本当にそれでいいのでしょうか?
質疑応答後、壇上に上がって会場の皆さんにメッセージを伝えていた方からメールをいただきました。以下、全文ではありませんが転記いたします。
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県の原子力安全対策課に、今回の説明会でアンケートを取らないことについて電話しました。
今回の説明会の位置づけは、
「前回の5会場での説明会の補完として、住民から多かった意見について説明するため。だからアンケートは取らない」
つまり、今回は県民の意見を集約して、県として再稼働の判断の材料とするために開催するというわけではないということです。
それは、今回の説明会が終わったら、
県として「住民に対する説明は終了する。県民は理解したこととする」
という意味です。県議会の判断手続きに入るということです。
ぼくは、質問でマイクをもらって「説明会の延長、あるいは再度開催」
をお願いしようとしていました。しかし、叶わなかった。
説明会が終わる=「ぼくたちが理解したことになる」
のは、なんとかして避けたい。
ですから、物理的に説明者が帰るのを止めるために上がりました。
ひとりなんで、すぐに排除されるとはわかってましたけど、
もうそれ以外は思いつきませんでした。
もっと圧倒的に大多数の人が、
ポーズだけじゃなく、いっしょに止めてくれたら、
見える絵も違うし、実際に変えられるんですが、
難しかったです。
他にあの状況をどうすればよかったのか、
ぼくはわからないのです。
どうすればよかったのか、実際にいい方法があったら、
教えてくれるだけじゃなくて、実現して欲しいです。
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以上です。
みなさんの一人一人の力が必要です。どうぞ宜しくお願い致します。
Monthly: 2014年10月
川内原子力発電所に係る住民説明会@伊集院文化会館 続き
川内原子力発電所に係る住民説明会@伊集院文化会館
住民の希望に沿った形で行われた追加の説明会に出席して来ました。予定されていた時間を1時間オーバーし、質問が打ち切られた後は壇上に来場者が上がって警備員に取り押さえられるなど・・・物々しい雰囲気に。質問者の誠意ある「命について、自然についてどう考えるか」という種類の問いに対して、未だに低コスト(違うけど)などの経済的論点で受け答えする九州電力(ようやく登場)や国、県の偉い人たち!の回答が対象的でした。持っている言葉が違う、こちらは生物言語、向こうは経済と科学のデータ。どこまで行っても説明には納得できません。
(いつも映画「アバター」の構図を思い出してしまいます)
今回も空席が目立っており、鹿児島県民の関心の低さが露呈された格好になってしまいました。若者も極端に少ない。再稼動阻止に向けて、これから鹿児島の知性が問われます。NO NUKES KAGOSHIMA!
speed
gallery INDIVIDUAL
宮崎二日目。不思議な場所に行ってきました。その名も「ギャラリー インディビジュアル」。インディビジュアルという言葉は、常に意識しているので、どのような経緯でこの名前になったのか、オーナーであり作家でもあるM氏に聞いてみようと思ったのですが、今回は敢えてその話はしませんでした。この日は子供の絵画教室の展覧会が開かれており、たまたま在廊していた先生と話をする場面も。ギャラリー、とは言っても、一筋縄ではいかない複雑な間取りになっていて・・・奥の方に談話室的なオフィス、うるし工房、ガレージ風の工作室などが併設されています・・・。M氏の作品は、前日にiPad上で見せて頂いたのですが、なるほど、こうしたセンスから作り出されるものなのか!と妙に納得。こうしたセンス、というのも説明しづらいのですが、フェラーリのロゴが入った大型トレーラーを所有していたり、無造作に積み上げられている書籍のセンスがもの凄かったり。そのほか・・・敷地に面した場所の小屋で作業をしているおじさんが鳥を飼っていて、餌を与える様子を丁寧に説明してくれたのが印象的でした。とにかく・・・映画に出てくるような不思議なセンスで取り囲まれていたんですね。工房の一角に、予備校時代にお世話になったH氏の肖像写真が飾られていてびっくり。この方もそういえば宮崎のご出身だった!写真が飾られているのは「サボりなくないから、偉大な先輩にいつも見つめられていたい」という・・・純粋な理由からでした。
宮崎へ
何故か第39回宮崎市美術展の審査の仕事が回ってきて、「特急きりしま」に乗って宮崎に出かけてきました。鹿児島中央駅から宮崎駅までは約2時間。九州新幹線が開業してからは、福岡よりも時間的には遠い場所になってしまいました、でも2時間くらいが丁度いい距離なんだと思います。
宮崎の街の中心にある「みやざきアートセンター」がその舞台。今年の春「生頼範義展」を観た、あの場所・・・。
宮崎に住む仲間たちと(初対面の人が多かったけれど)美術について語ったんです。みんな、熱い。ものすごく真面目に(いい意味で)美術を追求しているアカデミックな方々が多いことに驚かされました。自分が帰属している世界はデザインの現場なので、例えばポップカルチャーとしての美術(側面ではない)を伝える役割があるんだなあと、対比概念として自分のことを客観視した次第・・・。
そんなことはさておき、鹿児島で暮らしていて、宮崎から声がかかるというのは光栄なこと(地元からの審査員は敢えて選出していないとのこと)。「九州はひとつ!」改めてそんな気持ちも抱いたひとときでした。
永吉の未来について語る
本ブログやFacebookで、僕の暮らしている地域の問題点について微弱な電波を発信し続けていたら、感度の高い方々から反応をいただくことが増えてきた。ここで言う反応というのは「具体的な行動」のこと。
今回は、永吉の未来について行動してくださる方(お二人)と一緒に、近所を巡った。「まさに、宝庫のような場所・・・宝が沢山眠っている」という感想を頂いた。さすがに、15年も暮らしている自分にとっては、モヤがかかって見える場所も出てきた。しかしながら、こうした新鮮な意見を聴くと、移住してきたばかりのことを思い出して勇気付けられるのであった。
自分の身の回りのことなんだけれども、日本全体が抱えている問題でもある。思慮深く、なおかつスピーディーに動いていけたらいい・・・。
ボードゲーム
台風が来ると言われていた日、子供三人と「人生ゲーム」を楽しんだ。僕が小学生の頃のヴァージョンと比べると、差別表現などがなくなり、設定が変わっている。ルールそのものはそんなに変わっていないと思う。
その流れで「モノポリー」も導入。このゲームは、小学生の頃、友人宅で良く遊んだもの。所有するのは初めて。コマ(写真上)は昔のままで嬉しい(おじさんのキャラクターが3DCGに置き換わっているのは残念だけど)。グラフィックも素敵です。子供達は訳も解らず、鉄道会社を買ったり不動産を買ったり・・・。今のところは自分が銀行役で、全体を見ないと進められない状況なんですが、友達同士でできるようになると楽しいかも。せっかく友達たちと集まっても、テレビゲーム(と言わないのかな)ばかりのご時世。テレビゲームは、自分にとっては消費者感覚での参加意識が強くなってしまい、どうも馴染めない。ボードゲームの方が、雰囲気に流されずに、頭を使うと思っています。
仕事のこと
震災以降は日本の気持ちが「大量消費型社会」から「小さな暮らし」へとシフトしていると、何度かこのブログでも発言しました。ここに来て、自分の中で考えを整理しなくてはいけない事がいろいろと出てきました。シフトしているからと言って、作り手の意識までも小さくなる必要はないんじゃないかと!・・・というのは、スケール感の小さな、小ぢんまりとした、かわいらしい、シンプルで、オシャレなモノを作る人たちは沢山いる。良い事だ。しかしその一方で、小さな取り組みでも世界的なスケールに向かっている「何か」も確実にある、それをビジュアル化する準備は出来ているのか!と・・・。
自分が影響を受けてきたものには、夢や未来というものがあった。シド・ミードの絵をずっと眺めていた、あの頃。小さな暮らしを実践しつつも、大きなスケール感のイラストが描ける様に日々訓練しておこうと思った次第です。
ゆーゆーフェスタ@鹿児島市交通局
鹿児島市交通局が施設を開放するお祭り「ゆーゆーフェスタ」に出かけてきました。毎年、行きたい行きたいと思っていたのですが、ようやく念願がかないました。しかし、・・・この場所は閉鎖されてしまうので、ここで開催されるのは今年が最後。鹿児島大学の近くに新しい施設が出来るとのこと。
ご覧の通り昭和の香りが立ちこめている素敵な場所。周りから取り残された様な建物や独特の空気があって、ファンは多いのです。僕も3年ほど前に、鹿児島の市電をテーマにした作品展を2回ほど開きました。あの時は交通局のフェンスに登って何枚か資料写真を撮った記憶があります。
こうした古い場所は、やはり消え行く運命なのでしょうか。このまま一部を改装して、市電公園にするとか・・・?いろんな使い道があると思うんですけどね。
友人の個展に出かける
「描くよろこび」という個展のタイトルがスゴイ!その友人は、実年齢よりも10〜20年、進んだ行動をとっている。関西から随分前に移住してきて、農業体験も豊富。美術系なので絵も描く。その絵が、良い意味で老成している。ちょっと畑が違うのではないかと思われる美術展にも出品したり、消防団で出張に行ったり!と、先が読めないところもある。今回、個展会場で二人きりになったので、どうしてそのような行動を取るのか、思い切って聞いてみた。答えは意外にもシンプルなもので「カウンターとしてやっている」との事だった。何に対するカウンターなのか、対象は様々なのだろうが、何となく気持ちが解った。そして、自分よりも年上の集団にいると気が落ち着く、とも。それで自然と行動が10年進んでしまうのだろうか、なるほど・・・。僕も地元の会議では最年少である場合が多いけど、確かにそうかも知れない。若い人の考えていることは、だんだん解らなくなって来た。自分に出来ることを見据えた上で、しかも軽々と行動している彼の存在に刺激を受けたのだった。