イラストの仕事・・・自分のイラストが掲載された雑誌は1ヶ月で次の号に変わり、キャンペーンのポスターの寿命も2〜3ヶ月?そう長くはないんです。新陳代謝が激しい世界なので、新しいイラストを描く需要があります。画家のペースとは違って、じっくり作品に取り組むというよりは、考える間もなく、年に数百枚を仕上げて生計をたてているイメージ。もちろん「寿命が短いから力を抜く」訳ではなく、誰にでも長く愛されるスタンダードな画風を目指しているわけです。
そんな中でも、マグカップのデザインは、月刊誌とは違って物理的に長く残る仕事です(割れない限りは)。写真は1990年頃、東京・国立にあった雑貨屋さん「kit kit dizzie」で取り扱われていたもの。アナログの時代なので、もちろん、色毎にトレーシングペーパーに描いて入稿していました。まだ駆け出しの時期だったから、このカップを見ると、自然と「初志貫徹」という言葉が浮かんできます。あの頃、自分にチャンスを与えてくれた大人の方々・・・・・・ありがとうございます。
Monthly: 2015年1月
マグカップの思い出
ヤマ文明(5)
山で木を切り倒し、さらに裁断し、自宅の敷地まで運ぶ作業・・・。二宮金次郎のように焚き木を背負う姿は、昔はどこでも見られたのかも知れません。彼は、どんな本を読みながら歩いたのかわかりませんが、今だったら、きっとiPadを手にしながら・・・でしょうね。僕は、薪作りの達人から「マストバイ」と言われた4輪カートを素直に導入(5000円くらい)、みかんケース(ひとつ400円程度)をふたつ重ねて運んでいるのですが、確かにこれは楽です。丸太の状態で自宅敷地内まで運び、そして斧でカコーンと割ります。山への往復と薪割り作業で小一時間、いい運動になりますが、トレーニングジムのように会費もかかりませんし、しかもエネルギー自給が出来ます。こういうスタイルを合理的というのではないでしょうか〜
10年・・・
1/26、長男の10歳の誕生日だった、最近では「半成人式」という言い方もあるそうだが・・・。
長男が10歳になったということは、僕も父親になって10周年だ。それまでは、子供の立場として世の中を見ていたが、自分が親になったことで、すべての風景がガラリと違って見え始めたことを今でも鮮明に記憶している。世の中は「大人と子供」ではなく「親と子供」で成り立っているのだと、初めてしった。ナイーブな問題なのだが、敢えて書くと、少子化で減るのは子供ではなく親なのである。また、先輩から半信半疑で聞いていた「自分が家族を持つようになると、世界の家族を愛せるようになる」という言葉も、急にリアリティを持って、自分の前に現れた。
親として、子供たちに何が出来るのか解らない。偏りなく、いろんな体験をさせたり、情報を与えたりするのがいいのだろうか。自分が偏った人生を歩んできたので、その点は自信がない。しかしながら、おかげさまで、ひとまず10年の区切りを無事に迎えることができた。
Do androids dream of electric sheep (@ the royal scam)?
2015年の年賀状です。
アンドロイドは幻想の摩天楼で電気羊の夢を見るか?
今年の年賀状のやりとりもひと段落ついたので、イラストの解説をさせていただきます。まず、この構図・・・これは1976年、スティーリー・ダンのアルバム「幻想の摩天楼」のジャケットをそのまま取り入れたもの。オリジナルではそれぞれの高層ビル群の最上階部分が猛獣の顔になっており、寝転んでいるキャラは、ホームレスの様な佇まいをしています。摩天楼は、英語ではスカイスクレーパー(空を削り取る奴?)と呼ばれることも多いそうで、擬人化〜猛獣に例える手法はスティーリー・ダンの感性とピッタリ。僕は、この状況を〜(1)浮浪者→アンドロイドに(2)猛獣を羊に〜変換しました。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」はフィリップ・K・ディックによる有名なSF小説で、映画「ブレードランナー」の原作としても知られています。僕に限らず同世代のクリエイターで「ブレードランナー」の影響を受けていない人は、まずいないでしょう。映画の中では一角獣(ユニコーン)が羊の役割を果たしており、主人公リック・デッカードが一角獣の夢を見て、自分も(仕事上で敵対している)レプリカントなのではないかと疑う印象的なシーンがあります。
「幻想の摩天楼」についての話もしたいのですが、また、次の機会に。
本記事のタイトル(c)Dr.Hammer
公民館での反省会
永吉地区公民館で、地域振興イベント事業の反省会が行われました。今年は、これまでの行事に加えて「史跡巡り」「宝探しサイクリング」そして「歳の市」に鹿児島県からの予算が充てられました。
実算書を見ながらいろいろと話が進められたのですが
「いつも地域のイベントを手伝う人材が限られている、他の人にも出てきてもらわなくては」・・・という意見も出てきました。
これは、日本全国のいたるところで起こっている問題だと思うんですが、予算が充てられたときに、プールは認められず、住民は「使いきる前提」で行事やイベントを計画します。そして驚くことに、何かで利益を上げようという姿勢が、そこにはない(場合が多い)んです。動いた方々は結果として疲弊してしまう。
もう、地域の人だけで地域を動かすことが困難になっていると思います。みんなで出来る事業を立ち上げて、収益を上げて・・・自主財源で何かを回していくアイデアが求められている段階です。そして地域外の人の協力も必要ですね。予算を使って、それ以上の何かを得られなくては、地域の未来はないのでは。
やはり、「どのような地域になりたいか」という大きな目標が足りないと感じられる反省会でした。
変わる伊集院駅2
毎週、一度は鉄道を使って鹿児島市内に行くようにしています。みんな、自家用車が便利だというけれど、運転すればするほど、歩く距離は短くなり、足腰は弱るわけです。年を重ねれば当然、交通弱者になってしまいますが、その時に階段を登れる体力が残っているのでしょうか。
伊集院駅、今、こんな状態です。えきなかビジネスが出来るような場所ではないけれども、工事は相当大掛かりです。北側から南側に行くためは、今まで地下道を経由した遠回りのルートしかありませんでしたが、この歩道橋の完成によって便利になりますね。エスカレーターやエレベーターはあるのかな?既存の駅舎のリニューアルは歩道橋に比べると全く見えない状態です。
上坂元均個展「グッバイ・テレビ」
薩摩川内市隈之城にあるイラストレーション専門のギャラリー「U1 SPACE」において、上坂元均くんの個展「グッバイ・テレビ」が開催されています。松本さん×ナガオカさんのトークを聴いたあと、高速道路を飛ばしてオープニングパーティーに出かけてきました。
上坂元くんは、数年前にタラデザイン専門学校のイラストの授業で知り合いました。最初から個性が確立されており、こちらが何を言っても「自分の作風に課題の内容を寄せてくる」というタイプでした。物静かで、実際にほとんど口を開かないキャラクターなんですが、絵の内容は饒舌で、未来とミリタリーと土木とオヤジを結びつけるような世界観が新鮮でした。
今回の個展も、80年代にタッチ式のチャンネルが初めて搭載された頃のテレビフレームが主役になっています。画面に映し出されるものと言えば「引き続きマルサの女をお楽しみください」とか「藤あや子迷惑駐車で大パニック」といった独特のセンスで、不思議な世界が広がっています。
会期は31日まで。お早めに〜
カゴシマ トーキョー 断片
かごしま文化情報センター(KCIC)の主催する 「カゴシマ トーキョー 断片/出版記念トーク/地域 ≡ デザイン/松本弦人×ナガオカケンメイ」に出かけてきました。松本さんがナガオカさんの取り組みについて、DEPT(そのほか文化屋雑貨店やCISCO)といった80年代の東京で起こっていたことと繋げて話をする場面は面白かった。「バブル期ちょっと前=昔の東京の風景」と「今の不景気下=地域の状況」は全く違うものであるかと思いきや、同じ構図で語れるんだなあと思った次第。また、ナガオカさんの「デザインという言葉が(デザイン家電やデザイナーズマンションに見られる)マジックワードの様に使われているのではなく、デザインと呼べないものをデザインと呼べるようにならなくては」という話も、何度か違うカタチで耳にしたことはあったと思うけど、納得のいく話であった。
昔からデザインをやっている人たちは、デザイナーという仕事にもデザインという言葉にも、どこかで疑いを持ち始めている。ここのところ、ずっと・・・。キュレーションされたものしか目に出来ず、それをオシャレと勘違いして群がり、模倣し、結果として短命なデザインが氾濫することに懸念を抱いているからだと思う。地域性を自分たちで漂白してしまう。若い人は自分の審美眼や哲学を経験から生み出すことがしづらい世の中だ。ナガオカさんは、鹿児島大学の学生に「篭ることが必要」とアドバイスし、松本さんは「デザインは徹底的に見ないようにしている」と言った。とても重要なことだと思う。
***
お二人の行動は、結果として地域を編集してしまっている訳だけど、それはお二人とも勿論確信されており、松本さんが何度も「功罪」という言葉をナガオカさんに投げかけていたのが印象的だった。結局のところ、お二人のような孤独で角の立ったクリエイターが鹿児島から立ち上がれる時代にならないと、いつまでたっても鹿児島は独自性を見出せなないまま都会の人に頼ることになるのであろう。
活動拠点のデザイン
(日置市吹上町永吉における)地域活動の自由な団体「動く永吉」の活動拠点を作ろうと、随分前から模索しています。やはり、小学校に隣接した商店街を何とかしたい。これから交通弱者が増えていくために、車ではなく歩いていける距離で買い物を済ませられるように、10年後、20年後を見据えての取り組みです。これまでのハコモノ行政の様に、作ってしまってから維持管理が大変になってしまうとどうしようもない。いろんなことを考えて慎重になっています。少なくとも、そのデザインにおいては、表層的な意味ではなく、みんなが関わって作ったという姿でないと。多くの公共施設は知らない間に税金が投入されて、市民の与り知らないところでデザインも決定されています。愛着がわく建物ができるわけがない。プロの方に任せる部分はもちろんあるでしょう。しかし、それ以外の部分は、実際にみんなで体を動かして活動拠点を作りたいと考えています。