Monthly: 2011年3月

date 2011.3.30
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21世紀の残り90年をどう生きるか?(7)

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昨日、東京からとある文化人の方がお見えになった。「東京って何なんだろう?」と、印象的に語っていた。僕は移住を勧めた。話を聞くと、東京では今回の震災も「最悪の事態を乗り切った」というムードがあり、東京を離れる人の事を「いくじなし」と呼ぶ風潮もある様だ、ごく一部の現象かも知れないが。こんな事態でもまだ原発を必要とする都民は半数以上いるというから、いかにマトリックスの様なヴァーチャル世界なのかが伺い知れる。連日、ネット上で動画を見て、放射能に関する悩みは当分続くであろうと確信している。やはり、広瀬隆氏のインタビューには説得力がある。鹿児島も原発を抱えているから(その部分については)諸手を挙げて迎え入れる様な場所ではないかも知れない。ただ、今現在放射能の心配はないから、友人には「日置市で良かったら物件を本気で探す!」と連絡をしているところ。「人のために何が出来るか?」という言葉がここのところ目立つ様になってきているが、自分にとっては、今は友人に声をかけずにはいられない。キレイごとではなく、まずは自分のためにもそう言わざるを得ない状況。「オンザウェイジャーナル」において町田徹氏は、西日本への民族大移動が不可欠なのでは?と語っていた。被災者だけではなく、何事もなかった人たち、特に子供を抱えている家庭には本気で考えて欲しい。「仕事がない」というのが、移住して当面の悩みになるかも知れない、しかし、もし職を持っていたら会社の上司に「遠距離・在宅勤務」が可能かどうか相談して欲しい。僕はこの12年間、それをテーマに暮らしてきた。きっとうまく行く。イラストレーターだから出来たのではない。そう考えているから出来ただけで「一般的な事務職ほど可能性は高い」とさえ思う。ビデオ会議も出来る。頭の柔らかい社長なら「支所がひとつ増える」といった感覚で社員を放り出して欲しい。今、日本人の知恵を一極集中から多極分散型へ、エネルギーだけでなく、人材もスマートグリッド型へ配置し直さないといけない。物件、本気で探します!

date 2011.3.28
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東京の、美大生。@maruya gardens(garden 7)

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武蔵野美術大学、東京芸術大学の学生によるグループ展「東京の、美大生。」が、マルヤガーデンズ7Fのgarden 7で行われています。
既に自分とは二世代も離れている後輩。どんな考えを持っているのか気になり、ムサビ時代の同級生西田建一氏と、ちょっと後輩の花田理絵子氏と突撃してきました。この三人は、今年から新体制としてスタートする武蔵野美術大学校友会・鹿児島支部の執行部でもありますので、どんな様子なのかと興味津々で訪ねた次第。このグループ展、どうやら故郷鹿児島を愛するあまり、どうしても在学中に鹿児島で開きたかったという事で実現されたそうです。こういう動きって、初めてなんじゃないかな?「鹿児島にいても東京の仕事が出来る筈です」とか、おせっかいにも卒業後の進路をアドバイスする新鮮な場面も。作品はビデオや油絵、日本画、インスタレーションなど多岐に渡り本ブログでは語り尽くせませんので、是非会場に行って確かめてください。写真は巨大な◎◎◎◎◎◎です。30日まで。

date 2011.3.27
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21世紀の残り90年をどう生きれば良いのか?(5)

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首都圏に住む弟家族や友人に「鹿児島に越してきて欲しい」というリクエストを送り続けている。これは、震災前から、ずっと。だけれども話を聞くと「なんとかなるさ」と、震災後も楽観論があるように受け取れる(サンプル数が少ないけれど、少なくとも自分の周りでは)。おそらく、首都圏に住む殆どの人は、今回の事態を冷静にみつめて、我慢し、そして何事もなかったかの様に乗り切ってしまうのではないかとさえ思う。人間って強いな。日本そのものが変化を迫られているし、変わらなくてはいけないと感じているが、このままでは、危険な話が感動悲話にかき消されてしまうムードだ。
今回、東京の先進的な会社の社長から応援メッセージを頂いたので記しておきたいのですが、首都圏にオフィスを構える比較的身軽な会社は、資産価値ほぼゼロの限界集落と呼ばれる様な場所に、社員の住宅も含めて移転してみては?私が暮らす日置市もそうですが、全国には平成の大合併以降、フルに活用されていない公共施設が沢山ある筈。そういう場所を首都圏からのベンチャー企業などに提供してはどうでしょうか。軌道に乗ってきたら立派な社屋も構えられる筈。何しろ土地が安いですから。「志を果たしていつの日にか帰らむ」と歌われたふるさと。昔は「都会で一旗揚げて、故郷に錦を飾る」というのがワンセットだった、ところが今では一旗揚げたまま都会に定住。バランスが崩れている。もしあなたが本当の投資家だったら、トレンディな1億の物件を2億にするのではなく、誰も振り向かない様な資産価値のない土地をゼロから耕す努力をして欲しい。写真は、一坪1000円で買ったオーテマウンテンにて撮影したもの。山には無限の可能性がありますよ。
昨日、近所でも「入荷未定」と、水が売り切れているドラッグストアがあった。おそらく都会に住む息子や親戚に送っているのだろう・・・。

date 2011.3.26
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U1SAPCEファイルコンペ/特別賞受賞者展

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薩摩川内市隈之城にあるギャラリー「U1 SPACE」で行われている「U1SAPCEファイルコンペ/特別賞受賞者展」に出かけてきました。今回は特別賞を受賞した3人によるグループ展となっています。写真はギャラリーで販売されている江夏さんのzine。空港をテーマとしています。

江夏潤一
1979年鹿児島県生まれ。2002年鹿児島大学卒業後、フリーのイラストレーターとして、CM/広告/書籍/プロダクト等幅広く活躍中。
雰囲気を作れるイラストを心掛けている。

山下瑞音
1985年神奈川県生まれ。桑沢デザイン研究所卒業後、現在に至る。
空気感のあるイラストを心掛けている。

野間千恵
1990年宮崎県生まれ。佐賀で育ち、高校時を鹿児島で過ごし、現在、佐賀大の美術工芸課程デザイン科に在籍。
人物画を得意としてるが、文章のかたまりや背景にとけ込む様な、イラスト(挿絵/装画)を目標にしている。

江夏さんは、幅広く活躍されているので特に鹿児島県内ではご存知の方も多いと思いますが、山下さん、野間さんは県外からの出品でした。
三名とも、個性は違いますがモノクロームの世界で、しかも新しい世代が持つ絵画に対する独特の意識を感じる事が出来ます。脱デジタル?
ギャラリーはいつもと違った雰囲気に包まれています。是非お出かけください。

date 2011.3.23
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400

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「400」という文字をテーマにしたスケッチ。未来の住宅かな?

date 2011.3.23
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21世紀の残り90年をどう生きれば良いのか?(4)

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今回は鹿児島から見た今回の震災について。震災が起こった翌日、九州はこのCMを見てもらえば解る様に「ひとつ」になろうとしていた。九州新幹線の全線開業、東海道新幹線に遅れる事40数年、これは悲願であった。だが、その出ばなをくじかれる様な格好で、予定されていた記念式典のほぼ全てが中止となった。博多駅の上空ではブルーインパルスが桜の花を描く計画もあったとか。震災のタイミングというのは、いつが良くて、いつが悪いという性質のものでない事は十分承知だ。しかし、何故?何故あの日に?という真実に、何かしら意味付けをしたくなってしまう。いや、意味を持たせなければいけないのではないか。九州の場合は「これからの発展について慎重になる様に」とカミサマに釘を刺されたんだ。結局のところ、日本人の多くは「もう一度、文明を疑う」という気持ちでいると思う。原発はもちろんのこと、普段の生活で享受している文明の利器、その全てを疑う。こうやってブログを書けることは、信じていい文明だと思いたいが・・・。薩摩川内市で計画されていた川内原子力発電所三号機の建設は設計から見直す判断が下された様だが、この手の話題はすぐに忘れ去られてしまうのではないかという恐怖もある・・・。当事者意識を全ての国民が持たなければ、今回の教訓は活かせないだろう。

date 2011.3.20
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21世紀の残り90年をどう生きれば良いのか?(3)

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いずれにしても、これからは国民一人一人が、巨大なシステムに頼るのではなく(あるいは無意識的に頼らざるを得ない状況から)、目に見える範囲で成り立つ「小さな生活」を心がける事で変わって行くと思います。ひとりひとりが自給自足出来る社会を目指せば、日本はガラッと変わって行くでしょう。というより、本来の農耕民族としての誇りを取り戻していくでしょう。小さな生活では、税金の無駄遣いも限りなく減ると思います。自分にとってはそれが21世紀型だと思いますし、成熟してから行き場を失った日本の指針になると確信します。
鹿児島も原子力発電所を抱えていますし、新燃岳の噴火などが続いており自然の厳しい場所ですから油断は出来ません。ただ、新しい生き方について考え、それを実現出来る場所に移住出来たという点において、私は随分と救われているのです。

date 2011.3.20
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21世紀の残り90年をどう生きれば良いのか?(2)

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では、具体的にどうすれば良いか?私は「国民ひとりひとりが、自分のエネルギーと食糧について可能な限り自給自足を目指す」という結論です。「個人レベルで完全循環型を目指して生きる」という言い方が出来るかも知れません。東京から鹿児島に移住してからの12年間、私はその軸を基本として生活する様に心がけてきました。お米を作ってもらったり、井戸水を復活させたり、太陽光発電を取り入れたり((本ブログの関連記事(1)(2)(3)(4)))。ここで重要なのは「オール電化」にしないこと。電気は止まる事がありますから、常に予備の選択肢を持っている事が大切です。鹿児島ではガスでも薪でもお湯を沸かせる浴槽が人気です。

「エネルギー」
・エネルギーについて、地域ごとに、自給自足出来る環境を目指す
・首都圏は、エネルギーを自給出来る様にする。世界一の省エネ都市を目指す
・マンションや戸建てを新築する場合、太陽光発電装置などの設置を義務づける
・原子力に変わる太陽光、風力、波力エネルギーのシステムを開発/普及させる

「食糧」
・自給自足出来る人に税制での優遇を
・自由な発想と競争力を持った若者の農業従事者を増やす

「人口問題」
・限界集落と呼ばれる場所、過疎化する地域へ首都圏から移住を促進させる
・首都圏の人口を減らす(1985年レベルに
・単身世帯の人は、家族のもとへ戻る(あるいは兄弟、友人、恋人と暮らす)
・核家族の家庭は、祖父母を受け入れて大家族へ(あるいは祖父母の暮らす実家へ戻る)

「仕事」
・企業は在宅勤務制度を取り入れ、仕事を保証した上で社員をふるさとへ帰す(本ブログの関連記事/ハイブリッド・スタイルとは何か

「情報」
・すべての地域に光通信網を! NTTのビジネスが成り立たない地域は、現在見放されています。私もADSL開通までに7年間苦労しました。(((本ブログの関連記事(1)(2)(3)))
・情報リテラシーを高める
・高齢者が災害時に簡単に使えるパソコンやスマートフォンの開発など

date 2011.3.20
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21世紀の残り90年をどう生きれば良いのか?(1)

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今回の震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
被災された方々やご親族の方々には一刻も早く通常の生活を取り戻して欲しいと願っております。
救援活動やボランティア活動で働いていらっしゃる方々、どうも有り難うございます。

3月11日の東北地方太平洋沖地震以降「ブログで書くべきこと」が脳内をグルグルと巡り、結果として何も吐き出せずにいました。今日から少しずつ書いていこうと思います。ベースとなっている考えは、本ブログで2005年にお伝えした「幻想のスロウ・ライフ」です(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)

地震、大津波。これは、人類の英知を結集しても防ぐ事の出来ない天災です。ただ、今回の原子力発電所の問題については、私たちが選んだ(半ば強要された?)「日本のあり方」ですので、これから先の暮らしで「果たして必要なのか」という選択を出来るだけ早い時期に決断しなくてはならないと思います。被災地の方々が放射能で悩まさせる事は、今後あってはなりません。これは単なるエネルギー政策だけの問題ではありません。

今回の地震は、これからの日本を考える上で様々な課題を残しました。なかでも、首都圏(あるいは都市部)と、地方(本当は田舎と表現したい)の関係性が浮き彫りになったと言えるのではないでしょうか。昔の日本は、農業従事者が多く、就労地域と生活地域がほぼ一致していました。お父さんが昼間も地域にいる状態、ですね。ところが高度経済成長のシステムの中で、父親に「通勤」というスタイルが生まれ、お父さんが地域に関わる時間が極端に少なくなっていった。通勤ラッシュの問題が発生。出身地域から出勤するのならまだマシですが、引っ越しして核家族を形成〜父母は地域に残すスタイルも増加。ここでは「子育て」が「孤育て」に変わるという問題も発生してきます。
また、一般的に、地方の視点で見ると、小中高と地域で育て上げた子供を首都圏の大学に出すのは珍しくありません。ここまではまだいいのですが、そのまま子供が首都圏に定住してしまう事も問題になっています。私の父はこのパターン。結局、投資して育成された人材が、そのまま首都圏に吸い取られてしまう構図です。会社もしかり、工場は田舎にあるけれども、本社はブランド力のある東京に置く。こうなると、工場のある地域で雇用は確保出来るものの、法人税などが東京に納められますから、税金の問題でも東京が有利になる。これに疑問を感じて「ふるさと納税制度」が生まれましたが、雀の涙といったところでしょう。
いわば、勝ち続けるゲームの様な状態の上で成り立っているのが首都圏ですから、潤うのはあたり前です。人口減少の問題を抱える日本にあって、未だに、年間10万人の人口が増え続けている(その分、田舎からは人が流出し続けている)。食糧自給率と少子化の問題が加速したのは、国民の中で都市指向者が増えている事とセットになっているんです。東京はスタイリッシュな街ですから、子作りをするムードではありません。居心地がいいので単身世帯も多い。今問題になっている節電。究極の方法は大家族がひとつ屋根の下で暮らす事なのではないでしょうか。
そして、最も問題なのは、今回の様にエネルギーと食糧を地方に依存していること。
首都圏では、どんなに地味に、ストイックな暮らしをしようと思っていても、自宅まで運ばれるエネルギーと食糧の問題(いわゆるフードマイレージ)において、相当な負荷がかかっています。そういった普段見えないリスクが、今回の震災で表面化したと言えます。
こうした首都圏と地方の関係性を見直し、再構築していく事が、これからの90年、21世紀の日本を作り上げる上で大変重要だと考えています。

date 2011.3.12
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東北地方太平洋沖地震に関して

東北地方太平洋沖地震、想像を超える被害状況で、何と言葉をかけて良いかも解りません。
本日、九州新幹線全線開通の日なのですが、記念式典やそれに関するイベントも次々と中止が発表されています。先日、このブログでお伝えした、私がイラストを担当したポストカードの配布も中止となりました。
私に出来る事は限られていますが、本日、明日はお約束通り、マルヤガーデンズでの展覧会に出向いてお客様と接することに努めたいと思っております。