Monthly: 2011年4月

date 2011.4.18
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21世紀の残り90年をどう生きるか?(9)

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4月16日に地元の公民館で行われた「平成23年度永吉校区歓迎会」。僕も今年から小学生の父親になったので初めて出席してきました。今年度から永吉小学校に転入されてきた先生方を迎えての約2時間〜会費千円で飲み放題食べ放題。父兄や学校関係者だけではなく、地域の方々がまんべんなく出席していた様な印象で、公民館の会議室はかつて見た事もない程の人で溢れていました。永吉という村は、昭和の合併時(1955)に伊作町と合併して「吹上町」になり、また平成の大合併(2005)では伊集院、日吉、東市来と合併して「日置市」になりました。合併を重ねるごとに「町の外れ」になってきていますが、かつては町の中心に位置していた歴史のある永吉小学校だけあって、住民の結束力は固い地域だと言えます。当日、会場でお年寄りから「子供は地域の宝」というお話も聞きました。当たり前の言葉なのかも知れませんが、実際に、今でも小学校に対する期待を持ち続けて、会場に足を運ぶというのは並大抵の事ではないと思うのです。ただ、こうした潜在的な力があるにもかかわらず、全校生徒は48名(複式学級を含むので4クラス)という小さな学校になってしまいました。
今回の震災を受けて、地域と学校のつながりが見直されようとしていますが、モデル地区として全国の人に見てもらいたい雰囲気でした。ただ、こうした様子というのは記録されにくいし、ブログでも伝えにくいんですね。
今、コンパクトシティ構想という考え方があって、街の中心部に主要な施設や住宅を集める動きが目立ちます。日置市でも、合併後市役所の周りが賑わいを見せてきました。勿論、良い面もあるでしょう。しかし本当の弱者はどうするのかと言った問題は解決出来ない筈です。田舎にも市営住宅を造って住民を増やす考え方もある様ですが、定住を促進させるためには、古民家を安くで買い上げて市がリフォームする方が安上がりですし、都会の人の期待に応えられると思うんです。都会の人は、わざわざ田舎で集合住宅に住もうとは思わないでしょうから。田舎にあって都会にないもの、或いはその逆を補充し合う。311以降の価値観は、そうした複雑なパズルを比較的簡単に組み上げていくのでは?と期待しています。自分も出来る限り発信していきたい。それにしても、こうした問題に立ち向かう専門家はいないんでしょうか?都市計画を勉強している若い人(数名の顔が浮かんできます)たちとか?
***
4月17日には、その小学校の前で年に二回だけ開催される「木市」に出かけてきました。昔はしょっちょう市が立っていたらしいのですが、こうした歴史も僅かに残っています。サクランボとイチジクの苗木を買って、早速庭に植えました。枯らさない様にガンバロウ。

date 2011.4.14
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スポーツって素晴らしい。

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小学校三年生の時だったと思う。国鉄職員の宿舎が近所に出来た事に伴い、転校生が沢山入ってきた。その中のひとりが、僕たちの遊び方に異を唱えて「野球をやろう」と言い出した。それまで、どんな遊びをしていたのか思い出せないが、球技と言えばドッヂボールしかやっていなかった。その転校生は、真剣に僕たちに野球のルールを教えてくれた。今考えると、新しいコミュニティに馴染むために、必死だったのかも知れないな。彼の努力は実り、みるみる野球は流行った。僕たちのクラスは男子だけで20名以上はいたので、9人対9人で放課後に試合をすることが出来た。場所は、隣町との境にある空き地を勝手に使っていた。その前に住む友達が太平洋クラブライオンズのファンだった事もあって、空き地には「平和台球場」という愛称がつけられていた(その子が場所取りをしてくれていたので、敬意を払っていたんだと思う)。誰の持ち物か解らないその空き地は適当な広さがあり、周りにフェンスが張り巡らされている。ホームランを打ってフェンス越えをすると、空き地の奥にある会社のガラスを直撃する。丈夫なサッシだったと思われ、軟式なので「パリン」と割れた事はなかったが、会社で働いていた大人に怒鳴られる事もなかった。隣町の知らない小学生達が、この空き地に目をつけて場所を取り合いになる場面も。しかし、そこは小学生同士の知恵で乗り切り、自然と対抗試合をすることになる。当然、自分のチームで参加出来る人数は半減するが、そこも小学生の知恵で、野球が得意でないヤツにも民主的にバッターボックスに立たせたりした(ちなみに僕はその当時プロ野球選手になろうと思っていた!)。人数が足りないときは、逆に強いヤツが裏表参加したり、ある時は野球好きのおじさんが入り込んで、勝手に審判をしてくれたこともあった。誰にも管理されることなく、子供同士が知恵を出し合いこのような放課後を過ごしていた。日が暮れたら家に帰る、そんな毎日だった。
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長男がこの春から全校児童48名(うち1年生は12人)の小学校に通っている。日置市では様々なスポーツクラブがあり、どんなスポーツをさせるべきか迷う(今すぐなのか先延ばしなのか)。日程を見てみると週に3-4日という本格的なクラブも結構ある。親にとっては有り難い事なのかも知れない。しかし前述した様に自分の小学生時代を考えると、子供同士で「自主的に遊び方を探る時期」というのは大切だ。本人が無意識的に「自由」を体感出来ると思う。学校と部活漬けで社会に出てしまえば、自由な時間をどう過ごしていいのか解らなくなるのでは?実際、退職後に何もする事が見つからないお父さんの多くは、こうした過去を持つのではないか。或いは就職が出来なくて自殺してしまう学生も、システムやルールをはみだした経験がないのではないか。
若いうちに、出来る限りはみだした方がイイ。
いずれにしろ子供の数が少ないので、僕が経験した様な「放課後の自由な野球」は難しそうだ。

date 2011.4.12
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なんかイイ・・・

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何か、狙っているんだろうか。それとも天然でこうなったなんだろうか。そういう意味では看板自体も天然記念物だよなあ。
あんな事、こんな事が頭の中に浮かんできます!
(店内では「イッシー音頭」が流れていました。最近、うちではヘビーローテーションなのです。)

date 2011.4.10
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クロニクルを回想する

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2006年にタカプラで行われたグループ展「クロニクル展」。5人で戦後60年を12年ずつ担当し、その年に起こった最も印象的な出来事をイラストで表現した。僕はたまたま1986年のチェルノブイリ事故を描く事に。当時は「余計な事をしてくれたな」と、当時のソ連を冷ややかな目で見つめる雰囲気があった。勿論僕もその一人だった。今、日本もそういう風に見られているんでしょうね。ただ・・・これは楽観論かも知れないけれど、あの時よりも、地球上のみんなが協力しあっているムードがある様な気がします。だからと言って油断は禁物ですが。
以下は、展覧会時の記事をそのまま転載したものです。やはり80年代後半から「世界は狂った」んですね。
***
1986年 ソ連・チェルノブイリ原発事故発生
原子力発電所の悲惨な事故。目に見えないエネルギーであるが故に、粗末に扱ってしまったのではないかと思う。放射線がせめて血の色をしていれば、取り扱いに注意を払ったのではないか、そんな思いで描いた。この事故で大量の周辺住民が死亡したと伝えられているが、正確な数は公表されていない。周辺住民は高濃度の放射線汚染により居住が不可能になり、約10万人が移住を余儀なくされた。人類はますますエネルギーを必要としている。果てしない欲望のつけを、原子力に頼っているのが現状だ。
(追記)
展覧会の会場は、間仕切りが一切なく、60枚の作品を一度に体感できる空間になっていました。時代の流れを意識してもらおうと、カラーテレビが登場する以前の作品はモノクロで統一。そういった意識的な演出とは別に、会場をぐるっと見回すと、80年代の後半から世界が狂い始めた事が実感出来たんです。

date 2011.4.9
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俺も選挙に行きたい

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鹿児島でも明日、県議選だ。しかし悲しいかな、僕の暮らす日置市区では定数2に対して候補者2、つまり無投票当選だ。こんな地区が鹿児島にあと5区もある。議会制民主主義が機能してないとも言える。選べない恐怖。候補者二名の事を非難するつもりはないが、何故、もう一人出ないのだろうか。政治を勉強している若い人が、こういう地区を敢えて狙って飛び込んで来るというシナリオはないのか?(選挙が行われない地域は、危険な施設が誘致される危険性も高まる。)いや、それ以前に、こんな時期に選挙が行われる事も怖い。
今日の午前中に、アンダーズハイ次号に向けて井原先生と対談をした。本ブログで先日連載した「21世紀の残り90年をどう生きるか?」がテーマだった。やはり、ひとりひとりがきちんと政治に関心を持つこと、身の回りで起きそうな事に目を配ること、そういう時間を意識的に作ることの大切さも対談中に出てきた。
三権分立も大切だが、311移行は政治と経済を分離する必要もありそうだ。無理?

date 2011.4.8
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個展の準備など

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4月29日から5月5日まで、マルヤガーデンズ7F「garden7」にて個展を開きます。「ライト・レール・トランジット延伸版」というタイトルで、昨年10月にギャラリー「U1SPACE」で行われた展覧会を更に掘り下げてお届けする予定!やはり、鹿児島市内に出かけると市電の事が気になって気になって困ります・・・。あっと言う間に世界中に広がった「禁煙」の輪は、喫煙者にはお気の毒でしたが、この次の世界的な流れは間違いなく「市電とそれに伴う中心市街地の活性化」です。車社会は徐々に後退していきます。鹿児島ではあたり前の交通手段として親しまれている市電ですが、最近ではもっと未来的な意味を持っています。先日、鹿児島中央駅前が「消費者としてしか佇む事が出来ない」という様な僕の発言が新聞に載りましたが、ではどうするのか?と言えば、「夏は蛾が舞う様なミステリアスな場所」になれば良いと本気で思っています。日射のきつい鹿児島で、あの広場は別の活用のされ方がある筈。そんな訳で前回の「ライト・レール・トランジット」ではアミュプラザ・フォレストと名付けて蛾を飛ばしました。今回はどうなるのか???妄想膨らませ中。
また、5月31日から6月5日までは「28TH 2011年む展の時間」という、いつもの展覧会が催されます(@鹿児島市立美術館)。今回も実行委員長を務めることになり、この準備も進行中。また、6月7日から13日は、東京・銀座のバートックギャラリーで久々にグループ展に参加します。この書籍の出版記念展です。よろしくお願いいたします。

date 2011.4.6
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デザイン ん

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この4月からNHK教育で始まった「デザインあ」。やられた感の強い番組でしたね。・・・それに対抗するかのごとく、こんなものが出現しましたよ!
鹿児島は最南端らしく「ん」からスタート!っていう事で、これはスゴイな〜って事で、思わず車を止めて撮影、撮影・・・。結局、何のお店か解らなかったのですが、これも宇宙の入り口ですねきっと!

date 2011.4.5
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宇宙教室だっ!

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鹿児島市某所で「宇宙教室」を発見しました!地味なエントランスが、逆に何かを隠している感じがします。ホーキング博士の別荘かも知れないし、或いはカール・セーガンの蝋人形が置かれているかも(宇宙についての知識が乏しい事を露呈してますね。この二人しか知りません)!手前の灰皿は、どこかに指紋認証リーダーが隠されており、どうにかするとトビラが開く仕組みになっていると思います。
行ってみたいなあ、宇宙の教室・・・。先生がモーリス・ホワイトだったりして・・・広がるなあ妄想が!

date 2011.4.3
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21世紀の残り90年をどう生きるか?(8)

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早い人は、既に移住を始めています。本ブログにいつも書き込んでくれる方からの情報ですが、例えば建築家の坂口恭平氏は、「GoogleもIKEAも本社を関西に移転したらしい。ソーシャルネットワークを駆使している人間は動くことを恐れない。土地と固まっている人間は動くことを恐れてしまう。その違いが今この瞬間如実に現れてきている。」と語っていますし、ご自身も熊本に拠点を移されたとの事。また、これも本ブログに書き込んでくれる方から「ゲーム業界でもフリーの作家は関西、九州に避難している」とコメントがありました。避難や疎開、といった言葉が目立ってきている様にも思いますが、ここは「未来の日本のために、前向きに動く」という考え方でないといけないのではないかと思っています。
「移住するポイント」を書いておきます。
これは、もし現在首都圏にお住まいで、自分のルーツが西日本にある方の場合は、親戚や知り合いを辿るのがベストですし、当然、そうなると思います。自分の祖先の記憶が、周りの住人の脳裏にわずかでも残っているのであれば、本当にラッキーです。僕の場合は、これに相当します。昨年夏に行われたGNJでも、岡本仁さんと、まさにこの事についてのトークショウを行いました(本ブログの関連記事・是非読んで!)。
田舎に住んでいると、今回の震災で見えてきた部分というのが明確に解るんです。何が原発容認型社会を形成しているのか?という事が。移住するポイントの二つ目は「最近出来上がったコミュニティはなるべく避けて欲しい」ということです。これはうろ覚えなのですが、以前、沖縄ブームがあった時に、首都圏からの移住者がコミュニティらしきものを形成しつつあるという話を聞いたんです。そうなってしまうと、意味がない。高度経済成長期に後回しにしたもの、失われたものを、現代のスタイルで復活させるというのがこれからの日本のテーマだからです。ですから、僕は「集合住宅を避ける」「新興住宅地を避ける」といった部分が重要だと考えます。集合住宅は、個人の自由度が薄くなる。自然エネルギーを取り入れようと思っても、反対する家庭がひとつでもあれば実現出来ない。また、新興住宅地は、似た様な年齢層、家族構成で成り立っている場合が多く、多摩ニュータウンなどの例で見られる様に、一気に住宅地、住人ともに老化してしまう問題を抱えています。また、多様な大人の姿を見られないために子供の夢の幅が狭くなるとも言われています。ついでに液状化現象の起こる確率も高い。
僕が恵まれていたのは、昔ながらの集落に移り住めた事です。長老や自治会長さんの顔が見える。昔ながらの風習も残っている(関連記事)。何故、こんな社会になってしまったのかという問題の一番の原因は、上司の言う事は聞くけれどお年寄りの話は聞かなくなったからだといえるでしょう。つまり、それまで「社会」だったものが「会社」になってしまった。経済効率や利便性だけのレールを進んできてしまった。ですから、以前にも書きましたが、若い方は是非、限界集落と言われている場所に積極的に移り住んで、独居老人の方のお話を聞くところから始めてほしいんです。2005年に、東京空気というWEBサイトTVの取材で「東京は頭脳で、田舎は手足のようなもの」と発言しました。限界集落は、その中でも指先、足先の毛細血管の様なところなんです。こういう場所が壊死したために、日本の動きが鈍ってしまった。頭でっかちのオシャレ野郎では、もう通用しません。早く、動いてください!