千座の岩屋・浜田海水浴場!ここは日本じゃないですね。人生で初めて、海をエンジョイしました。ここで育てば、本当に自然にサーファーになれるんだろうな。羨ましい。唯一残念だったのは、海の家でサザンが流れていたこと。鹿児島にも良いアーティストは沢山いるのに・・・
Monthly: 2011年8月
種子島の海
種子島のau取扱店
機種変更しようと思ったら「入居者募集中」でした。今まで見たau取扱店の中で一番カッコイイです!
種子島の旅行代理店
恥ずかしながら、種子島に初めて行ってきました。この旅行代理店、「新幹線」「ロケット」「トッピー」「航空券」と、何やらモノスゴイことになっています・・・。流石、種子島・・・宇宙センターがあるだけに、月旅行のチケットも売ってるんだな〜と思っていたら「ロケット」という高速船のことでした。
レトロフト近くのヤドカリ
機能を覆い隠してお洒落にするよりも、むき出しの方がよりお洒落に見える典型的な例です。それと繋がっているのかどうなのか、結果としては「ヤドカリの目」ですね。モゲラとか、ああいった時代の怪獣を連想する方も多いかも知れません。
公共交通機関を使って職場まで行く
最近、いろんなところで「車社会の終焉」についての発言を繰り返しているので、公共交通機関のみでタラデザイン専門学校(週イチで授業を受け持っている)に出かける事にした。最寄りのバス停までは徒歩3分。授業は11時20分からだが、8時56分の伊集院駅行きのバスに乗車。これに乗ると、9時27分に伊集院駅に到着し、鹿児島中央駅行きの9時31分発の電車に乗れる。中央駅着は9時51分、そこから専門学校までは徒歩で10分程度。一時間以上も前に到着してしまうが、これ以外の選択肢はない。約1時間半の道程。自家用車ならDoor To Doorで1時間弱で済む。鹿児島に来てからは自家用車に乗る機会が増え、その分歩かなくなり、また読書量も大幅に減った。電車の中では雑誌や文庫本を読むのが普通だったから。鹿児島で足腰の弱いお年寄りを見かける機会が多いのは車社会だからだろう。公共交通機関を使う事によって失われる時間は「読書の時間」と「ウォーキング」に充てられると思えば有意義だ。エコでもあるし。あとは、運賃410円(バス)と360円(電車)をどう捉えるかであろう。ガソリン代だけ考えれば自家用車の方が安い。しかし自動車にかかる税金や保険、車両代などを考えればむしろ鉄道の方が安くつく筈である。
問題は・・・このバス停の時刻表だ(写真2枚目)。ストリートアートなのだろうか!まったく機能していない。首都圏では許されない事態だが、それだけ利用者が少ないのであろう。これは、イマ風に鉄道への連絡も含めきちんと表記する事で利用者増に繋がると思う。黙って自分で作って貼り付けようかな!
誰もいない
吹上浜、夏休みに入っても誰もいない・・・みんな室内でゲームでもしているんだろうか。そうえいば大人は夏休みじゃないのか。平日のこの時間帯に出かけられることが異常なんだよな。遠くに見える二人組は、最近東京からこちらに越してきた友人です。とりあえず、最初に案内する場所です。
著作権の問題など
イラストレーターの仕事を20年以上に渡って続けている。作業に対して然るべき対価を得られる状態が続いているからだと言える。どれだけの人たちにお世話になっただろうか。名刺の数だけで言うと、3000人程度だと思う。僕はこれまで美術団体に所属した経験がないから、当然、著作権についても自分で管理してきた。最初は良く解らなかったが、見よう見まねで、或いは「イラストレーション」などの専門誌を読んだりして徐々に身に付けてきたと言ってもよい。基本的には「出版社や広告主側」と「制作者側」の誠意で成り立つものだと思っている。大きな仕事になれば、契約書をまず交わす。こちらの制作するものが、他の人の著作権を侵害しない事を保証するというのがルール。盗作が発覚した場合「出版社や広告主側」は多大な損害を被るし「制作者側」は志の低いものとして潰されるのが常識となっている。また、先週は「過去に僕が表紙を担当した書籍が電子出版される」事について、やりとりがあった。出版社側は、電子出版に関する新たな原稿料は派生しないという姿勢だった。原稿料について「通常二次使用料を頂くことにしている」という話をしたところ、出版社側も真摯に受け止めてくれ、支払われる事になった。電子書籍化については、これから細かいルール作りが決められていくと思われるので、ひとまず、こうした状況をきちんと報告してくれた事に感謝している。この不景気下で生き残りをかけ、出版・印刷業界は必死だし、僕の様なフリーランスも勿論同じ状況だ。そういう時代なので、今回の様な連絡をもらうたびに、自分が著作権で保護されている事を知るのである。日本での歴史は、アメリカの制度が下敷きになっており、1952年にレイモンド・ローウィーがアサヒビールのパッケージをデザインした際、デザイン料として320万円を支払った記録が残っている。細かい契約内容は解らないが、先人達が築き上げてきたルールの上に、僕の仕事も成り立っていると言える。そうした歴史を知らずして「知人だから、ただで」という風潮がまかり通れば、中国の様なパクリ文化、素人文化の下敷きが自然と出来上がり、世界から笑われてしまう結果となる。自分に厳しくなければ、結局は生活出来ない。国の文化レベルも下がる。どうか、若いイラストレーターの方々も著作権にはきちんと目を向けて欲しいし、二次使用料などの交渉はしていただきたい。主張する権利は当然ある。ここでいわゆる「買い取り」をされてしまえば、そのうち世の中に流通する全てのイラスト自体がフリー素材に成り下がってしまうからである。長い目で見ればイラストレーターという仕事はなくなってしまうだろう。
また、法律問題を抜きにしても、職能として、自らの技術を磨く事に専念し「腕一本で生活したい」という創作意欲自体が、このままでは萎える危険性が出てきている。
先日から話題になっている「カオスラウンジ」や「pixiv」の著作権に関する騒動は、僕が日常的に意識している問題とは真逆である。彼らの目的はそういうシステムを破壊する事だったのか?単なる意識の甘さなのだろうか。