Monthly: 2012年1月

date 2012.1.11
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南日本新聞「南点」を振り返る(04)

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昨年、南日本新聞に掲載された「南点」(全13回)を振り返ってみようと思います。約800字という制限の中で言いたい事が伝わったのかどうか。読み逃した方々へ向けて、全文と補足説明を本ブログで紹介していきます。
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就職「しない」活動のススメ

 私は1990年に大学を卒業した。就職には困らなかった時代。浮かれた世間に馴染めなかった私は「入社したら人生終わり」という考えの下、単位は2年生までに取得、残りの時間は全て「就職しない活動」に充てた。作品ファイルを持って様々な企業や尊敬する同業者を回った。「こんな仕事がしたいんです、こんなイラストを描いています」と必死だった。アルバイトをしながらイラストの仕事を徐々に増やしていき、完全に独立出来たのは28歳の時。それまでは親戚から「30を過ぎると公務員になれないから、そろそろきちんとした方が」とアドバイスを受けたこともあった。「絵では食えない」というのは一般論、しかし実際に動いているから人からは、そんな話は聞かない。
 入社したいという学生は、この不景気下で増えている。大企業や公務員が相変わらずの人気の様だ。しかし年功序列や終身雇用制は既に崩壊。公務員も減る。ついでに、完全失業率という数字で豊かさを図るセンスも終わりだ。
 職能を獲得する機会は無限に作り出せる。しかし教育の過程で、或いは 友達とゲームや部活をやっている間に「原始的な閃き」「自分の根源的な力」が減衰してはいないだろうか。若い時ほど、敢えて孤独な時間を設ける事が大切だ。
 入社試験を50回受けるエネルギーがあれば、自分がやりたい事をファイルにまとめて、いろんな人に可能な限り話を聞いてもらったら?100人に会えば、1人が協力してくれるかも知れない。私が学生の頃にはパソコンはなかったが、今ではネットで海外と仕事を始める事も可能だ。既得権益の指定席はもう満員、キャンセル待ちするより空席を探す方が遥かに創造的だ。操縦士になってもいい。
「きみは一人じゃない」という甘い言葉が巷に溢れている。しかし、独立や起業を目指す若者が増えなければ、日本は旧態依然としたままであろう。

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追記

1月6日に批評家の井原慶一郎さんと「仕事」について対談をする機会があった。井原さんの提案で、西村佳哲著「地方で生きるということ」をベースにしながら話を進めていった。僕のような自営業者は、様々な人の協力がないと成り立たない。そういう方たちへの感謝を忘れずに、なおかつ、甘えてはいけないという事を肝に銘じながら働く必要がある。原子力エネルギーに代わり、何を選択していくのか?という話もこの日に持ち上がった。大きな仕組みとしての代案を待つよりも「自分で何とかしよう」という行動、「少なくとも家族の分は」という単位が積み重なることが大切になってきていると思うんです。鹿児島には「仕事と彼女、自分で探せ!」という名コピーがありますが、「仕事とエネルギー、自分で作れ」という局面を迎えたのではないでしょうか。

date 2012.1.11
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焼き芋・・・

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ここのところ、ストーブで焼き芋を楽しむのが日課になっています。中年というよりは初老の領域に入った気分。昨年、親戚の家で収穫したお芋です。これが、死ぬ程美味しく焼ける〜!部屋を暖めてくれて調理までしてくれ、たまにピヨピヨ〜とホイルの隙間から焼き上がる音がしたり・・・という訳で、何だかこのストーブがR2-D2(こんなサイト発見)に思えてきた、そんなシーンはないんだけれども。

date 2012.1.10
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南日本新聞「南点」を振り返る(03)

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昨年、南日本新聞に掲載された「南点」(全13回)を振り返ってみようと思います。約800字という制限の中で言いたい事が伝わったのかどうか。読み逃した方々へ向けて、全文と補足説明を本ブログで紹介していきます。
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太陽とみどりのくに

 「思ったよりも都会だね」と、初めて鹿児島を訪れた友人に何度か言われた事がある。これは、どう考えても褒め言葉ではない。私たちが無意識に作り上げている街は、日本中のあちこちで見られる様式に引っ張られているのだろう。昔は、建築資材も現地調達・地産が大前提であったからそれぞれの地域に自ずと個性が出ていた。「選択の余地がないが故の美」と捉える事が出来よう。しかし現在では、流通システムの発達で過剰とも言える選択肢がある。日本中の都市が融解して混ざり合ってきている様にも思える。
 街作りを変えていくのは建築に限った事ではなく、個人のほんの小さな心がけから始まる。缶ジュースをひとつ買う時にも、鹿児島らしいものを「強く意識して」選択する。或いは全国的に流行しているものでも「風土に合わないのではないか?」と疑いを持つ。
 私たちは最南端で暮らしている事を、今一度胸に刻み込まなければならない時期に来ていると思う。確かに街はお洒落になったのかも知れないが、発展と呼べるのかどうか。近代化と均一化が混同されてしまった。観光客(県民も含む)が期待する鹿児島は、こうではない筈だ。もっと暑く、熱い場所でなくては!例えば中央駅前は鬱蒼とした森で、夜になると蛾が飛び交うイメージ。虫に刺されることも財産のひとつ。「温泉都市鹿児島」のネオン管が鮮やかだった観光案内所も復活させて欲しい。
 昔の観光パンフレットを見ると、そこには「南国の鹿児島」「太陽とみどりのくに」というコピーが誇らしげに躍っており、手に取るだけで魂の宿りを感じることが出来る。1972年の「太陽国体」関連の書籍でも「鹿児島らしさ」の鮮烈なイメージが見られるが、残念ながら現在は最小公倍数的なプロモーションが主体になっている。抗菌・草食系・事なかれ主義の今、それに背反する様な「生命力」を再び鹿児島から発信していけないだろうか。

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補足
これは、イラストレーションの訴求力が弱まっているのではないかと思い、自分の死活問題として書いたんです。勿論、自分の作品を「100点満点で素晴らしい」とは間違っても言えないけれども、ここのところコンペで写真案に負ける事が多い(この記事を書いてからも二回負けた)。泣き言じゃないんだ。自分には、現在発行されている様なパンフレットや観光ポスターよりも、イラストレーションを使った方が「より鹿児島らしさが表現出来る」という確信がある。勿論写真も必要になってくるけれど。今回の添付ファイルは「つばめ文庫」さんから拝借したもの(こういう観光案内が多数眠っていると思うので、是非お出かけください。)。素晴らしい!ですよね。昔が良かった!と言いたいのではなく、昔の人の方が鹿児島を伝えるために工夫していたと思えるのだ。そういう姿を現在のスタイルでアレンジして伝えればいい。しかし現在は、中庸な、自主規制がかかったようなアイデアが通ってしまうのだ・・・。結果として鹿児島は凡庸な、クールな街になろうとしている。デザインに携わっている者が中心になり、もっと暑苦しい街に(いい意味ですよ)していかなくては!

date 2012.1.9
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鬼火焚き

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僕が暮らす集落で鬼火焚きが行われました。豚汁が振る舞われたり、炎の中でお持ちを焼いたり。子供はあたりを駆け回ったり。ポンポンと竹のはじける音がウルサいくらいにあたりに響きますが、この音響で厄払いをするんだそうですね。一年間の無病息災を願う。風がほとんどなく、炎がキレイに空へと伸びていました。昨年があんな年だったから、今年は良くなるでしょう!

date 2012.1.9
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アンダーズ・ハイの対談

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鹿児島で発行されているフリーペーパー「under’s high」の対談がcoffee innovateのtea roomで行われました。先日行われた私の個展会場ですが、利用者として借りたのは初めてでした!何だか気持ちよかったですよ。写真は私・マティックと井原先生。昨年、「under’s high」の書籍化が話題になりましたが、今回の対談は2月に配布される予定のvol.19に掲載されます。テーマはズバリ「仕事」。お楽しみに!

date 2012.1.5
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名画だ!

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久しぶりにイラストを観て興奮した・・・何だろうかこの鹿児島は!知らない人が描いているんだと思いますが、桜島フェリーと鉄道が明らかに間違っています・・・でもそこが何だかカッコイイ。KAGOSHIMA、SAKURAJIMAという文字も、一時期流行った3D効果とグラデーションを惜しみ無く投入しており・・・逆に新鮮!そしてドナルドご一行と言えば、フライガイくんが桜島の危険区域に立ち入ろうとしていたり、屋久島の雲の上から下界を見下ろしたりとやりたい放題!これでいいのだ・・・。ドナルドの足下には無造作にハンバーガーくんの群れが。まさか捨てられているんじゃないよね。このマック、ドライブスルーなので壁画を撮るタイミングが難しい。この右側には池田湖のイッシーも描かれていた・・・。全景を撮影しにまた行ってみよう。

date 2012.1.5
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南日本新聞「南点」を振り返る(02)

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昨年、南日本新聞に掲載された「南点」(全13回)を振り返ってみようと思います。約800字という制限の中で言いたい事が伝わったのかどうか。読み逃した方々へ向けて、全文と補足説明を本ブログで紹介していきます。
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好奇心の「振り幅」

 インターネットが普及して世界は狭くなった。遠くの友達に一瞬でメッセージが送れたり、遠くの国から欲しいものを取り寄せたり。しかし自分の世界まで狭くなってしまうのはいかがなものか。
 桜島を描くとき、あるいは女性を描くとき、スケッチブックを片手に「まずは自分の目で捉えよう」と試みるのが、これまでは当たり前の行為であった。しかし今の画学生はそのイメージをインターネットで検索する。世界中の人が撮影した桜島や女性が瞬時に画面に表示されるのだ。そうして得られた画像の中から、自分好みの数点を抽出する。それは一見「自由な行い」なのだが、冷静に考えれば非常に視野の狭い情報しか得られていない。 絵画に限らず、大学のレポートをネット上の記事からいわゆる「コピーアンドペースト」で組み上げていく手法も問題になっている。
 結果として二次情報や三次情報を参考にした「四次情報」を造り出してしまうことは誰が見ても明らかである。 表面的に格好はついても、コンテクスト(歴史や背景)が皆無であるから、 それらが持つ魅力というのはとても薄く、ごく狭い範囲の層にしか訴求出来ないのである。「人々の興味が細分化された現代ではやむを得ない」と開き直るのは簡単な事だ。しかし遠く離れた場所に住む、より多くの人にメッセージを届けようとチャレンジする場合は、「インターネットと自分」という関係を常に疑うべきなのである。私もインターネットの力を最大限に活用しながら仕事をしているので、その技術の信頼出来る部分とそうでない部分を意識的に分けている。
 子供が昆虫好きなので、パソコン上で様々な昆虫を調べる機会が増えて来た。しかし「脳化社会」の住人にならない様、検索した後はなるべく外に出て本物を探しにいく。日置市での暮らしで恵まれている点は、インターネットからの情報と自然界での体験の間にある「振り幅」が非常に広く深い事だ。

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僕の世代が恵まれているのは、技術の進化とともに、感性も並行して膨らんでいった点だ(それが勘違いであっても)。日本も今の様に成熟していなかったし、例えばテレビヒーローものも手探りで作られていたと思う。そういう楽しさを伝えられたら・・・と思うけれど、現在はジュラシックパークに代表される様なCGI、クレイアニメ、パペットアニメ、手描きアニメなどがフラットな世界に時間軸もなく並んでいる。何が出て来ても驚かない社会になっている。これらが子供たちにとって、どのように認識、整理されていくのか解らないが、リアルワールドだけは、そんな状況と向かい合う事が出来る筈。

date 2012.1.4
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南日本新聞「南点」を振り返る(01)

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昨年、南日本新聞に掲載された「南点」(全13回)を振り返ってみようと思います。約800字という制限の中で言いたい事が伝わったのかどうか。新聞は読まなくなってしまった層に向けて、全文と補足説明を本ブログで紹介していきます。
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多極分散型社会へ!

 東日本大震災以降、これからの日本のあり方が問われている。どこまでを「自分の問題」として捉えられるか。普段、日置市吹上町で暮らしている私にとっては、一極集中型社会から多極分散型社会への転換が最も身近な問題に感じる。私たちが暮らす鹿児島県でも、鹿児島市に人口が流出している。また、もっと小さな単位で言えば日置市の中心部が賑わい始めている。「便利だから」「仕事があるから」というのが理由で人が集まるのだろうか。昔は国土の隅々まで人々の暮らしがある多極分散型だったが、平成の市町村大合併も手伝って、どうやら「長いものに巻かれていれば安心」という空気は加速しつつある様に思える。
 こうした流れに取り残されてしまう、いわゆる限界集落と呼ばれる地域は、人間の体に例えるなら手足の指先、毛細血管と呼べる繊細な場所だ。おろそかにしていれば、やがて鹿児島全体が壊死してしまうだろう。
 これから県内全域を21世紀型の社会に再構築していくためには、こうした地域への定住を踏まえた、多極分散への意識を高める必要があるのではないか。ではどうするのか?私は、デザインの専門学校で週に一度イラストレーションを教えているが、未来のクリエイターである学生達へ「軸足を鹿児島に置いた上で、県外・国外との仕事をするスタイル」を提案している。自分の取引先が一極集中しているのでは、世の中は変わらない。数社、数十社から自由に仕事を得る事が出来れば、都市や中心市街地に呪縛される必要はなく、むしろ過疎化を辿る場所へ積極的に移り住んで自分の世界を築ける。デザインの分野に限らず、一般的な組織でも社長の英断で中心地のオフィスを縮小し、社員は在宅勤務へとシフトさせる事は今すぐにでも出来る筈。
 まずは自分の感性を多極へと拡散していくこと。それが一極集中を変えていく第一歩なのだと思う。

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この話題は、移住してから徐々に自分の中で沸き上がって来た問題です。正直なところ「田舎暮らし」ってもう少し流行ると思っていたんです。確かに、田舎に移住した人は目立つ傾向があるから、そういう意味では追い風を感じることもある。だけど、全体の流れからすればまだまだ少数派なんですね。僕が一番言いたいのは「古民家で有機農業で」といったステレオタイプの田舎暮らしのイメージを持ってはいけないという事でしょうか。そういう、気合いの入った田舎のイメージが移住へのハードルを高くしているのでは。スーパーで野菜を買い、Amazonで書籍を取り寄せる様なヤワな僕でも、田舎暮らしが出来るということなんです。むしろ過度なストレスに悩むデジタルクリエイターはコンクリートジャングルに囲まれるよりも、緑の中で暮らした方がリラックス出来、発想も膨らむと思っています。

date 2012.1.1
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あけましておめでとうございます

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2012年。みなさまにとって今年が良い年であります様に。
今年もオーテマティック・コムをどうぞよろしくお願いいたします。