2月10日、野首地区公民館において「芸術による地域づくり協議」という会合があり出席してきました。野首小学校跡は、既に文部科学省が選定する「廃校リニューアル50選」に選ばれ、画家の佳月優さんが「野月舎」というギャラリーや絵画教室として開放しています。2003年(もう随分と前ですね)に、僕も個展をさせて頂きました。また、となりのアトリエでは情熱家の博多和宏さんが活動しており、彼の主催する吹上ワンダーマップというアートイベントがが今年も2月19日から27日まで開催されます。日置市には窯元祭りが行われる美山という伝統的な場所もありますが、野首はひと味違った発展をしている場所です。
日置市や住民の方々と、アーティストがどのようにかかわっていくのがいいのか、手探りの状態が続いている様ですが「協働しながら具体的に収益を上げていかなくては続いていかないのではないか?」という話をしました。「アーティストはただで動くから使いやすい」という意見は何度も聞きましたし、実際のところイベント疲れしているアーティストは多い。或いは逆に「アーティストが地元の人をただで使っている」というケースも、何度も見てきました。もう、そういう事では動かなくなってきていると思います。鹿児島には「やねだん」の成功例もありますし、自分たちで無理せずに実現出来る解決策をみつけていくしかないのでは。
写真は野首小学校時代に使われていた「湯のみ」です。味わい深いデザインです!
Monthly: 2012年2月
野首小学校の「湯のみ」
マルシェ・PANDA 蔵出し展@マルヤガーデンズ4F~本日最終日
あっと言う間の4日間でしたが「マルシェ・PANDA 蔵出し展」本日最終日です。私・マティックは会場当番のため開店時から閉店時まで会場におります(一瞬、食事などで席を外すこともありますが)。どうぞよろしくお願いいたします!会場でお会いしましょう!
マルシェ・PANDA 蔵出し展@マルヤガーデンズ4F
明日2月10日(金)より2月13日(月)の4日間、
マルヤガーデンズ4F(garden4+テラスガーデン+カフェガーデン)において、「マルシェ・PANDA 蔵出し展」が行われます。私オーテマも参加します!マルシェ・PANDAは2年前にオープンした作家支援ショッピングサイトなのですが、僕も一点のみ展覧会時に販売したヴィジュアルブックを取り扱って頂いています。
今回は「蔵出し展」ということなので、倉庫から20年程前に制作された個展のDM、マックで初めて描いた作品のポストカードなどなど・・・を引っ張りだしてきました。15種のカードが入った「蔵出しセット」は限定10部、1000円です!
会場は同じフロアですが三カ所に分かれております。参加作家と暫定的な設置場所をお伝えしておきます。本日搬入ですので多少の変動はあるかも知れません。また、常駐は出来ませんが私が会場に着いたときはツイートいたします。どうぞよろしくお願いいたします!
▼garden4
スティーブン・ギル ・あごぱん ・ごうはら かなこ・たきぎく さやか ・坂元 みつえ ・杉原 木三 ・田中 ちひろ ・浜地 克徳 ・豊 久美子 ・徳永 直子・大寺 聡・藤 浩志
▼cafe garden 及びterrace garden(金曜日、月曜のみ)
syn-・tari*jutan ・Wonder Last Queen ・たきぎく さやか
▼cafe garden
fuquo206・かのこ ゆり・アキヒロジン・宮崎 愛子・松元 利重 ・上國料 正記 ・迫 安由美 ・山口 伸次郎 ・ヤマグチ アキコ
続・ぼくの鹿児島案内。
1月28日(土)、Good Neighborsにおいて、岡本仁さん編・著の「続・ぼくの鹿児島案内」のリリースパーティーが行われました。ちょうど二年前「ぼくの鹿児島案内」が出版されたときは、少なくとも僕の周りにいるデザインに携わる人たちは「これから鹿児島はどうなるんだろう?」と騒然となっていた記憶があります。それから、僅か二年なのですが早くも続編・・・僕は岡本さんと何度も話をする機会に恵まれました。その記録が今回の書籍にも収録されています(オーテマウンテンも登場)。岡本さんや東京の人たちが、何度も何度も鹿児島に足を運ぶ姿を目にして、一過性のブームなのではないと確信するに至りました。とにかく「鹿児島を真剣に捉えようとする人たち」が増えたことは事実です。全ての情報がくまなく掲載されている観光ガイドとは違う住人目線で見ているし、ひょっとして移住も考えている?と思えるのです。今回の続編は、友人や知人も有機的に絡んでおり、前作よりも自分にとっては思い出深い一冊に仕上がっています。是非、お手に取ってご覧下さい!
(写真上は、パーティーに招待された人だけに与えられる「勲章」?です。このあたりもヌカリがありません。)
リリースパーティー前後はtwitterやfacebookでもこの話題で持ち切りでしたので、敢えて時間差でお届けしました。
南日本新聞「南点」を振り返る(10)
昨年、南日本新聞に掲載された「南点」(全13回)を振り返ってみようと思います。約800字という制限の中で言いたい事が伝わったのかどうか。読み逃した方々へ向けて、全文と追記を本ブログで紹介していきます。
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ありがとう。スティーブ・ジョブズ
10月5日、アップルの創業者スティーブ・ジョブズ(以下SJ)が永眠し、世界は悲しみに包まれた。私がアップルに出会ったのは1993年。デザイン業界もパソコンの登場によって大きくその様相を変えて行く時代だった。当時27歳だった私は、一式230万円もするマッキントッシュを導入、人生初の大型ローンを組み5年をかけて支払った。以来、何台も乗り継ぎ、今でもユーザーの一人である。
シンプルなその外観は「何故マウスにボタンがひとつしかないのか」と冷笑されることもしばしばあった。しかしその哲学は現在誰もが手にしているiPhoneのホームボタンへと受け継がれている。簡素な方が美しく使い勝手も良い。そうしたSJの視線は流行を避けるかの様に、未来へと注がれている。自社製ディスプレイコネクタの規格を切り捨てたり、CPUのメーカーを変えてユーザーを困らせたりもした。しかし、SJの「個人の意思」が完璧に貫かれている新作が発表させる度に、失意は希望へと塗り変わる。彼の想像力の豊かさが理屈を超えて共感を生み出す。ハード、ソフト両方を自社開発出来る希有なブランドで「デザインとはこうあるべき」と何度も教えられた。「トイ・ストーリー」を始めとする一連のピクサー作品も彼なしには成立し得なかった。また、SJはヒッピーだったこともあり、繊細なイメージの製品の中に、荒削りな冒険心や野心を感じ取ることも出来た。優しさと厳しさが同居しているとも言えよう。そしてその根底には「自由」がある。これは最も大きな魅力だ。実際、私も場所や時間を気にせず働く事が出来る様になった。
子供の頃、図鑑で観た21世紀ではエア・カーが街中を走り、月世界旅行も当たり前のだった。ところが蓋を空けてみれば、自主規制と節約ムードの質素な時代・・・。そんな中にあってSJは、あの頃よりもカッコイイ未来を描き出せる「革命家」であり「美術家」だった。 心よりご冥福をお祈りいたします。
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追記:
この「南点」連載中に他界してしまったために取り上げた話題です。この手の文章は追悼を通り越して「どれほど好きだったのか」という自慢合戦になってしまいがち。実際に、亡くなって間もない頃は、そうした記事やツイートばかりが目につき「ちょっと違うんじゃないか」と何度も思いました。自分の文章も、そういう風に受けとられては困るので、ほとぼりが冷めた頃に書きました・・・。外人(というおおまかな括り!)が他界して涙したのは、フレディ・マーキュリー以来。
先日、叔父の耕運機のエンジンをかけようとしている時に、どうしても上手くいかなかった。手元にあるiPhoneから耕運機の説明書をダウンロードして、手順通りに説明する場面がありました(結局かからなかったけど)。こういう状況・・・つまりデジタルとはあまり関係のなさそうな場面で使われる時に未来を感じますね。
しょうぶ学園に出かけて思ったこと
遅ればせながら初めて「しょうぶ学園」に出かけてきました。土曜日の午後、訪れていたのは自分の家族以外には見当たらない。いつも賑わっているイメージがあったので「こんな静かな場所だったんだ」と感動(人ごみが苦手になってきているので)。様式美の異なる魅力的な建物が何棟かあって(どのような順番で建てられたのか解りませんが)、中庭(グランド?)を中心に有機的に繋がっている感じ。居心地が良いのでパンを買ったり、珈琲を飲んだりした後に、敷地内を鬼ごっこしたりして・・・閉館時間まで遊んでしまいました。
学園、という名前がついてはいますが、まったく知らない人が突然訪ねたら「小さな街」に感じることでしょう。優しい佇まいですが、何か、ひとつの哲学で貫かれている厳しさが心地良いのだと思います。今、哲学を持っている街って、あるのでしょうか。今回のしょうぶ学園やディズニーランドにはそれを感じます。城下町の風情を残している場所は(かつての目的がハッキリしているので)今でも美しい場合がありますが、わがままに発展した都市はどうしようもなくなっているのが現状だと思います。自分も、地元の商店街で何か出来る事がないのか模索中です!
南日本新聞「南点」を振り返る(09)
昨年、南日本新聞に掲載された「南点」(全13回)を振り返ってみようと思います。約800字という制限の中で言いたい事が伝わったのかどうか。読み逃した方々へ向けて、全文と追記を本ブログで紹介していきます。
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未来の交通像とは?
毎年、天文館までの距離が遠くなる。郊外で暮らす人の多くはそう感じているのではないだろうか。近くのバス停から山形屋までの直通バスは2006年に廃止された。自分も運転が好きな方ではないから、歳を重ねるごとに更なる「交通弱者」になることを実感している。
もともと、中心市街地というのは公共交通機関によってアクセスされる事が大前提で作られている筈。ところが自家用車の増加に伴い渋滞が発生し、市電の路線は縮小された。しかも、駐車場が確保出来ない昔の中心市街地は来客数が減り、シャッター商店街化してしまった。
しかし今後、交通弱者は増加の一途。これまでの構図は塗り変わる。早急に公共交通機関の未来像を考え、実行する時期だ。 鹿児島では馴染み深い市電だが、世界的に見ると路線はどんどん伸びている。ライトレール・トランジットやトランジット・モールという呼び名で市街地の再活性化を成功させた例が幾つもある。富山においても県、市、民間企業が協力、北陸新幹線の開通を見越して、廃線になっていた路線を新感覚の「富山ライトレール」へと変貌させた。計画から開業までわずか3年。市民の意識も驚く程高い。
天文館周辺はマイカー乗り入れ禁止にしてはどうか?派手ではないが、緑・歴史・文化・商業施設が織りなす、最先端の空間が創出される筈だ。ヴェニスの様に「車がいない街」として世界中から注目が集まることだろう。
昔の観光パンフレットを見ると、県内全域に張り巡らされている鉄道網が輝やいている。近所にも南薩線が走っていた。現存していれば、観光資源としての価値は計り知れない 。かつてあった駅舎の周辺には、その残像とも言えるドラマを感じる事が出来る。あの時代はもうやって来ないのだろうか。ダラダラと移動する車社会と違って、鉄道で出かける時には、待ち時間も含め皆「折り目正しい旅」を楽しんでいたのではないか。私の夢は天文館で飲んだ後、市電で自宅まで帰ることなのである・・・。
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追記:この話題については随分前から何度も取り上げてきたので「またか〜」と思われる方も多いと思います。一昨年から「ライトレール・トランジット」をイラストのシリーズとして展開しており、鹿児島では多くの方に観て頂きました。また、鹿児島大学の学生が中心になって計画した、まちづくりについてのシンポジウムにも参加しました。これから、高齢社会が加速して自動車を運転出来る人口は減り続けます。今のうちから声を大きくして取り組むべき課題です。我が家でも現在、二台ある自家用車のうち一台を手放しても大丈夫かどうか実験中。バスと鉄道を使って鹿児島市内に出かけると、確かに車よりも時間がかかります。しかし、待ち時間はボーッとしている訳ではなく、読書や仕事、メールの送受信に充てられる。反対に運転中は、ラジオや音楽は聴けるけど、基本的には交通安全の事しか考えられない筈。みんなが公共交通機関に切り替えるだけで、街全体の偏差値があがると思うんです。車にかかる維持費・・・車検や保険、税金やガソリン代、駐車場代などなど・・・これらをそれぞれの家庭がこまめに支払っているという構図も最近では信じられなくなってきています。全てまとめて、交通のプロにお任せする方がスマートなのではないでしょうか。