展覧会では最近アナログ作品を展示する様に心がけています。直接、原画を見ていただく場合は、やはりデジタル出力というのは伝わるものが少ないんですね。また、同じ制作時間をかけるのであれば(同じく原画を見て頂く場合)、やはり伝わる情報量の多さもアナログの方が上だと感じています。仕事でデジタルを続ける意味というのは、印刷されたり、モニター上で見ることが前提となっているためです、この場合はデジタルの方が早く確実に伝えられるんです。精度という点についてもデジタルには未だに取り憑かれています。
この画像は、とある施設に5月9日に収められたもの。多くの子供達の目に触れることになりそうです。大きさは20号。「号」という大きさで絵を描くことはあまりないのですが、指定されたサイズだったんです。おもむくままに筆を走らせると、こういう表現になります。
Monthly: 2016年5月
久しぶりのアナログ作品
サルミアッキってなんだ?
今年も専門学校でイラストレーションゼミの授業が始まった。これまでの評判が悪かったのか、3年生は受講せず、2年生の6名のみを担当しています(1年生は必修で別の授業があります)。その中の一人がフィンランドからやってきた女性なのです。クールジャパンに惹かれて、何故か鹿児島に辿り着いたのだと思われます。その彼女が授業が始まる前に「これはフィンランドの人は大好き、だけど日本人はみんな嫌う」と言いながら写真のキャンディーを僕に手渡してくれたんです。甘いもの、お菓子が大好きな自分としては楽勝だろうと思って口にしたのですが、人生初めての味わい。この歳になっても初体験があるのだなあと・・・。確かに、お世辞にも美味しいとは言えない、甘くはなく、辛い味?これは日本人にとっては臭みに感じられる匂いだろう。調べてみると「サルミアッキ」と言う代表的なお菓子だそうだ・・・パッケージはアダルティな感じがするから子供は食べないと思うけど。もっと可愛いデザインのものもあるのかな?
ブラシの木、満開
自宅の庭に植えてある「ブラシの木」が満開です。二種類植えてあったのですが、僕が気に入っている方(花が咲いた後に枝に履歴が残るもの)は昨年の台風と雪の影響なのか、残念ながら枯れてしまいました。もう一本の方は元気なようです。独特のフォルムが気にいっています。ご覧の通り一輪挿しでも存在感充分。
枯れてしまった方の情報は、以前(2005年)にもお伝えしています。
友人からもらったもの
先日、大隅半島から薩摩半島に引越ししてきた友人から頂いたもの。たくさんの雑貨や家具などを所有されており、引越しの際にはガレージセールも行われたそうです。その時に出向けば良かったのですが、どうしても行けなかったので「あの・・・車の中に丸い玉が入っているヤツと、油田のオブジェをキープしておいてほしい」とお願いしておいたんです。後日無事に受け取ることが出来たんですが、あらためて、こうして並べてみると、自分はアクリルに閉じ込められているものが好きなんだろうなあ・・・と思ってしまいます。正確に言うと、車の方は中が液状になっていて玉が浮遊しています。油田の方も、原油が閉じ込められているんです。
ニューヨークに行った時もグッゲンハイムでスノードームを買ったし、一昨年の夏は長瀞で同じくスノードームを買いました。フライングタイガーでは昆虫が閉じ込められている置物も手に入れたな〜
こういう技術が自分の中にあれば、なんでもかんでも透明のもので覆ってしまいそうな気がします。
有名建築
南さつま市金峰町大坂にある「金呂利だんご」のお店です。僕が若い頃に買ったアメリカのダイナーの写真集があるんですが、外観が恐竜や魚などなど個性的なお店ばかり。車社会のアメリカですから、かなりの速度で走っていても、店内の様子を想像させるための様々な工夫が施されているんですね。まあ、恐竜のお店は何が食べられるのかわかりませんけれど。
そういう意味で、お団子屋さんがお団子の形をしているというのはごく当たり前の発想なのかもしれません。しかしこの辺りでは珍しい。発想まではできるけれど、実際施工されるとなると、それなりの勇気がいる筈なんです。この3次曲面の骨組みを製作した方と、タイムトンネル(私のアトリエ)のH鋼を曲げた方は、同じだと聞いたことがあります。親戚に出会ったような眼差しで見てしまいます。
「フォースの覚醒」について語る(3)
そこで、僕はどうやってこれからのSWと付き合っていけば良いのか?という問題が浮上してきます。
(1)「旧三部作とその特別編、エピソード4-6」(2)「ルーカス監督の新三部作エピソード1-3」(3)「エピソード7以降」
・・・とそれぞれの年代で楽しみ方を分ける必要があると感じています。
(1)については、当時どれだけの革命的作品だったのか、SWなくして現代のポップカルチャーは存在していないという事実を若い世代に伝える。何が凄かったのか?を生理的に感じているのは私たちの世代だけだから。ソフト面だけではなくハード面も強調したい。ILM、ピクサー、THXなど、SWを避けて通っている人にも恩恵はありますよね。
(2)今回公開された「エピソード7」で、逆に際立ったのが「ルーカスが成し遂げたいこと」。彼はストーリーテリング以上に映像技術の進歩に興味がある。そういう意味でフレッシュなアイデア満載の新三部作は、アイデア自体を楽しむことに徹したい。表層的なCGI作品ではなく、やはりSW世界の一番の魅力はコンテクストを感じさせること。背景社会の膨大な情報量に着目です。
(3)新しい世代にSWの魅力を伝えるために作られた今回の「エピソード7」。シリーズ中、物語自体は一番面白いとも言えます。脚本、人物の配置には文句のつけようがないのでは?特に前半、ジャクーを脱出するまでの物語が転がっていく様子は最高ですね(BB-8自身も転がっているので余計にそれを感じてしまいます)。ミレニアム・ファルコンを操縦しているという実感も持てましたし。このシーンの出来が良すぎるので後半のスターキラーベースのシークエンスはポー・ダメロンの操縦のうまさはビシビシ伝わってきますけど、逆に小ぢんまりと感じてしまうんです。全体的に、マーベルシリーズで見られるような「CGIてんこ盛りで何も残らない」演出とは違って、かなり紳士的に、最近の映画としては「かなり地味目」に各シーンがまとめられていました。ここの好感度はズバ抜けて高いです(前述した〜矮小化した世界観〜と相反する見解ですがお許しください)。終盤、BB-8とR2-D2の共同作業によって地図が完成する場面、これはSW世界を若い世代に継承する象徴的なシーンでもあります。親として、子供達にどうやってSW世界を知ってもらえばいいのか試行錯誤している毎日ですが、低い年齢層にも、歴史を感じさせる〜十分すぎる重みのある作品に仕上がったと言えるでしょう。
「フォースの覚醒」について語る(2)
・監督の采配とは別に、今回、ジョージ・ルーカスの手を離れディズニー配給になったことで、新しいSWシリーズがどんな方向に行くのか、やはりファンは不安だったんです。お馴染みのシンデレラ城から始まるのか?という部分まで含めて。しかし、こちらもディズニーの気遣いが際立っていました。今回感じたのは、ディズニー配給になったことで、SWの結末は人類が滅亡するまで永遠に引き伸ばされた・・・一つのプラットフォームになったということです。「SWという公共料金」を一生払い続けるというイメージ。これまでのSWシリーズは独立採算制・究極のインディペンデント映画としても有名。ハリウッドの映画製作システムから離れたルーカス個人の作家性が重んじられていましたので「ルーカスの寿命=SWの寿命」ではあったんです。
・ここまで、やや俯瞰した語り口になってしまっているのは、相当な時間が流れたからです。1回目鑑賞時の最初の印象はかなりのもので、一言で表現するなら「茫然自失」だったんです。主な原因は「エピソード1」鑑賞後の、新しいシリーズが始まったという高揚感がなかったことなんです。フレッシュなアイデアが見られず(細い部分ではキリがないほどありましたよ)、どこかで見たようなSW世界ばかりが展開されていたから。ものすごく凝縮された話なんだけど、SWのベスト盤的な意味合いがあまりにも大きすぎた。ルーカスも今回の作品については「レトロ趣味」という表現を使ったようです。言い方を変えれば、自分が想像していたSW世界よりも矮小化していた。という感情から、茫然自失になったんですね。これは二回目鑑賞後に、ようやく落ち着きを取り戻して確証したんですが、人物描写についてはこれまでのSWよりも丁寧に感じます。ポーとフィンの友情の強固さは、短いシーンですが、ルークとハンを上回っている様に感じますし、レイやカイロ・レンの苦悩する様子や覚醒する様、これも見事なものでした。
「フォースの覚醒」について語る(1)
昨年12月18日に公開されたスターウォーズの7作目「フォースの覚醒」を
字幕版2回、吹替版2回を鑑賞しました。ブルーレイも発売され更に自宅で鑑賞1回したので・・・そろそろかなあと思い、感じたことをネタバレのない範囲で率直に書こうと思います。
・結論から言うと、シリーズ中では3番目に好きな作品となりました。順番で言うと4-5-7-6-3-2-1。
・ジョージ・ルーカスが監督した新三部作(1999年・2002年・2005年)に対するファンの複雑な思い(主にガッカリという意見!)を払拭するべく、1km先の針に糸を通すような、かなりの精度で脚本や演出が練りに練られた密度の高い作品。
・今回、監督したJJエイブラムス(以下JJ)は僕と同世代の作家。スターウォーズ(以下SW)には特別の思い入れがあるということがダイレクトに伝わってきました。
・JJが監督すると聞いた時に、SWファンは戸惑いを見せていたのも事実。しかしその心配はどこへやら・・・大傑作だと感じました(ただし、二回目鑑賞時に。この件については後述します)。僕も多くのSWファン同様、JJに対しては不安を抱いていたんです。特に彼の監督作「スーパー8」(2011年)のスピルバーグ風味に徹しすぎた演出がその大きな原因。これをSWでやられたらたまったもんじゃない、という危惧があったんです。「スーパー8」の表面的なSF感は、同時期に公開された(オタク視点で)同じようなテーマを扱った「宇宙人ポール」と対極にあったので特に際立ってしまったのかも知れません。しかしJJの感覚を全て否定している訳ではなく、「スター・トレック/イントゥダークネス」(2013年)などは最高に好きな作品です。多くの人材がいるであろう米映画界で、SWとスター・トレックの(ファンにとってみれば)大きく異なる二つの世界観を監督したというのは、大きな出来事だと感じますね。彼の作家性は「仕切り直しでこそ活かされる」ケースが多い。自分たちの世代は、こうした基軸で創作活動せざるをえない側面があるので羨ましい立場だと言えます。(続く)