全国ニュースでも取り上げられた様ですが、自宅から南へ30分ほどのところ(南さつま市金峰町)に、マッコウクジラ6頭が打ち上げられました。慌てて現場に行ってみたのですが、すでに潮が満ち始めており近づくことは出来ませんでした。鹿児島水族館の方々によって、下顎が切り取られていました(写真上)。歯を調べると年齢が解るということで、研究資料として持ち帰るのだそうです。それにしても実に不思議な形をしています。
「この様な出来事があると、地震との因果関係をよく質問されるが、実は吹上浜だけでも年間に1000頭は打ち上げられている」と水族館の方がお話されていました。日常茶飯事であるから、心配しても仕方がないということなのでしょう。
クジラがどうして集団自殺の様な行動をとるのか、まだ分かっていない様ですが、いずれは、クジラの言葉が解明されて人間が何かの手助けを出来る日が来るかも知れません。死んでしまったクジラには申し訳ないと思いますが、こんな出来事があって「街はもう大騒ぎ」という感じになっていたんです。車で乗り付けた時には「クジラ見学」と書かれたプレートを持って立っている方(おそらく役場の職員さん)もいらっしゃいました。普段は閑散としている吹上浜ですが、クジラとの対話が実現すれば賑わいを取り戻せるかも知れません。
Monthly: 2017年3月
マッコウクジラ
新感覚の牛乳パック
三男(6歳)が宛名様ラベルに突然文字を書き始めて・・・牛乳パックに貼り付けて仕上がった作品がコレ。・・・正確に言うと、カタカナをベースにしたキャラクターを描きたかった様です。子供が何を考えているのかわかりませんが、実に不思議な造形感覚を持っていますね。タイポグラフィをアート化?したスタイルで有名な立花文穂さんという方がいらっしゃいますが、彼の作品に似ている部分があります。
子供たちの作品は可能な限り保存しておきたいものですが、巨大な段ボールを使用したものや、大小あれこれ、置き場には困り果てています。なるべく写真に収めていますが、やはり現物でないと、その良さは伝わりにくいものです。子供たちはこうした作品を通じて友達と自然にコミュニケーションしていますが、大人になるにつれ、図画工作のセンスではなく言葉が重要になってきます。これは寂しいこと。造形センスで対話を試みている子供たちに学ぶことは大きいですね。
鹿児島の人気が高まる
3月8日のNHKニュースの画面です。移住したい場所として、鹿児島の人気が高まっているようです。
自分も2000年に移住してきたので、徐々に鹿児島に慣れ、その魅力を新鮮な気持ちで答えるのが難しくなってきました。引っ越し当初はテンションが上がりすぎて最高最高!と言っていたような気がしますが。
今、この18年ほどを振り返ってみると、やはり「自分で使える土地の圧倒的な広さ」が自分を支え、「家族を持ちたい」という気持ちを形作ったことは確かです。
これは鹿児島に限らず田舎ならどこでもそうだと思いますが、ライフスタイルの選択肢が豊富であり、自由度が高い。集合住宅で上下左右に気を遣いながら生活するというスタイルには、戻れないと思います。
自給自足が出来なくては、古民家に住まなくては、というような「敷居の高さ」が移住への勇気を妨げている一面もあると思いますが、僕はバリバリの田舎暮らしをしている訳ではありません。普通に音楽や映画を楽しんだり、都会的な?情報摂取も田舎で実現出来るのです。そういう意味で、もっと普通に田舎暮らしを視野に入れて欲しいですね。
素晴らしい小屋
これは「川中自治会憩いの場」と名付けられた素晴らしい小屋です。(前回の投稿でお話しした)散歩のゴールはこの場所なのでした。一度、お正月の鬼火焚きに誘われたことがあって、場所としては把握していたのですが、こんな小屋があったとは!中には入りませんでしたが、地面に座りながら、賢人が持参してくれたコーヒーを飲みながら語りました。何が素晴らしいのか?詳しく語るのは本当に難しいのですが、いろんな人に向けて「なぜみんなこの世界に来ないのか!」と言いたいんです。
スダジイ
いつも一緒に地域活動をしている仲間から誘われて、平日の昼間に散歩をして来ました。
川久保橋のたもとで待ち合わせ、1時間近く永吉川沿いを吹上浜の方向に歩き、折り返して来ました。
普段見慣れている景色の筈ですが、それはあくまでも車の速度であって、知っている様で知らない風景ばかりです。都会では様々な看板がどんなお店なのかを伝えてくれますが、実はそれ以上に自然界から得られる情報は数限りなくあります。
モズの投稿と内容がダブってしまっていますね・・・。
散歩の途中で見つけた木(おそらく、スダジイ)は、株立ちがなかなかいい感じ。一番太い幹が台風か何かの影響で折れ、それを取り囲む様に脇から新しい幹が次々に出て来たのでしょう。
水田や畑の真ん中に立っている木には、花時計としての役割があると、昔民俗学の授業で聞いたことがあります。例えば、桜の蕾(つぼみ)がこのくらいの大きさになったら田植えの時期だ、とか・・・そういうことです。そういう意味でこの木も、昔から何かの目印としての役割があったのでしょう。「木陰で休める」という機能があることは、言うまでもありませんね。
モズ
インフルエンザの療養中にモズがやってきました。木の実や花を好んで食べる鳥はせわしなく、いつも周りをキョロキョロ。しかしこのモズは肉食なので、じっと下を見つめています。おそらく、春になって這い出してくる虫を狙っているんだと思います。おとなしくしているのでシャッターチャンスも長い、という訳なんです。
モズの目線が下に向けられている理由は、観察によって知ることができたのですが、実は違う訳があるのかも知れません。いや、しかし、多分虫を狙っているんだと思います。
そして、モズの尾というのは、ゆっくりと上下に動いているんです、この動作がいかにも何かを狙っているという動きですし、クチバシの形状も、何だか意地悪キャラなんですね。
何が言いたいのかというと・・・自分がテレビや映画などで繰り返し見てきた悪者のイメージというのは、自然界のいろんなモチーフを参考に悪そうな形状を抽出〜人間が作り出したものなので、(僕たちの世代は)逆に自然を観察することが元ネタ探しの様な意味合いを持っているんです。
ウイルス
この10日間ほど、家族の誰かがインフルエンザに感染しており、オオテラ家は麻痺状態なのであります・・・
2/19 三男がインフルエンザになり熱性痙攣・・・救急車で搬送され妻もそのまま付き添いで入院
2/20 付き添いの妻も感染
2/21 次男が発熱し学校を早退(インフルエンザの反応は出なかったものの2/27まで自宅療養を勧告させる)
2/22 三男と妻が退院許可を得て自宅へ戻ってくる(引き続き三男は幼稚園が学級閉鎖のため2/27まで自宅で過ごす)
2/26 私・オーテマが発熱 2/28に熱が下がったのものの再び発熱 3/1病院でインフルエンザA型と診断される
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今のところ長男だけが、この荒波を乗り越えていますが、油断大敵、いつ感染するのかわからない状態は続いています。
今回のインフルエンザ、自分では普通の風邪だと思っていて、熱が下がった時に張り切り過ぎてしまい(よりによって薪割りなど!)ぶり返してしまった感じがしました。実際にはぶり返しなどはなく、ずっと同じウイルスにやられ続けていたんでしょう。この数年では一番寝込んでいる時間が長いんじゃないかなあ・・・それにしても自分の体調が悪くなると「人類は絶対にウイルスで滅亡する!」と究極の思考回路が働いてしまいます。(映画「復活の日」の英題が「ウイルス」でしたね)
友人にこの件を語ったところ「熱が出るのは若い証拠だよ」と励まされました。そうなのかも知れません、抵抗力がなくなった訳ではなく、若いだけなんです。ハッハッハー・・・ゴホゴホ