鹿児島市電のファンなんですが、今年3月に導入されたユートラムIIIは、IやIIに比べると顔が「WALL.E」に出てきたEVEっぽいですね。夜に出会ったので尚更そう感じたのかも知れません。
Monthly: 2017年12月
ユートラム3
吉利駅跡
1984年までこの場所に鉄道(南薩線)が走っていた。今回は親戚のおばさんと「吉利(よしとし)駅」跡を訪ねて見ました。おばさんは現在埼玉にお住まいですが、永吉(僕の暮らしている場所)を訪れる際にはこの駅を利用していたそう。現在はサイクリングロードとして整備され、それなりに美しくはなっているんですが、何かが息づいているという気配は感じられません。近所の古いお店(鮮魚店だったそう)のおばあさんに話を聞いてみると、昔は「ここの魚が一番美味しい」とお客さんが絶えず、忙しい日々を送っていたとのこと。ご主人が亡くなられてから商売は自然と小さくなって行ったのだとか。南薩線廃線の影響ももちろんあるでしょう。
毎週土曜日に行われているアサカツにレギュラーメンバーとして参加してくださっている満冨啓城さんは、このお店の国道側で「けいじょう歌声小学校」を経営していらっしゃいます。満冨さんは1938年生まれの79歳・・・現在でもはつらつとしてタブレット端末を使いこなしたり、歌声小学校でも外部からいろんな講師を招いて精力的に活動されています。
今回、吉利駅跡を訪れて「何かのイベントが出来そう」と感じたんです。鉄道跡というポテンシャルや、昔のお店と音楽学校があること、これをきちんと結んで〜〜音楽イベントとちょっとしたテントを立ててお店をやってみる。「マルシェ」と呼ばれるような動きは、ここのところ活発になってきているので経験者も多くなってきていて、暗黙の了解で進められることが増えているはず。自分も12/24の「歳の市」に向けて準備中ですが、余力があればこの場所でもやってみたい・・・。
パンダ絵師 あごぱん「パンダの森」展@霧島アートの森
ナムジュン・パイク展の記憶も冷めやらぬ中、あごぱんくんの個展に行ってきました。
あごぱんくんとの出会いは2005年の5月8日(過去記事)、自分はその時に初めて目にして、「こんな人が鹿児島にもいるんだ〜」と・・・嬉しくなったのを覚えています。この時はパンダ誕生以前で、英文字を大きくあしらったグラフィカルな作品が多かったんですよね。その後、パンダに取り憑かれてからの活躍は、鹿児島の方はご存知の通り、東京の画廊と契約もあるそうで、県外でも積極的に活動しています。
この10年ほどの、彼の画業を振り返る展覧会となっていましたが、広いと思われる会場に所狭しと原画や立体作品が並べられていました。ますますの活躍に期待〜!個人的には、パンダ以外の作品もそろそろ見てみたい。
実は自分も、この会場で二月末から展覧会があり、どのように会場構成をするのか、頭を悩ましているところなんです。
ミノムシ〜虫自慢が多極分散型社会を作る
このミノムシ、かなり前からずっとこの姿勢なんです。一説によると蓑から出てこないで一生を終えるとか。普通は目立たないように保護色である木の枝などにぶら下がるんだろうけど、こいつは敢えてまだつ場所に。しかも、筋トレをしているような、ボルダリングをしているような姿勢。
小学生の頃、ミノムシを蓑から出して、短く切ったカラフルな毛糸やマッチ棒の中に入れ、人工的な蓑を作れせるという実験が流行っていました。その時のことは克明に覚えているんです。カタツムリに人参を食べさせるとオレンジ色の糞をするとか、ね。
昆虫を使った実験、あるいは標本採集も時代の流れで「かわいそう」だと感じる子供が増えているそうですね。しかし、その大半は「気持ち悪い」という生理的なものに変わっているような気もするんですよ。「自然との対話」から学べることは計り知れない大きさがあります。
ナムジュン・パイク展@霧島アートの森
既に会期終了の情報で恐縮ですが、最終日ギリギリセーフでたどり着いた霧島アートの森。「ナムジュン・パイク展」ですよ〜!
学生だった1980年代後半は、メディア・アートの時代でした。家庭用ビデオが急速に普及し、誰もが映像を保有したり、作り出したり出来る時代が到来したんです。あの頃のメディアに対する空気感、これは本当に特殊なもので、80年代を象徴する感覚とも言えます。その代表格のアーティストが他ならぬナムジュン・パイクなのです。自分が影響を受けていたYMOの坂本龍一氏とも交流があったり。坂本氏のアルバムで自分が一番好きな「音楽図鑑」の最後を飾る名曲「A Tribute to N.J.P」のN,J,Pはナム・ジュンパイクのことなんですよ~。とにかく、色々と思い出してしまう展覧会。広義のメディア・アートの中には、ビデオ・アートというジャンルがあり、この感覚がまた、民生用のビデオデッキにまで採用されてたんです。自分が学生の頃に持っていたVictorのデッキには、ソラリゼーション機能が付いていて、自分の作品をこのデッキでナムジュン・パイク風に変換していました。
1980年代後半は、芸術が時代を引っ張っているという実感があり、その渦中で自分が勉強をできたことは本当にラッキーだったと思えるんです。2017年から見ると「全てが錯覚だったのではないか」と思えてしまいます。
かめまる庵 うどん・そば
誰が描いたのか、とても愛らしいキャラクターとロゴです。砂浜で遊んだ後は、ここでおそばやうどんを食べます。休日とあって、かなり混雑していました。
12月
もう12月・・・しかも14日か〜。早いなあ。夏から抱えていた「終わりそうで終わらない仕事」にようやく目処が付いて、ようやくブログを書いております。
画像のサンタクロースは、アサカツに最近加わった新しいメンバーの作品、最近、永吉に移住してきた方なのです。折り方を覚えている様で、器用にササッと折りあげていました。
アサカツは、続けることに意義があると思って随分と時間が経ちましたが「もうダメかも知れない」と思った時に新しい出会いがあったりするものなんです。
まだ、参加していない方は是非語りましょう〜。土曜日の朝7時から、吹上永吉郵便局前の「永吉銀座」でやっています!