東日本大震災から随分と時間が経った。原発の問題は収束する気配を見せていないが、避難した人、諸事情で逃げられない人、地域を愛するが故に残る人など、様々だ。遠く離れた鹿児島から発信しているので無責任に聞こえてしまうかも知れないが、やはり僕は「逃げて欲しい」と言い続けたいと思う。先日、東京に出かけた際にも出会った人ほぼ100%にそう伝えた。鹿児島では危険な数値の方が信用され、東京では安全な数値が信用されている様にも思えた。当然、自分の暮らす地域を危険な場所とは認めたくないので当然の結果なのかも知れない。僕の弟も東京で暮らしているので「鹿児島へ来い」と伝えているが、やはり二言めには「仕事の問題」「家庭の問題」で跳ね返される。鹿児島も原発を抱える地域。いざとなったらとんでもない事になるだろうから、大きな声では言えない。ただ、原発の有る無しに関わらず、今後の社会では「どこにも属さない」という信念が必要になってくると思う。それは、地域を愛するという価値観と同時に自分の中で並行して走らせることが出来る筈だ。地域独占されたエネルギーを使う自分が嫌だったら、自分の感性も全国や世界へと分散させていかなければ!
Monthly: 2011年7月
21世紀の残り90年をどう生きるか(6)
そうめん流し情報
オーテマハウスから最も近い「そうめん流し」を楽しめる場所といえば「ジョイフルランド宮田石」なんですが・・・先日、晩ご飯を食べようと出かけてみたのですが15時まででした!残念。
7月中はこんな営業時間となっている様ですので気をつけて。お出かけの際には、花水木の温泉も併せてお楽しみください!
90年代の音楽を編集中/元ネタとしてのゲイリー・バーツ
久しぶりに音楽の話。
昨年は仕事の合間に1980年代の音楽を編集したことがあったんですが、今年は1990年代をひっぱりだして編集中です。90年代初頭からもう20年なので、そろそろ懐メロ的な意味合いも出て来ています。時の流れは速い〜
1990年はムサビを卒業した年で、2000年は鹿児島に移住した年。1989年の大晦日に父が他界したから、1990年代は移住の準備と仕事の確立(今でもフリーター気分ですけど)を軸とした、何とも言えない10年間でした。そんな10年で聴いた音楽というと、アシッド・ジャズや、その元ネタとして並行し注目されたジャズ・ファンクやスピリチュアル・ジャズが中心だったんですね(別枠で、背骨としてスティーリー・ダンが鎮座していましたけど)。クラブカルチャーが急成長した事が背景にありますが、僕は汚い空気や踊り?が苦手なこともあって、クラブには2-3度しか行った事はなく、昼間にレコード屋さん巡りをするのが楽しみでした(ブルーノートは禁煙だったから良く行きましたけど)。こうしてそんなCDを並べてみると、今となっては恥ずかしいアルバムもかなり混じっている事に気づかされます。ですが当時は背伸びをしたかった自分を「こっちに来い」と後押ししてくれる様な音楽だった訳です・・・。今、巷で流行っている音楽のイメージは「そのままでいい」的なものが多いけど、その対極にあるかな。自由になれ!と言われていた様な記憶があります。
ガチガチのジャズファンからは軽薄に聴こえてしまうかも知れませんが、自分の中で未だに強く印象に残っている曲としてCourtney Pineの「I’ve known rivers」やGallianoの「Prince of Peace」やSteve Williamsonの「Celestial Blues」などが挙げられます。当時流行っていた中でも、何かが違う。辿って行くと、元ネタは全てGary Bartzなんですよね。彼については、最近になってからも未発表アルバムがCD化されたり(例えばコレ)、掘り下げて聴く価値が十分にあります!とりあえずThe Shadow Doあたりがオススメです。話が長くなりそうなのでこのへんで。
長崎鼻公園
いちき串木野市にある「シーサイドガーデンさのさ」と併設されているプールとウォータースライダー。プールは東シナ海に面していて極楽。吹上浜とは違って岩場なので、いわゆる「潮溜まり」にいる生物を捕まえたりすることも出来ます!全体的には長崎鼻公園というらしいですね。指宿にも長崎鼻(こちらも最高の夏休みスポット)が存在しますから、混同しない様にしてください。ここで遊んだ後、「パラゴン」のシロクマ!というのが我が家の定番コースです!