
最愛の叔父をこの5年間で二名亡くした。母の兄弟だ。叔父さんたちは、僕が小学生の頃の夏休みに遊んでもらった思い出が沢山がある。そんな叔父たちの気持ちと僕の記憶がずっと繫がって、こうして鹿児島暮らしを実現させることが出来ている。子供の頃に見た風景や楽しさは、計り知れない影響力となって自分の人生を左右している。「この叔父さんたちがいなかったら、今の自分はない」、そう言い切れる存在であった。今回、初盆ということで親戚一同が集まって比較的ゆっくりと時間を過ごせる機会があった。叔父たちの子供(従兄弟)合計4名はみんな女性(随分年下)だが、それぞれ彼氏や夫と一緒に出席していた。若い男の人が4名揃うと、何だか頼もしい。叔父はいなくなってしまったけれど、こうして生命は繫がって行くんだなあと思える場であった。僕は48歳で微妙な年齢だが、感覚的に言うと、退職したり隠居して、全てを見守るポジションの方に近い。同じ席に95歳のおばあさんがいた。このおばあさん、僕が小学生の頃、既におばあさんだったのである。しわの数は少し増えた気がするけど、ポジションが変わっていない。これもスゴイ事だ。長生きするのかしないのかで随分変わってくるのだろうけど、このおばあさんの中で時間の概念はどうなっているのだろうかと不思議に思う。
いずれにしてもお盆という機会は素晴らしいと思う一日であった。






















