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date 2007.9.2
category garden
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南薩線・永吉駅跡


1984年に廃線となった南薩線。オーテマ・ハウスから最も近いのがこの「永吉駅」であった。幼い頃、父とここから乗車した記憶がある。吹上浜沿いをずーっと南下して枕崎まで鉄道が走っていたのだ。台風の影響でトンネルが塞がり、修復工事の費用が足りない、という理由が廃線のきっかけと聞いている。現在は自転車道として活用されているが、所々に鉄道の遺産を見ることが出来る。この永吉駅のホームは、その中で最も当時を想像出来る場所だ。今回、近くにある小さなお店でおばあさんと話すことが出来た。空襲でこのあたりの家屋十数件が焼けた事、南薩線が開通して自宅の敷地が分断された事。廃線になり、自転車道が出来た事。そして、このおばあさんは撤去されるホームを「残して下さい」と訴え続けたらしい。長さは3分の1程になってしまったらしいが、「跡」としてこのように残った事は大変意義がある。今、もしこの鉄道が走っていたなら、観光資源としての価値は計り知れない。僕はおばあさんに呼びかけた「また賑やかな時代が来るといいですね」と。おばあさんは「世の中がひっくり返らないと無理だ」と言っていた。一人一人の価値観が故郷にシフトされたなら、南薩線復活も決して夢ではないと思っている。もう一度、乗りたい。

Comments: 5 comments

  1.  わ~~~~~!懐かしい場所の写真です。写真を見てすぐに涙がじわ~~~んとでてしまいました。私の祖母の家が、駅からみえるところにあるので小さい頃はよくここで遊んでいました。私の祖父は永吉の駅長さんだったらしいです。 私も祖母と一緒に南薩線にのって加世田にいったりした思い出があります。
      南薩線が廃線になってからも、しばらくの間駅の建物は残っていました。私はその中の雰囲気が好きでよくそこで遊んでいました。それから、線路の廃材(?)もあの空き地においてあって、そこでもよく遊びました。もし、いつか吹上にまたすめる日がきたら、あの駅の建物をみんなで建てて再現したいなぁ。 それから、自転車置き場もあって、そこでもよく遊びました。 懐かしい場所の写真、ありがとうございました~~~。
  2. yasuhara

    アメリカではナローの森林鉄道などは保存鉄道として非営利団体が補助金を受けてほぼ無料で払い下げてもらい地域の鉄道趣味の人たちのボランティア活動(寄付金集め、公開イベント)で整備保存されています。そして公開日には本当にたくさんの家族連れが全米各地から森林に集まります。
    そこで開拓の歴史を学びキャンプをしトロッコに乗って夏の日を楽しむのです。
    この方法を知ったときには、日本に導入できないものかと本当に残念に思いました。残したほうが交通の足としてではなく観光資源としてずっとお金を生み出してくれるのに・・・。
    南薩線には乗ってみたかったです。
  3. Aikoさん→
    この場所で遊んでいたんですね。Aikoさん世代の方にも思い出が沢山詰まっているとは、1984年ってそんなに昔ではないものね。これから時間をかけてじわじわと、復活させる動きを高めていければと思います。Aikoさんが再び永吉で暮らす日を心待ちにしております。
    yasuharaさん→
    さすが、アメリカの考え方は一歩先を行っていますね。地元の力だけだとどうしても限界があります。鉄道マニアなどを巻き込んで、うまく復活させる方法があれば良いのですが。一度無くなってしまったものを取り戻すのは大変ですよね。建物にしても鉄道にしても、日本人は欧米の方よりも平気で壊す気質がある様です。
  4. ご無沙汰しています。あっという間に9月ですね。
    私もつい先日、大隅線の名残の自転車道を高須海岸まで歩きました。
    親子遠足で海岸までの路線はよく使われたのだそうです。
    私も大隅線や南薩線、子どもと乗ってみたいです。
  5. ぴかさん→
    大隅線も是非復活して欲しいですね。やはりマイカーと違って、鉄道は乗るだけで観光気分が味わえますからね。空港まで鉄道を使うことが出来ないというのも、どうかと思います。頑張って欲しいです、鹿児島の公共交通機関!