今回の主役4名は、オープニングパーティーの意味を理解していないようだった。というより、行った経験がないと言っていた。搬入の日「明日は普段着で来る予定」と言っていたメンバーの一人に「そんな考えではダメだ」と注意した。
招待する側であり、作品を売る側であるから、少なくともスーツを着用するようにと言った。本当はスーツではなく、ステージ衣装のような、あるいは極端な仮装のような姿がいい。とにかく、ウルサめに「作家たるものは論」を色々と説明したので、当日、メンバーの一人がそれぞれのテーマカラーの蝶ネクタイを作ってきてくれた。これは嬉しかった。
とにかく、人に見てもらってナンボの仕事だ。それはもちろん、作品だけでなく作家自身を見られることにも繋がっている・・・。
地味なシャツを着てきた1名には、オープニング直前に僕が着古したリンゴ柄のシャツをプレゼントした。
パーティーには想像以上の人たちが来てくれた。みんなが祝福してくれていた。本当に良かった。この場の空気が何を物語っているのか、彼らに伝わっているといいな。
色々と書いていて、自分がジジイの立場であることを実感しています。
Category: news
ミカクニンテンのオープニングパーティー
ミカクニンテン無事終了
おかげさまで昨日(2/5)、ミカクニンテンが無事終了しました。僕は会期中3日しか足を運べませんでしたが、お客さんは常に途切れず、トータルで400人ほどの方々に鑑賞していただくことが出来ました。ご来場いただいた皆様、どうもありがとうございました。
今回は、企画・監修として携わり、作品の内容については最低限のアドバイスのみ、という役割に徹しました。26歳から22歳までの若手4人、展覧会を通じて何かしら得るものがあったと思いますが・・・どうだったのでしょうか。
自分が、最近感じている恐怖は、「イラストレーションという概念」が急速に「アニメやマンガ」と区別がつかなくなってきていることです。実際、もうそんな壁は存在しないのかも知れません。
当然、若者たちの営業活動領域というのは、コミケやアートイベント、web上ではpixivなどのサービスが中心になっているのでしょう。何の影響なのか一概には言えませんが、村上隆のようなハイアートがアニメや漫画と親和性が高いことにも起因しています。自分が心がけてきた、デザインやイラストの領域は、その間に挟まれた実に中途半端な立ち位置、と世の中からは受け取られているのかも知れませんし、そんなことは気にも止められていないのかも知れません。
自分の生き甲斐ややり甲斐は、影響を受けた時代性から「グラフィックデザインの文脈でのイラストレーション」にほぼ依存しています。
おそらく、この領域に関わる人の数は少なくなってくると思われます。だからこそやり甲斐がある。今回の展覧会のスタイルも、自分が肌で感じてきたやり方を若い世代に伝えたかっただけなのです。
これからの世界
内山節氏の「米大統領選が示したもの」。11月28日の記事ですが、何度も読み返したくなります。自分がここ15年ほどで感じていることが簡潔に表現されています。特に、結論の部分で自然や田舎に言及しているところ。そうなんです、建前、見栄や嘘のない世界です。僕はトランプの支持者ではありませんが、彼はかなり先を見据えた上で、今嫌われ者の役を演じているのではないかと思っています。思っている・・・というのは、そのように強く感じ続けていないと、自分が生きていく上でもストレスになってしまうからに他なりません。
今は世界が大混乱していますが、より良い世界に変化するための一歩であると、みんなが信じることが、一番必要とされている感覚です。この混乱を機に憎しみ合いや戦争が起こってしまうことだけは、何としてでも避けなくては。ヨーダも言っていました「恐れは怒りに怒りは憎しみに憎しみは苦痛へ」と。ひとまず恐れないことが大切ですよね。
ミカクニンテンの意味・2
「ミカクニンテン」
新しいイラストレーター展が始まります。
昨年の夏から準備を進めてきて、昨日(1/30)にようやく搬入を済ませてホッと一息ついたところです。展覧会を開催する意味を別の角度からお伝えします。僕は学生の頃、作品ファイルを持って、イラストレーターの個展会場やアートディレクターの事務所を訪ねて「僕はどうすればいいんですか?」「どうすれば、どうすれば?!」と究極の質問をぶつけまくっていました。イラストレーターになる方法は、今になるといろんな糸口があったと俯瞰できますが、当時は目の前の道が見えずにただただ必死に動いていたような気がします。
そんな中で、雑誌「イラストレーション」でその存在を知り、飛び込んだHBギャラリーには本当にお世話になりました。新人のファイルを預かるシステム(ギャラリー内で自由に閲覧できます)は、僕のように「公募展に弱い作風」でも仕事を紹介してもらう機会を生み、実際に僕にも仕事が来ました。その後、HBギャラリーにて個展を開いたことも3回ほどありますが、その人脈は今でも自分の創作活動の軸となっています。そして、個展を重ねていたほぼ同時期に、オーナーの唐仁原教久さん(鹿児島出身)が、福岡のアートディレクター春高壽人さんとタッグを組み「九州会」というグループを立ち上げ、幸運にも自分がそのメンバーに入れて頂いたのです。最近は活動休止状態ですが、福岡のイムズホールや(先ほど紹介した)HBギャラリーで何度かのグループ展を開催した思い出は、やはり自分史の中では重要な出来事となっています。あの当時、唐仁原さんはお幾つだったのか?・・・迷っている自分に声をかけて頂きました。そして、どれだけの精神的・物理的な負担を当時、自分から見た大人たちがしていたのか、今から考えると途方もないことなんです。
そして時が流れ、そんな自分も50歳になった。今、若手に対して何が出来るのか?という率直な疑問が浮かび上がってきたという訳です。時代も環境も変わり、若者の質も変わってきましたが、展覧会の持つ意味や、実際に人と会って会話を交わす意味は、ネット全盛の今だからこそ、昔よりも重要になってきたのではないかと感じているところです。
「ミカクニンテン」
カワサキシュン 園田美希子 ひだかみね YUTAKA.H
展覧会日時:2017年1月31日(火)〜2月5日(日) 11:00~19:00(最終日は17:00まで)
オープニングパーティー:1月31日(火)18:00より どなたでもお気軽にご参加・ご鑑賞ください。
場所:レトロフト Museo 〒892-0821 鹿児島市名山町2-1 レトロフト千歳ビル2F
ミカクニンテンの意味・1
「ミカクニンテン」
本日(1/31)より、新しいイラストレーター展が始まります。
タラデザイン専門学校で「イラストレーション」の授業を担当してから10年以上が過ぎました。優秀な学生を何名も見て来ましたが、実際に卒業してしばらく経つと、私の視界から彼らは消えてしまうのです。同じデザインのフィールドにいれば、存在がわかる筈なのですが・・・。おそらく、就職して落ち着き、創作の現場からは遠のいてしまうケースがほどんどではないかと思います。
彼らが視界から消える前に「何とか行動を起こさなければ」と、今年の夏に急遽思い立ち、卒業生の中から「敢えて就職せずに、フリーランスのイラストレーターを目指している若者」4名を選出しました。
広報ツールの制作は、同じくタラデザイン専門学校の卒業生で、デザイン事務所を運営しているスタジオペケペケさんにお願いしました。
「鹿児島ではポップカルチャー文脈の人材が育ちにくいのではないか?」と常日頃感じております。京都や福岡のように、全国や世界で勝負出来るアニメーションスタジオがあってもいい筈ですよね。イラストレーションのシーンも多様な人材が眠っている状況です。実際に彼らと話してみると、自分の才能を活かしたいけれど、どのように社会と接して行けば良いのか具体策は持ち合わせていないように感じます。ネット世代ならではの試行錯誤の毎日なのかも知れません。そこで(彼らに任せて)つけられた展覧会のタイトルは「ミカクニンテン」。誰にも知られていないのではないか?=「未確認」状態である不安と、私は描く人である「me描く人」であるという覚悟のダブルミーニングとなっています。
フレッシュな彼らの感性を是非、確かめにいらしてください。
「ミカクニンテン」
カワサキシュン 園田美希子 ひだかみね YUTAKA.H
展覧会日時:2017年1月31日(火)〜2月5日(日) 11:00~19:00(最終日は17:00まで)
オープニングパーティー:1月31日(火)18:00より どなたでもお気軽にご参加・ご鑑賞ください。
場所:レトロフト Museo 〒892-0821 鹿児島市名山町2-1 レトロフト千歳ビル2F
フュージョン
帰り道、フュージョンのような光景に出会うことがあります。
ここで言うフュージョンとは(自分にとっては)1975年から84年くらいまでの10年間流行していた音楽のことです。深夜のFMから流れてくる心地よい音楽・・・。クロスオーバー・イレブンやジェット・ストリームなどで紹介されていました。当時は中学〜高校の頃で、ほぼ無意識に摂取していたのですが、社会人になってから随分と研究しました。
こうした風景から、CTIやECMといったレーベルのアルバムジャケットや、鈴木英人氏のイラストなどが次々と浮かんできます。
2017年・酉年の年賀状
今年の年賀状に使用したイラストです。毎年、干支は必ず入れることにしていますが、今回の場合は、鳥〜唐揚げ〜ケンタッキーフライドチキン〜カーネルサンダースと発想を広げていきました。そのあとに、一番現実感のない鳥を想像して、翼竜を採用。カーネルおじさんと翼竜を結びつけるものとして、ドローンを思いついて・・・という流れだったと思います。
自分の場合、どんな作品でもそうですが、全く異質のものを融合させることがテーマなんです。その方が物語に膨らみや深みが出ると信じているからだと思います。
「吉利くんありがとう」完成
隣の地域にある吉利小学校が来年の3月をもって廃校となります。これに伴って作られた書籍「吉利くんありがとう」(過去記事)がついに完成、1月22日の南日本新聞で紹介していただきました。
企画・編集をされた満冨啓城さんは、毎週土曜日に行われている「アサカツ」のレギュラーメンバーなので、お話をする機会はたくさんあります。抜群の記憶力やタブレットを軽快に操作する様子、また歌い手としても有名・・・優しいお人柄・・・どこをとっても非の打ち所のないキャラクターです。そして、お若い。
どこからこの原動力が沸いてくるのか、まだきちんと聞いたことはないのですが、何かに突き動かされているような姿勢を感じられる方なのです。その「何か」ですが、平たく言ってしまえば「郷土愛」なのかも知れませんし、一方で「このままでは、ダメだ」という怒りなのかも知れません。
何れにしても次々にニュースを作り上げていく方なのです。
頼り甲斐のあるお父さん役、クリエイターとして、この地域の最重要人物と言っていい方なのです。
終わらない仕事が終わった
2015年の秋くらいから、ボリュームのある仕事をずーっとしていました。何百点描いたのか解りません。自分にとっての許容範囲を超えたものだったと猛反省。事実、何度かあった締め切りは殆ど守ることが出来ず迷惑のかけっぱなしでした。プロとしてあるまじき行為ですね。
ひとまず、昨日の深夜にようやく全てのイラストを納品しました。この後、修正作業があると思われますが、ものすごくホッとしています。イラストの仕事は、普通は2週間程度で完結する、手離れの良いものがほとんどなので・・・。
久しぶりの自由な気分の朝、何をしたかと言うと、年末に出来なかった大掃除を少しだけやりました。「大掃除を少し」っていう表現はおかしいと思われるかもしれませんが、普通の掃除とは気持ちが違うんです。画像は、食器棚の上に置かれているモノたち。このコーナーは今朝、大幅に見直しました。本棚を見ればその人が良くわかると言われていますが、こうした雑貨も然り、ですね。近所で暮らしている造形作家ヤマグチアキコさんの作品も飾られています。
断捨離ブームはもう去ったのでしょうか。家のあちこちに楽しいコーナーがあると、それ相応に気分も豊かになると自分は信じています。