ohtematic.com

news

date 2005.8.11
category living
tags
comments closed
RSS RSS 2.0

連載・幻想のスロウ・ライフ(2)


国立市の家が取り壊されてからほどなくして、父をくも膜下出血で突然亡くした。借家での葬儀は悲惨なものだった。遺骨を電車で運んだことも、腑に落ちなかった。父はあと1年で定年を迎え、故郷である鹿児島に帰り、老後を楽しむ予定だった。この瞬間から、鹿児島という場所が自分の中で大きな位置を占めていくことになる。僕はそれから12年ほどの間に、自分の中での「最後の東京」を試すために、国分寺—聖蹟桜ヶ丘—高島平—豪徳寺—幡ヶ谷—渋谷と引っ越しを重ねた。少しずつ家賃を上げていって、自分の創作活動に対するモチベーションを高めた。イラストレーターという仕事は、社会に対して個人で接しているため、何らかの目標を常に自分で設定しておかないと、ひたすら堕落してしまう。しかし、家賃を上げていくという方法は、10年ほどで限界点に達してしまったのだ、「この先には何もない」と。決して家賃が払えなくなった訳ではない。部屋それぞれに想い出はある。
お気に入りの店で買ってきたいろんな雑貨で飾り立てたり、レイアウトを工夫したり・・。「イラストレーターの部屋」ということで、雑誌やウェブ・マガジンの取材も幾つか受けた。そうした取材を受ければ受けるほど、これでいいのだろうか?という気持ちが高まってきた。仕上がった雑誌をめくれば、似たような生活をしている人たちと自分の差はまったく感じられない、カタログ文化の犠牲者という表現が適切だった。いくらいい部屋を借りても、上下左右には知らない住人がいる。深夜、うるさいということで警察に通報されたり、上階からの水漏れで、大切な資料が水浸しになったりと、アクシデントもつきまとった。自分の描いてきた生活が、徐々に遠のいていく様だった。いい場所にアトリエを構えるというステイタス、この世界では何となく存在するルールの様なもの、それが自分にとっては、もうどうでも良くなってしまった。この後、幾らか収入が上がったとしても、暮らしぶりそのものが、東京にいる限り劇的には変わらないという絶望感があった。テレビのサイズが何インチ上がったとか、お洒落なお店が近くにあるとか、車を買い換えたとか、その程度のことだろう。そんなことは、実際何にも解決してくれない。結局、日本の経済成長も、そうした壁にぶちあたって、人々は路頭に迷っている。モノがない頃は目標も立てやすかったし、成長も出来た。しかし、モノで溢れた後はどうなるのか?同じ話が自分自身にも降りかかった訳だ。これ以上、都市というシステムに体を預けるわけにはいかなくなっていった。利便性に対してお金を支払う、そして同時に様々なリスクも請け負う、それが都市の暮らしだと、自分を追い込んでいった。

Comments are closed.