連載・幻想のスロウ・ライフ(9)
07 豊かさの基軸2
豊かさの定義は様々あるが、環境問題、環境問題とあちこちで叫ばれるようになった。僕はエコロジストではないが、この問題を基軸とすることに異論を唱える人は少ないだろう。
まず、自分の住んでいる土地を愛すること、そして、その土地の中で可能な限り完全循環型社会を造り上げる。これは、テーマとしては面白いと思う。
時給から自給へ。幾ら稼げたか、ではなく、どれだけ自給や循環ができたか。(地域で作られた物を地域で消費する、いわゆる「地産地消」は、こちらに来てから、あちこちで耳にするようになった。)
僕が鹿児島に移り住んで、まず確保したのは、米と水であった。祖先が残してくれた水田を農家に貸して、お米を毎年頂いている。水は、敷地内の古井戸に手押しポンプを載せて復活させた。徐々にではあるが、イラストを描きながら自給率を高める作業をしている。
近代社会になる前は、どんな人でも生きていくための知恵を持っていた様に思う。それらは機械化され、自動化され、管理されることでことごとく体の外側に出ていってしまった。田舎暮らしを続けることで、少しずつその知恵を取り戻していきたいと思っている。
鹿児島に住み、初めて自分の家と庭(つまり家庭!)を持って気づいたことが幾つもある。都市では家庭の「庭」の部分を持つことがかなり難しい。この単純な問題が、都市における心の貧しさを生むきっかけになっていないか。庭の作用についてはいろいろと考えた。
庭のあちこちには、祖先から受け継いだ梅や柿の木が植わっている、季節が訪れ、その木から実をもいだ瞬間に、自分と祖先との時間の繋がりを実感するのだ。そうした木の横に、自分で新しく木を植えた時、自分が存在しない、100年後のこの土地を想像できるのである。こうした縦軸の感覚は、東京では得られないものであった。ビルこそ縦に伸びていったものの、その分、与えられた土地を愛するという縦軸の時間は完璧に比例して失われたと言っていいのではないだろうか。