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date 2011.3.20
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21世紀の残り90年をどう生きれば良いのか?(1)

21世紀の残り90年をどう生きれば良いのか?(1)

今回の震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
被災された方々やご親族の方々には一刻も早く通常の生活を取り戻して欲しいと願っております。
救援活動やボランティア活動で働いていらっしゃる方々、どうも有り難うございます。

3月11日の東北地方太平洋沖地震以降「ブログで書くべきこと」が脳内をグルグルと巡り、結果として何も吐き出せずにいました。今日から少しずつ書いていこうと思います。ベースとなっている考えは、本ブログで2005年にお伝えした「幻想のスロウ・ライフ」です(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)(9)(10)

地震、大津波。これは、人類の英知を結集しても防ぐ事の出来ない天災です。ただ、今回の原子力発電所の問題については、私たちが選んだ(半ば強要された?)「日本のあり方」ですので、これから先の暮らしで「果たして必要なのか」という選択を出来るだけ早い時期に決断しなくてはならないと思います。被災地の方々が放射能で悩まさせる事は、今後あってはなりません。これは単なるエネルギー政策だけの問題ではありません。

今回の地震は、これからの日本を考える上で様々な課題を残しました。なかでも、首都圏(あるいは都市部)と、地方(本当は田舎と表現したい)の関係性が浮き彫りになったと言えるのではないでしょうか。昔の日本は、農業従事者が多く、就労地域と生活地域がほぼ一致していました。お父さんが昼間も地域にいる状態、ですね。ところが高度経済成長のシステムの中で、父親に「通勤」というスタイルが生まれ、お父さんが地域に関わる時間が極端に少なくなっていった。通勤ラッシュの問題が発生。出身地域から出勤するのならまだマシですが、引っ越しして核家族を形成〜父母は地域に残すスタイルも増加。ここでは「子育て」が「孤育て」に変わるという問題も発生してきます。
また、一般的に、地方の視点で見ると、小中高と地域で育て上げた子供を首都圏の大学に出すのは珍しくありません。ここまではまだいいのですが、そのまま子供が首都圏に定住してしまう事も問題になっています。私の父はこのパターン。結局、投資して育成された人材が、そのまま首都圏に吸い取られてしまう構図です。会社もしかり、工場は田舎にあるけれども、本社はブランド力のある東京に置く。こうなると、工場のある地域で雇用は確保出来るものの、法人税などが東京に納められますから、税金の問題でも東京が有利になる。これに疑問を感じて「ふるさと納税制度」が生まれましたが、雀の涙といったところでしょう。
いわば、勝ち続けるゲームの様な状態の上で成り立っているのが首都圏ですから、潤うのはあたり前です。人口減少の問題を抱える日本にあって、未だに、年間10万人の人口が増え続けている(その分、田舎からは人が流出し続けている)。食糧自給率と少子化の問題が加速したのは、国民の中で都市指向者が増えている事とセットになっているんです。東京はスタイリッシュな街ですから、子作りをするムードではありません。居心地がいいので単身世帯も多い。今問題になっている節電。究極の方法は大家族がひとつ屋根の下で暮らす事なのではないでしょうか。
そして、最も問題なのは、今回の様にエネルギーと食糧を地方に依存していること。
首都圏では、どんなに地味に、ストイックな暮らしをしようと思っていても、自宅まで運ばれるエネルギーと食糧の問題(いわゆるフードマイレージ)において、相当な負荷がかかっています。そういった普段見えないリスクが、今回の震災で表面化したと言えます。
こうした首都圏と地方の関係性を見直し、再構築していく事が、これからの90年、21世紀の日本を作り上げる上で大変重要だと考えています。

Comments: 2 comments

  1. あけおば

    再構築ですか
    それぞれの利害関係や現状に慣れている人たちには
    なかなか難しい話かもしれませんが
    今回の災害が一石を投じたことは確かですね。
    政治も人の揚げ足をとったり引きずりおろしばかりに
    時間を費やしないで与野党が協力しあって
    これからの日本を考えなければならないと思います。
    自民党の谷垣さんどうして要請を辞退したんだろうか?!
    自分のもてる力を出す良い機会だったのに。
  2. ohtematic

    あけおば→
    世界に対して「これからの日本」を示す良い機会として捉えないと、何も変わりません。利害関係や現状に慣れている人?も、人生を考え直すとき。民主党が他党に協力要請したのは、責任逃れのためだと言われていますね。これもシニカルな見方なのかも知れませんけど。政治に頼る時代から、個人で生き延びる術を探す時代へ変わりました(震災とは関係なく、しばらく前からそういう空気はありましたね)。