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date 2012.5.28
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真似出来ないこと

真似出来ないこと

久しぶりに与次郎ケ浜にある、とあるラーメンやさんでラーメンを食べていたら、偶然、とあるグラフィックデザイナーに遭遇した。ちょっと前に、イラストを描いて渡してあったので「あれ、どうなった?」と訪ねたところ「コンペに落ちた」との答え。コンペを通過し、仕事を獲得したのは、ダークホース的に出て来たプロダクションで、通過したのは「安かったから」という理由だとか。最近、良くある話だ。内部事情は解らないが、勿論、落ちたアイデアの中にも取り入れたい要素はあるだろう。そういう部分を加味して、通過したチームに新たなリクエストを伝えて最終作業が進んでいくのだと思う。そういう意味で自分の作業は無駄になっていない筈、と自分に言い聞かせる。
僕は、こういうプレゼン落ちと呼ばれる状況にこれまで数えきれない程立ち会ってきたけれども、理想を言えば、全ての仕事はコンペであってはならない、と思う。何故なら、コンペにすれば「その中から選ばなくてはいけない」から。最悪のものばかり集まっている場合もあり得る。そして、最初のビジョンが曖昧なために、選択する責任を持てないまま最終決定まで行ってしまうケースも多いと思う。良い仕事のほとんどは、目標が明確だから、その時点でプレイヤーが決まる・・・指名したり、されたりという関係から生まれる場合が多いのではないか。出来上がったものが、他者が真似出来ないほど素晴らしければ、その関係性が続いても誰も文句は言えまい。もし・・・それを癒着と呼ばれるのが怖い、というだけでコンペが成り立っているのであれば、こんなに不幸な事はない。
今回は残念な結果だったけれども「真似出来ない何か」を作れる様に頑張っていくしかありません。

Comments: 5 comments

  1. おっしゃる通り、発注する側にこうなって欲しいというビジョンが無いことが失敗の原因だと思います。また行政の公平を測る尺度が、安さの他に無いことが問題です。結構無理しないといいものはできません。
  2. ohtematic

    アグリさん→
    まさに、そうなんですよね。公共の仕事の場合、安さを尺度にすると結局「安かろう悪かろう」になってしまう。市民の側も、イイものが出来たら(多少の予算がかかっても)素直に行政を褒めるとか、そういう関係性が成り立たないと、誰も幸せになれません。
    (アグリさんには指名して頂いたことがありました。その節は大変お世話になりました。)
  3. 私の尊敬するデザイナー(ディレクター)はベストオブベストのデザインを提案するので、B案C案なんて持っていかないそうです。
    ダメだったら全部捨てて、あらためて全力で提案し直す。
    なかなか覚悟と度胸がいるのですが、クライアントさんと正面から対峙すれば、B案C案という発想は出てこない。こんなデザイナーを指名するクライアントさんも、身銭を切るんですからたいがい本気なんじゃないかと思います。
    コンペはなんだか…苦手ですね。そもそも呼ばれないですけど…。
  4. 行政の一番の問題思い出しました。
    大きな建造物にはあるのでしょうが、予算の少ないポスターなどにはデザイン費というものが無いのです。
    印刷代金しかないので、印刷屋さんに「デザインも印刷代にブッ込んで値段と一緒に提案してね」ということになります。
    デザインやアイディアの価値を認めて、お金を払わないといけないと思っています。
    今のままでは、印刷代を払うときにはデザインはおまけで付いてくるという認識になってしまいます。
  5. ohtematic

    はなさん→
    それが理想の姿であり、本当の姿ですよね。そういう方はかなりの少数派だと思うのですが、制作者側は自分を磨き続けることで、今回の様な事態を回避出来るんですね。
    アグリさん→
    その問題は、行政に限らず民間にも浸透しています。何でデザイン料をとられるんだ?と。印刷所内にも有能なデザイナーがいて、印刷代の中にいろんな要素が含まれています。もっと、モジュール化していいと思います。ハウスメーカーが作る住宅と同じで、設計士の名前は見えないし、営業や広告費が建物に上乗せされている事に気づかれない。最近の熊本では、デザインと印刷の発注を分けて、コスト削減とレベルアップに成功した事例があります。徐々に変わって行くと信じたいですね。