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date 2012.7.5
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公開質問状

公開質問状

美術をかじっているハシクレとして、これだけはどうしても伝えたいと思いブログにアップします。
大学の先輩で、桜島に移住して22年・画家の野添宗男さんが中心となり(代表:関好明さん)、今回の鹿児島県知事選に出馬するお二人に公開質問状を送った件です。鹿児島の風景として貴重な存在だった「西田橋」に関するものです。告示日までの回答を求めましたが、現職側は公開質問状の受け取り自体を拒否。新人の向原さんはきちんと回答してくださいました。「ただの人気取り?」だと思われると困りますが、向原さんはずっと昔から、鹿児島の石橋については深い思い入れがありました。美術家で、現在は十和田市現代美術館副館長も務めていらっしゃる藤浩志さん(僕も何度か展覧会でご一緒させて頂きました)と一緒に、1996年「たけのはし」という絵本も出版しておられます(南方新社は、向原さんが代表を務める地元の出版社)。エネルギーだけでなく、鹿児島の歴史や文化、美術について考えるときも、お二人の姿勢の違いは明らかなのです。
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長くなりますが、公開質問状の内容と、向原さんの回答を以下に記しておきます。
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公開質問状の内容(大まかな内容は変更されていませんが、最終的な言葉遣いについては一部変更されている可能性があります)

 2011年の国難から二年目の今夏、鹿児島県政のリーダーを目指し次期県知事に立候補されることに敬意を表します。
 私たちは1993年8月のいわゆる「8.6水害」において、当時の鹿児島県行政によって「水害の要因となった」という理由で、甲突川上から
撤去・移設された県重要文化財「西田橋」をふくむ「五石橋」などの歴史遺産の現地保存を求めた市民運動の一環(ひとつ)、美術家が
中心となって取り組んだ「西田橋を拓本で残す会」であります。

(私たちのこれまでの活動については新聞・テレビ等で広く知られるとおりですが、添付資料をご参照ください)
 
 この度の県知事選挙にあたり、立候補された御二人に、次の点について公開質問という形をもって、私たちの長年の願いをお届けさせて
いただきます。
 ご多忙の極みと存じますが是非ご検討いただき、ご回答をお願いいたします。

 1.西田橋の現地保存運動のなかで生み出された「西田橋」の拓本原本と復現(元)パネルを「二十世紀の鹿児島県民が創りあげた文化財」と
して鹿児島県行政によって保存・継承していただくこと

 1.右の条の回答につきましては、公示日までに書面によってお願いいたします。

私たちは拓本活動にあたり、鹿児島県と協議を持ち、その結果認められて、工事を請け負った小牧建設も入れた「三者協定」を締結して
始めることが出来たのです。
 現場における拓本作業は、1996年1月13日に開始し、足掛け8ヶ月の時日(実動107日)とのべ2,000人を超える県内外の人たちの協同によって
「西田橋」の上・下流側面と内部構造など可能な限り、ほぼ全面にわたって写し採りました。
 さらに三年の歳月をかけて復現(元)作業は取り組まれて、畳300枚分のパネルに納め、全長57米 高サ9.5米に及ぶ下流側面図は完成しました。
それは見事に現地に架かっていた「西田橋」を彷彿とさせるものに仕上がっています。
 しかしそれは単なる写しに終わっているのではなく、その巨大な拓本を作っていく過程では様々な才能の創意工夫が集積され、期せずして
現代の美術状況にあって新たな価値観を創りあげているのです。
 「西田橋の拓本」は二十世紀の鹿児島県民の郷土愛や誇り、感性が結晶となった「新しい文化財」であるといっても過言ではありません。
その美術的レベルは著名美術評論家から「現代美術のトップをいくものだ」ときわめて高い評価を得ているのです。
 私たちはこれまでも「西田橋の拓本」が鹿児島県によって保存・継承されることを求め続けてきました。 
1999年10月5日、県文化振興課における交渉では、当時の課長から「その方向にむかって努力します」という回答をいただいたのですが、
後任課長によって否定されたまま、その後有効な協議をもつことなく現在に至っています。
 しかしその後13年間、私たちは三回の拓本全面公開をするなどしてアピールを続けながら、市民個人の協力を得て、原本と復現(元)パネルを
守り通してきました。(この間、拓本活動に関わった人たちは既に1万人を超えています)
 自然災害を多く経験し、原発をかかえる当県においてこそ、将来の行政としてのあり方として、主体的で創造的視野に裏付けされた新しい
発想がなによりも必要とされるのではないでしょうか。
 そのことが、県行政と県民間の信頼関係をより深め、魅力ある鹿児島県を発現させる力になると信じるからです。

平成24年6月13日 西田橋を拓本で残す会

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2012年6月19日

西田橋を拓本でのこす会 代表 関 好明様

    原発のない鹿児島をつくる会 代表 向原よしたか

前略
6月13日に書面にてお尋ねのあった件につき、次のように回答いたします。

 拓本原本と復現(元)パネルは、鹿児島県が保存・継承するべきものであると考えております。
 
 甲突川に架かっていた五石橋は、幕末の薩摩の歴史遺産であり、アーチ式石橋の最高傑作といわれるほどの石造技術の結晶でもありました。現地保存を望む多くの県民の願いは、県当局によって踏みにじられ、移設が強行されました。その記憶は消えることがありません。歴史的環境の「移設という名の破壊」は、鹿児島の美意識と品位を損ない、その心根を深いところで傷つけたと考えています。
 西田橋の拓本は、文化破壊をよしとしない人びとの思いが結実したものであり、それ自体が保存・継承すべき価値をもつものだと考えます。よって上記の通り回答いたします。

草々

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