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date 2006.8.3
category garden
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庭掃除


久しぶりに庭掃除をした。陽射しがちょっと緩めだったので・・・。引っ越してきて間もない頃は、植物を切るなんてとんでもない!と思っていたが、最近ではチョキチョキ、ギコギコと草やら木やらをどんどん切る。人間が手を入れないと、植物たちにとっても良くない場合がある。勿論、植物の言葉が解る訳ではないので、本当の所はどうなんだ?と思う訳ですが。今年は、ナシの木がいわゆる「オモテ」の年で、ご覧の通り、沢山の実をつけている。しかし、このままだと自重で枝が折れてしまうんですね。そうなる前に、実をとったり、枝を切ったり。それが梨のためになるのかどうか解りませんが、とりあえず、そんな作業を続けたんです。マイケル・フランクスが、アントニオ・カルロス・ジョビンに追悼の意を込めて発表した「アバンダンド・ガーデン」というアルバムがありますが、こんな悲しいタイトルを僕は他に知りません。庭を諦める時、人はその一生を閉じるんだと思います。ギコギコやっているうちは、まだまだ若いという事なのでしょう。

Comments: 4 comments

  1. Nozomi.K

    えー、そうなんですか。人生をまだ諦めたくないので、やっぱり庭の手入をすることにします。
    去年あたりから、狭い庭で野菜を作り始めたんですけど、すぐそばに木があるので、木が肥料を全部持って行っちゃうのか、日光が届きにくいのか、なかなか野菜が育たないんですよ。「サツマイモだったら手間もいらないし、痩せた土地でもいいよ」と聞いたので、秋は最後の頼みでイモに賭けてみようかと思ってます。「ウチでサツマイモ作ってます」って「鹿児島」な感じがしていいでしょう?
  2. Nozomi.Kさん→
    家と庭はセットですよね。家の寿命は50-100年だとしても、庭は半永久的。そういう意味で、庭を諦めるというのは、遺伝子を子孫に残す事を諦める事にも繋がります。うちの庭も、祖先から受け継いだものがベースになっていて、今でもその知恵や実りを享受出来ています。
    サツマイモ、うちでも作っています。隣のおじさんが、苗が余ったので・・ということで、植え付けまでして頂いたという・・・。カライモと表現した方が、よりディープな感じがしますよね。確かに、手入れは必要ナシです。ただ、掘り起こす時期を誤ると霜にやられます。
  3. ひゃくとう

    マイケル・フランクスが、アントニオ・カルロス・ジョビンに追悼の意を込めて発表した・・・・というだけで泣けますね。
    「アバンダンド・ガーデン」荒廃した庭園~を訪れる機会は、年齢を重ねる毎に増えていくような気がします。でも、その分この世に対する執着心も減少していくので、人生は上手く出来ているという事かも知れませんが・・・・久しぶりのザ・アート・オブ・ティーを聞きながら書いているので、感傷的になっているよう~へへへッ。
  4. ひゃくとうさん→
    この世に対する執着心が薄れていく感覚・・・今はまだ実感出来ませんが、そろそろ芽生えてくるのか!?とりあえず、まだ欲しいモノが沢山あったり、欲望は果てしない状態なのですが・・・。
    アバンダンド・・・は、アート・オブ・ティーとは違う、晩秋の香りのする名作です。今度、タイムトンネルで聴きましょう。似合わないと思いますが。