南の国から 2005 時代
都市生活をしている頃、春の訪れに対して、抵抗があった。というより、春そのものがキライであった。人々の浮き足立つ様を見かけるたびに、逆に憂鬱になっていた。花粉症を患っていたのもひとつの原因だろう。「春は自分の季節ではない」と割り切っていたのだった。ところが、鹿児島に引っ越してからは、浮き足立つ人々を見かけることもなくなり(うちの近所では、人が歩いていない)、花粉症も治った。何より、木々の新芽や、花が咲き始める様子が、自分の感情に直接作用することを確信したのである「君も動き出せ」と。都会にいた頃は、そのような気持ちを閉ざしていたのだろう。浮き足立っている人たちは、そういう状態に素直な人たちだったのですね、ごめんなさい、嫌ってしまって。先日、お昼の番組で、新年度が始まるのは何故4月か?という話題を取り上げていた。「田植えの時期に合わせて」という結論だったが、まったくもって、正しいです!植物に合わせて生活するのが基本だと思います。
(写真は、先ほど撮ったオーテマ・ハウスの植物たちです。)
トーマス
2005/04/15 21:16
気象を敏感に感知して、遅すぎず早すぎず季節を
的確に知らせてくれます。
桜の開花宣言に一喜一憂してしまうのは、植物という
「季節の権威」がくれる、春のお墨付きを心待ちにしている
からかもしれません。
カレンダーにすり合わせている普段の生活を、ちょっとだけ
花暦にシフトして外を見渡すと、別の時間軸があることに
気付かされます。
マティック
2005/04/15 21:48