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date 2005.4.15
category garden
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南の国から 2005 時代


都市生活をしている頃、春の訪れに対して、抵抗があった。というより、春そのものがキライであった。人々の浮き足立つ様を見かけるたびに、逆に憂鬱になっていた。花粉症を患っていたのもひとつの原因だろう。「春は自分の季節ではない」と割り切っていたのだった。ところが、鹿児島に引っ越してからは、浮き足立つ人々を見かけることもなくなり(うちの近所では、人が歩いていない)、花粉症も治った。何より、木々の新芽や、花が咲き始める様子が、自分の感情に直接作用することを確信したのである「君も動き出せ」と。都会にいた頃は、そのような気持ちを閉ざしていたのだろう。浮き足立っている人たちは、そういう状態に素直な人たちだったのですね、ごめんなさい、嫌ってしまって。先日、お昼の番組で、新年度が始まるのは何故4月か?という話題を取り上げていた。「田植えの時期に合わせて」という結論だったが、まったくもって、正しいです!植物に合わせて生活するのが基本だと思います。
(写真は、先ほど撮ったオーテマ・ハウスの植物たちです。)

Comments: 2 comments

  1. トーマス

    花暦という言葉があるように、植物はその年の
    気象を敏感に感知して、遅すぎず早すぎず季節を
    的確に知らせてくれます。
    桜の開花宣言に一喜一憂してしまうのは、植物という
    「季節の権威」がくれる、春のお墨付きを心待ちにしている
    からかもしれません。
    カレンダーにすり合わせている普段の生活を、ちょっとだけ
    花暦にシフトして外を見渡すと、別の時間軸があることに
    気付かされます。
  2. おっしゃる通りだと思います。田んぼのあぜ道に桜の木が植えてあるのは、そうした時間を計っているからだそうですね。昔、民俗学で習いました。地球は確かに365日で太陽の周りを一周しているのでしょうが、宇宙自体も生き物、毎年、ズレはあるんですよね。花暦を頼りに暮らせるようになりたいものです。