
昨年、南日本新聞に掲載された「南点」(全13回)を振り返ってみようと思います。約800字という制限の中で言いたい事が伝わったのかどうか。読み逃した方々へ向けて、全文と補足説明を本ブログで紹介していきます。
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好奇心の「振り幅」
インターネットが普及して世界は狭くなった。遠くの友達に一瞬でメッセージが送れたり、遠くの国から欲しいものを取り寄せたり。しかし自分の世界まで狭くなってしまうのはいかがなものか。
桜島を描くとき、あるいは女性を描くとき、スケッチブックを片手に「まずは自分の目で捉えよう」と試みるのが、これまでは当たり前の行為であった。しかし今の画学生はそのイメージをインターネットで検索する。世界中の人が撮影した桜島や女性が瞬時に画面に表示されるのだ。そうして得られた画像の中から、自分好みの数点を抽出する。それは一見「自由な行い」なのだが、冷静に考えれば非常に視野の狭い情報しか得られていない。 絵画に限らず、大学のレポートをネット上の記事からいわゆる「コピーアンドペースト」で組み上げていく手法も問題になっている。
結果として二次情報や三次情報を参考にした「四次情報」を造り出してしまうことは誰が見ても明らかである。 表面的に格好はついても、コンテクスト(歴史や背景)が皆無であるから、 それらが持つ魅力というのはとても薄く、ごく狭い範囲の層にしか訴求出来ないのである。「人々の興味が細分化された現代ではやむを得ない」と開き直るのは簡単な事だ。しかし遠く離れた場所に住む、より多くの人にメッセージを届けようとチャレンジする場合は、「インターネットと自分」という関係を常に疑うべきなのである。私もインターネットの力を最大限に活用しながら仕事をしているので、その技術の信頼出来る部分とそうでない部分を意識的に分けている。
子供が昆虫好きなので、パソコン上で様々な昆虫を調べる機会が増えて来た。しかし「脳化社会」の住人にならない様、検索した後はなるべく外に出て本物を探しにいく。日置市での暮らしで恵まれている点は、インターネットからの情報と自然界での体験の間にある「振り幅」が非常に広く深い事だ。
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僕の世代が恵まれているのは、技術の進化とともに、感性も並行して膨らんでいった点だ(それが勘違いであっても)。日本も今の様に成熟していなかったし、例えばテレビヒーローものも手探りで作られていたと思う。そういう楽しさを伝えられたら・・・と思うけれど、現在はジュラシックパークに代表される様なCGI、クレイアニメ、パペットアニメ、手描きアニメなどがフラットな世界に時間軸もなく並んでいる。何が出て来ても驚かない社会になっている。これらが子供たちにとって、どのように認識、整理されていくのか解らないが、リアルワールドだけは、そんな状況と向かい合う事が出来る筈。