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date 2012.2.25
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南日本新聞「南点」を振り返る(13・最終回)

南日本新聞「南点」を振り返る(13・最終回)

昨年、南日本新聞に掲載された「南点」(全13回)を振り返ってみようと思います。約800字という制限の中で言いたい事が伝わったのかどうか。読み逃した方々へ向けて、全文と追記を本ブログで紹介していきます。
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風の歌を聴け!

 1954年の映画「ゴジラ」は第五福竜丸の問題を受けて誕生した。東京を襲撃する姿は、311を予言しているかの様だ。また、1970年の大阪万博における岡本太郎の「太陽の塔」は原始美術からの影響を色濃く受けた存在で「人類の進歩と調和」というテーマに対して強烈なメッセージを投げかけている。鹿児島においても、8・6水害の後、行政側が解体を決定した五石橋の保存を訴えたのは芸術家を中心とするグループだった。発表の場がSF映画であろうと、博覧会であろうと、街の中であろうと構わない。いつでも芸術家達の活動は、生物の魂や人間の尊厳が原点に置かれている。経済性や安全性が優先される社会とは対極にある。
 今年を表す漢字が「絆」だと聞いて私は愕然とした。とてつもなく安っぽい、他人事の様な意味しか感じ取れない。人類の英知を見直す場面で、むしろ賞賛している様に受け取れる。私はシニカルなのだろうか。多くの震災関連の番組が「史上最悪の事態」を「感動悲話」へと変換させてしまった事が原因なのだろうか。日本人の想像力の儚さが浮き彫りになっている。
「文字が誕生する以前、季節や時間は自然観察によって知ることが出来たが、現代ではスケジュール帳ばかりを見ている」 叔父の一周忌で聞いた興味深い法話の内容だ。ハッとさせられた。絆に頼って急いで復興するよりも、自然界からの声に耳を傾ける事の方が遥かに生物として賢いのではないだろうか。時間はかかるかも知れないけれども、耳を澄ましてみればいい。ただし、本気で。  
 桜島の勇姿を拝みたいがために「これでもか!」と巨大な建築物が背伸びをし合って林立している。鹿児島は季節のない街へ変貌したいのだろうか。四角い空を望んでいるのだろうか。こういう事を続けているうちは、人類はまだまだ駄目だ。「早くこのビルを降りましょう」と上司に必死に訴えかける若者が、どれだけ増えるか。2011年が時代の境界線となる様祈りたい。自分も変化したい。

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追記:
最終回ということで、書きたい様に書いた印象があります。タイトルの「風の歌を聴け」というのは村上春樹の小説でもあるし、オリジナル・ラヴの大ヒットアルバムでもありますね。両者とも、時期は違いますが自分に影響を与えた作品です。今回の記事に何故引用したのか?というと、とにかく「自然にもっと触れて欲しい」という願いからスッと出て来ただけなんです。先日、東京在住の文化人とお話をする機会があって「周りで『絆』商戦が始まっている!」と伺いました。危険なことだと思います。冷静になって状況を見つめると、一度決まったシステムを止められない社会というものが浮き彫りになってきます。絆を強めるというよりは、どちらかと言えば、自分でも気がつかずに癒着している悪い関係性に気づいて、断ち切ったりすることの方が重要なのではないでしょうか。「ビルを降りましょう」という台詞は、雑誌「ku:nel」51号で読んだ、スターネットの馬場浩史さんの記事の影響を受けてのものです。集合住宅、高層ビルについては以前から「もう要らない」と発言し続けてきました。「自分も変化したい」という部分については、イラストレーターとして社会に何が出来るのか?という見直しが一番だと考えています。追って報告します。
(写真は九州電力・川内原子力発電所・自宅から直線距離で35キロほど)

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