
自分の成り立ちを「成分表の様に」時代ごとに区切ってみる。僕は昭和の時代を22年、平成を26年生きてきた。昭和の男だと思っていたけど、平成成分の方が多い。また、社会に出てからの歴史は、東京時代10年、鹿児島が15年だ。つまり、鹿児島成分の方が多い。東京にいる頃と、細胞は入れ替わっているだろうから、昔の自分とは別の人間と言ってもいいと思う。自分が何を考えてきたのか、ぼんやりとしているし「これから何を考えて行くのか?」という事についてもぼんやりとしている。子供は日々成長していることが手に取るように解ったりするけど、親も、変わって行く。今日の家族には、今日しか会えない。