川内原発再稼働に関して思うこと
今年の4月22日、本ブログにこんな記事を書いている
〜〜〜川内原発の再稼動差し止めを求める住民の希望が鹿児島地裁によって却下された・・・先日、高浜原発を巡って同様の裁判が行われ、「司法は生きていた!」と住民の希望が通っただけに、本当に残念な結果だ・・・。〜〜〜
8月8日に東市来の総合福祉センターで観た映画「日本と原発」の監督が、まさにこの高浜原発のときに勝利を勝ち取った弁護士の河合弘之さんであった。この映画の中で「この判決文は水平展開出来るので全国の原発を止めます」というような発言もあった。
鹿児島が再稼働の一番手になってしまうことについては、いろんな考えがある。東京から離れていることや、県民が大人しいことなどは、良く聞かれる話である。しかし歴史を遡れば、鹿児島県民の中に「勝ち取る」という成功体験が皆無であることも浮かび上がってくる。鹿児島は明治維新に貢献したと言われているが、実際は西南戦争で敗れ、有能な人材を数多く失ってしまった。その結果、とある賢人の台詞を拝借すれば鹿児島は「出がらし文化」の地域であると言う。そうなのかも知れない。また、別の人に話を聞いたときには、更に話が遡って、薩摩は外様であったことも、再稼働に影響しているのではないかということであった・・・。日本国側からみれば沖縄と同じく「占領地」という感覚で見られているという。歴史には明るくないが、果たしてこうしたことも要因なのであろうか・・・。
震災直後に、鹿児島の公職につくトップクラスの人から直接聞いた忘れられない言葉がある「鹿児島は一万年タームで見れば灰の下に埋もれてしまう」。その通りだ・・・再稼働に関する新しい規制基準はまったく意味のないもの。目先の利益ではなく、10万年、100万年先を見据えた上で、今廃炉の決断に踏み切って欲しい。これからの時代の準備は、もういろんなところで実行に移されており、本気になればすぐに自然エネルギーへシフト出来る・・・。答えは出ている。
友人たちが必死の思いで再稼働反対の運動をしている。自分も手伝えることが少しだけあったが、実際には暮らしを優先させてしまう日常である。速やかな廃炉への政治判断に期待したい。