ohtematic.com

news

date 2007.9.6
category garden
tags
comments closed
RSS RSS 2.0

友人の「濃すぎる」日記


先日のブログで「吹上町の史跡に感動していた友人」を紹介しましたが、彼がmixi上にアップした記事が素晴らしいものだったので紹介しておきます。本人には了承済み、です。やはり歴史はきちんと勉強しなくてはいけませんね。写真は吹上町にある「久多島神社」で、記事とは直接関係ありません。
それでは・・・かなりの長文ですが・・・どうぞ
****
屋久島ツアーの後、鹿児島天文館に3泊した。色々とプランはあったのだがじっくり鹿児島市内を3日間散策することにした。元々歴史が好きで今までも史跡や遺跡を中心に旅行をしてきた。鹿児島は憧れの地である。近代日本の発祥地であり、武士の終焉の地であると勝手に思い込んでいる。一朝一夕に開国が成された訳ではない。長い年月を掛けて財や人、気風を育て上げ熟成させていかなければならない。そんな独特の気焔を持った独立国のような印象がある。
いつも通りというか何というか、石碑・寺・神社・墓地・城跡・庭園などを中心に見て歩く。記念館(全てではないが)や観光スポットにはあまり興味が湧かない。歴史を餌に愛情や情熱の欠落した金儲け主義の浅はかな施設の所産を感じるのである。繰り返して言うが素晴らしい記念館もある。観光が売り物である以上、観光施設があることは当然のことであるが、観光施設、資源に関しての在り方、取り扱い方が問題になってくると思う。地方行政に関しては別の項で触れる。
また話が脱線したが、何はさておき南洲墓地(南洲神社)に行ってきた。明治10年の日本最大で最後の内乱、西南戦争で亡くなった2023柱、約750基の墓碑が並ぶ。西郷翁の賊名が除かれ正三位の追贈があったのが明治22年、社号が許されたのが大正11年、桐野・篠原以下諸将士の御霊を祀る摂社ができたのが、何と昭和2年のことである。未だ靖国には御霊はない。幕末以来、国の為に死力を尽くし無我夢中で駆けてきた士族たちが一転、国家の逆賊として扱われることの哀しみは如何ばかりだったろうと胸が痛む。それぞれが立場は違えども国の為に命を懸けるなどと今では全く想像すらできない状況下を直向に懸命に生きていた人達に敬意を表し、手を合わさずにはいられない。現在の安穏とした当たり前の平和はこの人たちの血の上、死灰の上に形成されている。今の体たらくは、一体何だろうか。全くもってこの人達に顔向けができない。悔しくて涙が出てくる。南国の凄まじい太陽に焼かれつつそう思った。
1時間あまり写真を撮りつつ、墓地をうろついていると南洲墓地の語り部という御爺さんが話しかけてきて色々と説明をして頂いた。中心に西郷翁の墓碑があるが、高位の人が必ずしも前面に墓碑があるわけではないこと、各将士の後ろには兄弟の墓碑があり、仲の良かった友達同士で墓碑が寄り合っていること。西郷さんを慕って中津で同士を集め同行し城山で戦死した福沢諭吉の従兄弟増田宋太郎の墓、この戦争で兄弟5人が亡くなった児玉兄弟の墓、狙撃隊長として従軍し城山洞窟の前で最後の晩に薩摩琵琶を弾いた蒲生彦四郎のこと、日清戦争後、シナに渡り馬賊の頭目になった辺見十郎太の長男・勇彦の話。292名で城山にこもり6000の政府軍から総攻撃を受けた薩軍のこと。墓地に隣接した西郷南洲顕彰館の中まで御同道頂いた。特に刀の話は興味深かった。反りのない薩摩刀の話、佐々木小次郎の刀より2寸も長い辺見十郎太の4尺4寸の刀の(約134センチ)実物は圧巻だった。通常3尺の長さであり、如何に偉丈夫で豪傑であったかが刀を見ただけてわかる(身長180センチ、薬丸示現流の達人であったという)真に軍神であったとの事。人斬り半次郎も種々の示現流を学んでおり横にはらう一の太刀を使うことから竜馬や中岡慎太郎の暗殺を疑われた話(最も20センチ近く!も切り口が深いことが特徴だったので別人であるとのこと)西郷翁の肖像も現在のものでほぼ間違いがない事、鹿児島では大久保利通より川路良利の方が人気がないことなど、田原坂では火気銃器の差で負けたのではなく、長雨に負けたと仰っていた。暑い中、長時間に渡りご教授頂いた西田さん本当に有難う御座いました。いつまでもお元気でいらして下さい。
安政の大獄から明治維新を挟み西南戦争までの18年の間に歴史の転換期とはいえ多くの優秀な人材が落命する。乱暴な言い方をすると残った人材は2流の人材ということである。その後の明治政府を作り上げたのは2流の人ばかりであると。現在まで連綿と続く官僚支配の腐敗した世の中もこの時点より始まっている。政治家や役人が私利私欲の為に動くなどは言語道断である。自身の土地すら持つことを不浄とした清廉潔白な武士道は、西南戦争で全て潰えてしまった。立場は違えど政府軍側にも大勢の死傷者がでた。大分県の護国神社に西南戦争で戦没した多くの警察官が眠っている。戊辰戦争の恨みをはらすべく警視庁抜刀隊に参加したものはやはり東北出身者が多かったようだ。会津の家老・佐川官兵衛や元新選組の斉藤一(彼は西南戦争において「勲七等旭日章」を受勲する戦功を立てる)や元新選組隊士も彼らの恨みを逆手にとって薩摩抜刀隊対策として彼らをあたらせた。(維新後、明治2年に会津藩は斗南藩3万石(現在の青森県北部)へ封じ込められ大変な苦労をする。)官、賊に別れ、維新戦役の盟友たちが同じ地域の親友、兄弟同士で殺し合い、南九州は焦土と化し、庶民が長きに渡り辛酸をなめる事になり多くの尊い人材が失われた。財政的にも大ダメージを受けた時の政府が手にしたものは、反抗分子を武力の力で徹底弾圧をするという中央集権的な官僚支配の国家であった。
官、賊関係なく国家の為に死力を尽くした人達に敬意を表すると同時に稚拙で汚らしくモラルの無い現在の国家、議員、官僚たちに憤るばかりである。全くもって恥ずるべく現状に愛国心や郷土愛など、どうして育つだろうか。ジリジリと真夏の太陽に包まれつつ強い憔悴感に打ち拉がれ、何もできていない何もしていない自分を噛み締めて神社の階段を下りた。

Comments: 4 comments

  1. 幻の12日間

    長いな~。って一番最初に私がコメント書くのもおかしな話ですが。大変お世話になりました。本当に充実した旅行ができました。皆様のおかげだと偏に感謝をしております。今回の旅行の必然性を強く感じています。今だ熱情冷めやらず、ひとつひとつ見たもの感じたものの検証をしております。
    いいから働け!って感じですが。。
    まだまだ旅行記続きそうですが、皆 ドン引きしてるみたいな・・・・・
  2. 幻の12日間さん→
    いやあ、長いッスね・・・。基本は、長さと内容でドン引きしているんですけど、結局は脳がついていかないというだけで・・・。詳しい人が読んだらかなり面白い筈!です。僕もスターウォーズの設定資料やキャラクターの名前ばかり覚えないで、鹿児島にゆかりのあるリアルキャラを覚えることにします。スターウォーズのキャラも実在していたかも知れないけどね!
  3. パスキア

    イイクニ(1192年)作ろう鎌倉幕府しかしらないパスキアです。
    が、そんな自分でも郷土の歴史通を装ってしまいたくなるような
    秀逸なブログ(もはや人気歴史雑誌の連載コラム級)ですね。
    さらっと楽しませていただきました。
    機会があればご一緒させていただきたいものです。
  4. バスキアさん→
    この記事は、そのままF上印刷さんのフリーペーパーなどに連載してもイイのでは?と思ってしまいますが・・・如何でしょうか。
    第二弾もお楽しみに。