代車
先日、3日ほど「代車」に乗っていました。普段自分が乗っている車よりも、数段性能が良い最新鋭の車。ちょっとした動作にも機敏に反応、加速も減速もスムースである。静粛性のせいか、ステレオの音もそこそこいい。カーナビもついている。しかし何かが物足りない。物足りないというよりは、モノ足りすぎて主張がないというか、個性がないというか。オール5の優等生なんですね。いや、オール5ならまだしも「何でもない」という透明感を身にまとっている。どこかが欠けているとか、デザインが極端に悪いだとか、そういう「引っかかり」の部分に対して人間は愛情を注ぐ、愛着がわく。これだけ車が作り続けられるという事は、愛情を注げない構造になっている—すんなりと買い換えられてしまうという事なんでしょう。30万㎞くらいは乗り続けたいですよね。
アグリステーション
2009/11/08 07:29
20年前カワサキのバイクに乗っていたことは、オイルが漏れて当たり前でした。それがイヤならホンダにしろとみんなカワサキに愛着を持っていました。
妻の車であったスズキセルボモードはできはいいのですが、今の軽からするとやはりポンコツでした。
しかし、1人で乗っているとその振動と雑音が身体のなかで一体になり、自分が車に溶けて自分が機械の一部になったような、機械の身体なのか、わからなくなる心地いい時間を何度も味わいました。
他の車では、味わったことがありません。
今の機械は技術が進化しすぎて、機械のほうが触らないでねと人間を排除している冷たさがあります。
マティック
2009/11/08 07:42
おっしゃっている事、非常に良く解ります。車の性能が上がっているのに、事故数が増えているという現状は、自分で運転している自覚がないという事だと思うんです。坂道では、自然とドライバーも前のめりになって「がんばれ、がんばれ」と車に対して語りかけるような、そんな車が本当は理想なんでしょうけどね。そういう車に僕も乗っていました。体の延長であればいいのに、拡張になっている気がします。