しまじろう・デジタル
毎朝、餌をねだりに来る野良猫の「しまじろう」。僕が2階で起きあがった音を聞きつけ、階段を下りきる頃には定位置で「ニャ〜ン」と鳴きながら待っている。温和な性格、力持ち。今回は猫の話ではなく、単なるサンプルとして「しまじろう」に登場してもらった・・クリックして別画面に表示してもらうと解りやすいのです。昨年末、ようやく手に入れたCanonのEOS20D、その解像度についてなのですが、画像を拡大していくと、鼻の「湿り気」や凹凸(細胞?)が手に取るように解ると思います、これが結構スゴイ!肉眼では湿っている事は解っても、このような状態では認識されていないだろう。何気ない写真が、観察記録的な意味合いを持つようになってきているのだ。デジタル記録全般に言えることだが、客観的なリアリティという点では間違いなく進化してきている、しかし主観的には、どうなのだろうか?人間は全体のピントに気を配りつつも、心理的には一点しか見られない。これまでの銀塩写真やフィルムで捉えられた画像・映像はそのような人間の生理に近いものであった。3DCGの立体感が不自然なのは、そのポイントを意識しづらいからである。心理的なリアリティという点では、これからもアナログが親しみやすいのかも知れない(アナログ世代の人口が減れば、簡単に忘れられてしまう)。時代によってリアリティの意味が変わっていくことは、当然と言えば当然か。果たしてこの様なデジタル記録が必要なのかと疑問を感じつつも、未体験のスリルを求めてシャッターを切るのであった。