連載・幻想のスロウ・ライフ(4)
02 さようなら東京
2000年、10年間の準備期間を経て、東シナ海に面した鹿児島県日置市吹上町に引っ越しをした。祖父が暮らしていた450坪の敷地に、40坪程の家を建てた。自分にとってはIターン、世代を越えた意味ではUターンであった。
10年の間に、僕は都市を捨てる準備をいろいろと始めていたが、その作業を加速させた一番の原因はインターネットの発達であった。「これなら都市と距離を置いても仕事が出来る」という勇気を与えてくれた技術。大企業も個人も、まったく同じフィールドを与えられる、というシステムはこれまでに存在しなかった。コンピュータが行き渡らない国がまだまだあるにせよ、資金力と権力が結びつかない時代の始まり。距離と時間の概念が変わる、同じ志を持った人が国境を越えて結びついてゆく、突然、そんな状況が訪れた。
これまでの仕事を継続させていく確信はまったくなかった。しかし、この技術は自分を変化させるきっかけになるという思いが高まり、実験台になる覚悟で都市を離れた。
実際、僕はハイテクと呼ばれるものを毛嫌いしたことはない。むしろ、かなり好きなタイプである。こうした文明の力を信じている人こそ、田舎暮らしに向いているとも言えるのではないか。「動かずして、旅が出来る」という概念が信じられれば、問題はない。僕の仕事はデジタルにどっぷりと浸かった毎日で、電磁波を浴びすぎていたのか、反動として緑を欲しがるようになっていた。背反してはいるものの、自然環境に対してデジタル技術を持ち込むことは容易である。その逆は難しい。
元々、イラストレーターを志した理由のひとつとして、「不特定多数・遠距離」の人たちと時間を超えてコミュニケーションをとりたい、という願望があった。卒業制作もそうしたコンセプトで、24時間、どこへでも行ける展示空間を作った。内容は、キャスターのついたガラスケースを自作し、蛍光灯を取り付け、その中に作品を入れるというお粗末なものだったが。もしその頃、インターネットが発達していたらこんなテーマも成り立たなかった訳だ。
実際、都市を離れて、会社を離れて仕事が出来るかどうか、ということは今、多くの人が抱えている疑問だと思う。しかし、そういう人たちに敢えて言いたい「今すぐに離れろ!」と。離れた人にしか味わえない答えが、必ず用意されている。