西田橋の拓本と美術家たち 10年展 搬入
明日21日より25日まで、鹿児島県立歴史資料センター「黎明館」にて、ten ten(西田橋の拓本と美術家たち 10年展)が開催されます。時間は午前9時から午後5時。昨日、今日はその搬入でした。
僕の作品は来年度の南日本放送「かごしまlife」に使用されるビジュアルを、拓本に合わせてモノクローム化させ、再構成したものです。B2サイズ、12枚の組作品となっています。
私、マティックの会場当番は、明日21日の12時から17時となっております。皆さん、会場でお会いしましょう!
最後に、今回の展示の代表である関 好明さん(南瞑館館長)の挨拶文を転記しておきます。
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1993年、未曾有の鹿児島の8.6水害から今年で12年の歳月が流れ、甲突川に架かっていた五石橋は、周辺住民の安全第一を理由とする行政の判断から全て撤去されました。
8.6水害は、果たして自然災害としてのみ、とらえてよいのでしょうか。街を創る、都市を創るなかで、歴史や文化に対する基本的な発想の欠如から、西田橋をはじめとする多くの歴史的遺産は撤去されたのだと考える今日この頃です。
鹿児島の史と景の象徴的存在であった五石橋は、明治維新以降、戦前、戦後を通して幾度となく撤去の危機にさらされてきました。その都度、この地の歴史的環境を愛おしむ、良識ある多くの市民の声と行動によって石橋は現地に守られ、行政の対応にも変化が出始めていたのです。やっと「五石橋を中心とした街づくり」が当時の赤崎市長によって表明された矢先、8.6水害は起こりました。
甲突川にかかる五石橋は、日本では類を見ない歴史的環境構造物であり、その景観は独自の歴史的風土をつくり、市民の誇りであり、心のよりどころでした。今、その石橋群は甲突川にはありません。
開発や利便性が優先する中で、今また和田川の「潮見橋」が撤去されようとしています。
歴史的環境をつくる文化財が相変わらず軽視されつづけていると感じるのは、私たちだけではないでしょう。
五石橋が撤去されることに抗して、多数の市民が立ち上がり「石橋」の現地保存を目指しました。その一環として1996年1月13日から述べ107日間の日数をかけて美術家たいが中心となって「西田橋」を「拓本」に採りました。これは既存のイデオロギーや政治的スローガンではなく、美術家の人間的心情に根ざした「本能」ともいえる行動でした。
拓本は、過去史はなかった大がかりな取り組みで、世界に類を見ない新しい文化活動でした。拓本は西田橋に対しての鎮魂の意味だけではなく、人間が社会生活を営む上での、文明と文化に於ける基本的な問題の提起なのです。
歴史的建造物などの文化遺産や多くの文化財は私たちに繋がる血肉であり、精神的支柱です。
この展覧会は、時代と絶えず向き合い、対峙する美術家の立場から企画いたしました。
水害から一巡した時間の中で、造り出された各々の作品は人々に、また私たち自身に何かを問いかけてくれるものと思います。
年末のお忙しい中の展示になりますが、よろしくお願い申し上げます。