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date 2005.8.16
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連載・幻想のスロウ・ライフ(7)


05 南・その理由
都市を離れる決意を後押ししてくれる事例は、インターネットの他にもいろいろある。中でも自分にとっては、ゴッホやゴーギャン、田中一村など、南で答えを見つけた画家たちの存在が大きかった。彼らが動いた原因を今、全て察することは不可能だとしても、基本的には「人と違う景色が見たい」という気持ちがあったのではないか。どんな職業の人でも、これは重要な鍵だと思っている。違う場所に身を置くことで、使われなかった細胞が動き出す。もし、発想に息詰まったら、まず移動することだ。僕は絵を描き始めた頃から、南洋の風景が好きだった。多くの男の子にとって秘密基地のイメージや探検、冒険と言えば南をおいて他にないからだろう。祖父がまだ健在だった小学生の頃、夏休みになると鹿児島を訪れていた。ソテツが生い茂る庭や東シナ海を眺めて、知らず知らずそうした空気に憧れを感じていたのかも知れない。
引っ越して間もない頃、役目を終えた段ボール箱を、庭で燃やした。その炎を見たときに、自分の身体が変化し始めた。たき火をするのは、本当に久しぶりのこと。炎を見られずに、今までモノを作ってきたことに対する後悔。
これまでの自分をペットボトルに詰められた化学飲料とするならば、これからはドロドロとした獣の血液・・・と大げさに考えたりもした。たき火はそれほど、僕の根本的な何かを刺激した。
都市で作り出されるものは、良くも悪くも洗練されている。そのような文化からとりあえず、物理的に距離を置きたい、純粋にそう思った。オリジナリティを追求する場合、そうした環境はかえって邪魔になるのだ。「素」のままの自分が見えにくい。余計なものに取り囲まれてしまう。都市で暮らしていると、自然とプリミティブなものに興味が移る。2次的、3次的な創造物ばかりだから、どこかでバランスをとりたくなるのだろう(実際、都市生活者は田舎暮らしの人よりも自然に興味がある)。勿論、自分が作り出すものも2次的な創造物に他ならない。しかしこれからは、可能な限り誰かが見たものを編集するのではなく、自らの手で触れて一から作り出すスタイルに移行しようと決意したのだ。
精神的な距離は以前とさほど変わらない。むしろ、こちらに越してきてから、東京の友人と繋がりが深まった気がする。泊まりがけで出かけることが増えたからかも知れない。この歳になると、自然と友人との交流は薄まっていくのが普通だろう。嬉しい誤算だ。

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