カオスラウンジ・・・
twitter上で話題になっていた「カオスラウンジ」に関するUSTを観てみた(講義)(討論会1)(討論会2)。インターネットや評論家との絡みが真新しく、美術運動はこうして形作られていくんだ、という事を体感出来た。内容について納得はしていませんが。今回の展覧会、直接見た訳ではないのですが、アーティストでもなくイラストレーターでもなく、といった立ち位置を好む(あるいは無自覚にそうなっている)若手作家に対して、帰属する世界を提示したのかも知れない。僕の世代から見れば、ひとつの救済計画と感じる人は多いかも。アートの文脈に乗ることが前提の様ですが、きちんとしたビジネスとして成長していって欲しいですね。そうでなければ、高校の文化祭・漫研的なお祭りで終わってしまう。まあ、彼らはそれでもいいのかな?
そんな中、鹿児島の若手作家から相談を受けた。カオスラウンジ的な流れは時差なく鹿児島にもある訳で、焦っている様子。こういう時代だから、階段の登り方が見えないんだと思います。階段はないのかも知れない。アートとデザイン。どちらにも帰属したくない若者には、カオスラウンジの概念は実に都合が良さそう。いや、実際に当てはまる人は沢山いますね。あの空気感、お祭り感に浸っていたい作家は、素直に流れに乗ればいい。しかし、鹿児島には鹿児島のやり口があると思う。混沌とする前段階でしょう、まだ。あんな理論武装をする前に、技術を磨く必要がある。体験とか、肉体が先。僕はきちんと線引きをして、僕なりに、鹿児島でしか出来ない事を探り続けるしかなさそうです。















higa
2010/04/23 17:45
ああいいう活動に至ったには理由があるので追随する作家さんたちにはそこもふまえて先を進んで欲しいです。
マスカラ
2010/04/23 19:00
まさしく。
やる事やらずに権利ばかり主張するのは
自分の今後にも影響してくる事を分かってない人が多いかなと
若い子見てて思う僕はオッサンでしょうかね?
ohtematic
2010/04/23 19:57
マスカラさん→技術を磨くという件、オヤジ発言とは思いたくないのですが、伝わりにくくなっているんでしょうね。アプリの機能を自分のセンスと勘違いするのと同じで、彼らは模写やトレースも自分のセンスと思っているフシがありますよね。また、キュレーター抜き、ピン芸人でどこまで闘えるのかという点にも興味があります。