スポーツって素晴らしい。
小学校三年生の時だったと思う。国鉄職員の宿舎が近所に出来た事に伴い、転校生が沢山入ってきた。その中のひとりが、僕たちの遊び方に異を唱えて「野球をやろう」と言い出した。それまで、どんな遊びをしていたのか思い出せないが、球技と言えばドッヂボールしかやっていなかった。その転校生は、真剣に僕たちに野球のルールを教えてくれた。今考えると、新しいコミュニティに馴染むために、必死だったのかも知れないな。彼の努力は実り、みるみる野球は流行った。僕たちのクラスは男子だけで20名以上はいたので、9人対9人で放課後に試合をすることが出来た。場所は、隣町との境にある空き地を勝手に使っていた。その前に住む友達が太平洋クラブライオンズのファンだった事もあって、空き地には「平和台球場」という愛称がつけられていた(その子が場所取りをしてくれていたので、敬意を払っていたんだと思う)。誰の持ち物か解らないその空き地は適当な広さがあり、周りにフェンスが張り巡らされている。ホームランを打ってフェンス越えをすると、空き地の奥にある会社のガラスを直撃する。丈夫なサッシだったと思われ、軟式なので「パリン」と割れた事はなかったが、会社で働いていた大人に怒鳴られる事もなかった。隣町の知らない小学生達が、この空き地に目をつけて場所を取り合いになる場面も。しかし、そこは小学生同士の知恵で乗り切り、自然と対抗試合をすることになる。当然、自分のチームで参加出来る人数は半減するが、そこも小学生の知恵で、野球が得意でないヤツにも民主的にバッターボックスに立たせたりした(ちなみに僕はその当時プロ野球選手になろうと思っていた!)。人数が足りないときは、逆に強いヤツが裏表参加したり、ある時は野球好きのおじさんが入り込んで、勝手に審判をしてくれたこともあった。誰にも管理されることなく、子供同士が知恵を出し合いこのような放課後を過ごしていた。日が暮れたら家に帰る、そんな毎日だった。
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長男がこの春から全校児童48名(うち1年生は12人)の小学校に通っている。日置市では様々なスポーツクラブがあり、どんなスポーツをさせるべきか迷う(今すぐなのか先延ばしなのか)。日程を見てみると週に3-4日という本格的なクラブも結構ある。親にとっては有り難い事なのかも知れない。しかし前述した様に自分の小学生時代を考えると、子供同士で「自主的に遊び方を探る時期」というのは大切だ。本人が無意識的に「自由」を体感出来ると思う。学校と部活漬けで社会に出てしまえば、自由な時間をどう過ごしていいのか解らなくなるのでは?実際、退職後に何もする事が見つからないお父さんの多くは、こうした過去を持つのではないか。或いは就職が出来なくて自殺してしまう学生も、システムやルールをはみだした経験がないのではないか。
若いうちに、出来る限りはみだした方がイイ。
いずれにしろ子供の数が少ないので、僕が経験した様な「放課後の自由な野球」は難しそうだ。
mj_pta
2011/04/15 08:06
前提として明確なシステムとルールが存在しますよね。
自殺してしまう学生自身の問題ではなく、いびつなシステムと同調圧力によるローカルルールの刷新を図るのが大人の役割で、それを示すのが先なんじゃないかなー、と思ったり。あ、それすらはみだせって話なら別ですが。。岩鬼への道は遠いなぁ・・。
ohtematic
2011/04/15 08:51
そうですね!この話題、伝え方が難しいと思っています。「野球」というシステムやルールの上で、子供達が独自の工夫をしていく。その点がスポーツの素晴らしさだと思います。僕が恵まれていたのは、それを大人が押し付けたのではなく、子供達だけで実行出来た点です。こういう楽しみを知らずに、スポーツで管理されてしまうのはどうか?という話がしたい(アメリカ人の友人が日本の運動会はクレイジーだと言っていました、全員参加という点なども含めて)。アートについてもシステムやルールが本当はあるのに(ひとつではないと思いますが)、プレイヤー側も理解しようとする人が少ないので(あ、オレか?)メチャメチャな事になっている。繋がりましたね。それにしても野球に限らずスポーツはルールがひとつしかないし、記録があったりするから解りやすい。
mj_pta
2011/04/15 11:55
最近気になった記事です。
『アフリカの少年14才が、たった一人で7年かけて風力発電に成功した。』
http://naokixtmtk.blogspot.com/2011/04/147.html
ohtematic
2011/04/18 02:20
オーテマウンテンちびっこランド化計画イイ
ですね!いろいろと妄想が膨らみます。