網戸にカマキリが張り付いていたので、そのまま部屋にお越しいただき、撮影会となりました。
こちらは友好的な態度で誘ったつもりだったのですが、最初から威嚇のポーズ。羽を広げて尻尾をグニュっと反らせています。本気!自慢のカマは顔の両脇に収めて、ボクサーがガードをしているかのよう、パンチを繰り出す直前の態勢なのでしょう。それにしてもカマのギザギザは、すごい形をしています。割り切られているデザインというか。
春は小さなカマキリを良く見かけますが、これから冬場にかけて、夏場を乗り切った大きなカマキリを何度となく目にすることになります。悪者キャラの印象が強いカマキリくんですが、必死に子孫を残そうと日夜戦っている姿勢が伝わってきた撮影会でした。
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カマキリくんの撮影会
東南アジアの感覚
楽しそうな光景だったので、失礼ながら無許可で写真を撮ってしまいました。すみません。
東南アジアを旅行すると、道端で自由に商売をしている人たちを良く見かけます。先日の投稿「ヨルカツ」の時と内容が重なってしまうのですが、道端の使い方としては理想的なのではないでしょうか。きちんとしたお店ではなく、ちょっとした陳列棚があって、椅子があって・・・。友達が集まってきて井戸端会議。商品は売れた方がいいんだろうけど、売れなくてもいい程度の感覚。このお店はお花と野菜を売っていたので、お墓に供える花を購入。
田舎に住んでいて寂しいと思うのは、道で人に出会わない時なんです。この写真のように、ちょっとしたお店機能とベンチがあれば、地域住民が時間を外で使うようになる。今は真夏なので厳しいかも知れませんけど・・・。機会があったら、さすがに野菜や花は出せないけれど、古本や古雑貨なら沢山あります、自分も突然フリーマーケットをやってみようかな・・・と思った次第です。
母80歳の誕生日
自宅から一番近いコンビニまで車で15分ほどかかる場所に住んでいるのですが、不便は感じません、その分スーパーマーケットでまとめ買いをするようになっただけです。当然、外食をする頻度も高くはありませんが、これは距離の問題ではなく、子供達が沢山食べるようになったのでおいそれと出かけにくくなったという経済的事情もあります。そんな環境から、南に車を走らせること約25分。母の80歳の誕生日ということで家族6名で外食をしました。母80歳、僕が50歳。徐々に母親との年齢が近づいてくるのを実感しています。生まれた時は計算上、無限倍に生きていた母ですが、今は80÷50で、僕の1.6倍しか生きていないことになります。
このお店、年に一回か二回は訪れるのですが、いつも人で溢れかえっています。ファミレスでもなく敷居が高くもない・・・理想的な立ち位置が人気の秘密なのかな・・・美味しいし、オーナーの哲学が感じられるのはいいですね。末長く地元に愛されている雰囲気は、外観からも伝わってきます。
Casa BRUTUS 特別編集『自然と暮らすスタイルブック』
Casa BRUTUS 特別編集『自然と暮らすスタイルブック』
私がアトリエから野鳥観察をする様子が紹介されています。
田舎暮らし、17年目に突入していますが、飽きることはなく・・・むしろやりたい事が広がっています。賃貸の集合住宅だとリフォームが限界ですが、こちらは「小屋を建てよう」「木を植えたい」など、(資産価値のほとんどない)広大な敷地を使って自分の夢が実現出来ます。
週末に田舎を利用するのも一つの手ですが、是非移住をして楽しんで欲しいと思います。
実際、そうした暮らしに憧れる人は随分と増えていると思います。しかし田舎側の受け入れ体制〜特に古民家の整備〜が整っていないことは大問題。廃屋同然の古民家の持ち主が都会に住んでいたりして放ったらかし・・・どうにかして欲しいですね。
ヨルカツ・・・
毎週土曜日の朝「アサカツ」と称した話し合いの場を設けています。みんなで整備した古民家に集まり、僕はコーヒを18杯分持って行きます。休むことなく続けて、もう1年3か月くらい経ちました。今回は臨時の企画で「ヨルカツ」を同じ場所で行いました。夏なので、外で飲むのも気持いいのでは?ということで大実験。始めるまでは不安も半分あったのですが、隣町から「アサカツは時間的に無理だけど夜は大丈夫!」と喜んで来られる方がいらっしゃったり、たまたまこちらに観光に来ている香港の方や韓国の方も混じって、ワールドワイドな雰囲気に〜!
数少ない海外旅行経験の中で、インドネシア(本島とバリ島)の夕方から夜にかけての雰囲気というのは随分と記憶に残っています。お年寄りが夕涼みしながら語っていたり、少ない照明の中でアウトドア・バーのようなところで飲んでいたり。この場所(永吉商店街一帯)も今回のように、街の中がみんなで自由に飲める場所(過ごせる場所)になるといいなあ。とにかく、家に閉じこもってテレビばかり観ているのではなく、外で「語るわけでもなく、語る。」適当に過ごすんです。喫茶や外食の文化が育ちにくい場所であるというのは結構聞く話なんですが、持ち寄りで自由な場を設けるのは出来るんじゃないかな?
また、やってみようと思います。
リオ五輪
スポーツのニュースは、オリンピックがある/なしにかかわらず毎日決まった枠が設けられています。実に羨ましい。スポーツのように、芸術や美術が一般的な興味の対象となるのはいつの日なのでしょう。個人的には朝のニュースで10分は芸術枠があっていいと思います。
普段はあまりスポーツを観ませんが、W杯や五輪はついつい観てしまいますね・・・!
熊本へ
熊本県立美術館分館・第一展示室(1F)で「第41回 武蔵野美術大学校友会・熊本支部展」が行われています。14日(日)まで。
熊本はご存知の通り今年の震災があり、この支部展を開催出来るのかどうか?かなり悩まれたそうです。そんな中、熊本支部と本部の話し合いの中から、全国の支部から作品を持ち寄って熊本支部の応援をしようという企画が持ち上がったそうです。鹿児島は、この動きを受け、先月に行われた「む展」の会場内で、応援フラッグを作るということになったんです。来場者の方に一枚一枚制作していただき、175枚の旗が仕上がりました。8/8の搬入時に、鹿児島のメンバー7名が熊本まで出かけて設営してきました(写真下)。
被災した経験がないので、支援、応援される立場の方のお気持ちを具体的に察することはできません。こんなことをしたら余計なお世話かな?迷惑になるのでは?などと躊躇してしまいがちです。しかし、モノやお金の問題ではなく、「人が動く」ということは、それだけで価値のあることなのだと思いました。
ガトリングの次はカイホリング
貝掘り。ナミノコガイとか、波貝とか、ナンゲと呼ばれています。夕方の吹上浜に出かけてひたすら捕まえました。Facebookにその場で投稿したら、暑くて出かけられない、熱中症に注意して、などいろいろな声をいただきました。しかしこの日は(8/9)、秋の空で風も心地よく、2時間以上は遊んでいました(実際に暑いと長時間滞在はできないものなんです)。捕まえている最中には、貝の他にも様々な生き物に出会うことが出来ます。この日は卵を抱えたキンセンガニを見つけました。砂浜で進化した究極のデザイン、かっこいいカニです。
ちなみにこの貝は、バターや醤油で炒めて晩御飯のおかずになりました〜。美味しかった。
ポケモンGO!でモンスターを捕まえるのが、この夏から世界的にブレイクしているようですが、こちらは虫GO!貝GO!なんです。
ガトリング
我が家では「蛾を捕まえること」をガトリングと呼んでいます。長男が数年前からはまっていて、昨年と同様、県立博物館が主催する昆虫採集のイベントに参加してきました。場所は「鹿児島市立・少年自然の家」。昆虫を呼び寄せる装置は、先生方がセッティングしてくれています。辺りが徐々に暗くなってきて、写真のような幻想的な風景に。先生の解説によると、雨が少なく、暑さが続いたせいで、この日は昆虫の集まりがあまり良くなかったとのこと。それでも随分といろんな昆虫をみました。長男は蛾が専門なので、クワガタなどには目もくれず専用の捕虫ビンで蛾を殺していました。息が途絶えると、その場でピンセットを使い三角紙に入れます。
写真下は、今回監修してくださった福田輝彦先生の作。
スロー・ラーナー
「スロー・ラーナー」
海外文学を読む機会はほとんどないんですが、ジャケ買い(作家にも多少の興味はあります)という感じで、中古で手に入れました。序章だけ飛行機の中で読んだのですが、何度か読み返したくなるような内容が含まれていたんです。「1960年代、文学において対立は、伝統的作品とビートという構図をとった」・・・という部分に始まる記述です。音楽についても語られますし、「アカデミックな壁の外部に見出される多様な生の広がり」という内容もあります。ビートについては、勿論リアルタイムで経験していないので生理的な理解は出来ませんが、自分は様々な場面で、その「影響下にあるもの」から多大な影響を受けてきました。好きな映画や音楽には、どうしても外せない動きとしてビートが常につきまとっています。
ここからは自分の周りの話なんですが・・・鹿児島において伝統的作品と対立する「ビートのような何か」が登場し、対立したことはあるんでしょうか。自分の場合は文学ではなく美術という枠で考えてしまうのでズレるかも知れませんが、鹿児島の美術事情というのは、伝統的作品とそのファンに支えられたままであり、対立軸は(あるのか、ないのか!)ダンマリしたまんまなのかと感じてしまいます。対立、と言っても喧嘩をする訳ではありません。両者が存在することでお互いの価値が高められる訳なんです。自分の願望を俯瞰で見てみると、この「対立する何か」を膨らませたいということになるのではないかと思います。