ルーカスフィルムとスタジオジブリとピクサー
先日、フレスポジャングルパークの屋上に駐車して、階段で下のフロアーへ降りていくとき、何気なく、無茶苦茶横長のポスターが目に飛び込んできた。「借りぐらしのアリエッティ」というジブリの新作。ただ、庭が描かれているんだけなんだけど、素晴らしい。小さな葉の手前から奥。明るい中の「明るい・暗い」。暗い中の「明るい・暗い」。大きな空間。適切に表現されている。何よりも、絵として自然。絵に携わる全ての人への挑戦状の様だった。単なる背景画として通り過ぎる人もいるのかも知れないが、自分には「おまえは真面目に絵を描いているか?」という物凄い気の様なもの、それだけが伝わってくる。僕の絵は「描き過ぎで鑑賞者の想像力を奪う」と言われた事もあるんですが、どう考えても、絶対に描き込んだ絵の方が好きだ。トゥーマッチの方がイイ。サラサラ〜っと、オシャレには出来ない。自分が影響を受けてきた映画や絵画は、細かいものが多い。先日から伝えているスター・ウォーズの世界観も、小さな部分にまで手抜きがない。ピクサーの「トイ・ストーリー3」も先日鑑賞してきたが、涙が止まらなかった。全ては、細密描写あっての感動だと思っている。















ダーンサ
2010/07/23 06:35
いつも反対意見ばかり書き込んでますが、違う意見もあるよ〜と使命感で書き込んでます。
書き込んでない時は賛成だと思ってください。なので、ほとんどは賛成です!
ohtematic
2010/07/23 12:01
まず、ダーンサさんの絵、相当細かいと思うんですけど!
仕事量で伝えるというのは、古いというか、普遍的なものだと思うんです。町工場的な職人芸の事をアートと呼ぶ動きと、デュシャン的なコンセプチュアルなものをアートと呼ぶ動きがあるとすれば、明らかに前者を支持したいという。
疲れるのはイヤ、疲れさせる人になりたくない、というのは僕の文章に責任がありますね。何が言いたかったかというと「自然な状態」を表現するのには、相当な技術が必要だという事なんです。だからやり甲斐がある。ジブリもピクサーも、描いて描いて、ある意味「絵としての存在感をなくしたい」という軸があると思う。ジブリの映画で、疲れる人も確かにいるかも知れないけど。作り手だから「挑戦状」という表現をしてしまったけど、一般側から観ると「スルーされる自然さ」に映るというか。そういう意味ではダーンサさんの言われる、日本人にしか伝わらないこと、あうんの呼吸的な表現は世界的にも意味があるよね。イラストの仕事も、匿名性が高い方が楽しい。え?あれ大寺が描いたの?と言われたいし、もっと言えば、認識されないレベルがイイ。主張しないとう主張。ん〜、伝わりづらいかも知れません。ダーンサさんなら解ってくれると思う。
110
2010/07/23 12:53
ohtematic
2010/07/23 13:04
ご無沙汰しております。ああ、なるほど〜。ディティールの集積によってシンプルに見える様になる。というのは解りやすい例えです。シンプルに見せかけようとして破綻だらけのものって、結構ありますしね。また、ただ複雑であればイイという訳でもないんですよ。絵についていうと、手数(てかず)の少ないもの程、(言語としての)理屈がついてまわったりしている。「余計な事は考えさせない」というのが僕の目指すところでもあります。
yappy
2010/07/23 21:17
しかし60年代後半,ひとりの建築家が「Less is Bore(機能美だけでは退屈だ)」と言い始めました。アメリカ人建築家ロバート・ヴェンチューリ。彼はラスヴェガスの猥雑で遊び心にあふれた建築群を評価し,それが『ポストモダニズム』として建築のみならず思想・芸術・政治・経済などあらゆる領域を巻き込んだ論争へ拡がっていきました。
大寺さんは無意識のうちにこの『ポストモダニズム』=「機能美だけでは退屈だ」を表現しているのではないかと思いました。
ohtematic
2010/07/24 06:16
less is bore というのは初めて聞きました。そうですよね。世代的にはポストモダンなんですよね。本当にシンプルなものを追求しようという(生理的な)感覚が、最初から全くないんです。何かと何かを組み合わせる事に興味がある。スター・ウォーズも、そんな手法ですよね。タランティーノの映画は、もっと顕著ですよね。鹿児島大学のi先生と、そのあたりの話しをして、自分の立ち位置が何となく見えたんです。イラストに限っていうと、かなりシンプルで感覚的な時代に入っていると思うのですが、抵抗があるんです。ですので、次は、もっと絵画的な方向に回帰するのではないかと思っていて、実はそっちの方に期待しています。
ダーンサ
2010/07/26 17:22
細かいのは仕事で描け!と言われてやってるだけで、
自作は適当なものか、コピペで済むものにしてます。ラクな状態こそ自分!
普遍的なものだからズルイ感じがあって、自分はやりたくない。
感動の方程式には乗りたくないです。そう、ラブソングは絶対唄いたくない。
CGがかなり自然に入り込んで、もう違和感なくなった今、逆にやる意味が無い。
昔のヒーローものはチープではあるけど、中に人が入ってたり、
テグスで吊ってたり、工夫が見えるおかげで、一応つくる側になった。
今の自然さは想像力わかないし、記憶にも残らないし、ワクワクもできない。
自然はお手本にはするけど、人間がつくるんだから人工にしたい。
それは蟻がつくる蟻塚程度かもしれないけど、
自然には起こりえない、誰かの仕業に違いないものをつくっていくべきだと思う。
疲れるのは、自分がつくる側の苦労や労働時間が見えるからだと思う。
深夜のアニメはくだらない。でも、あんなのつくるのだって、
毎日徹夜して磨り減らして磨り減らして出来ている。
ジブリもラピュタ以降はくだらない作品ばかり。
一応見るけど、磨り減らす価値があるのか疑問。だから疲れる。
頑張ってる姿なんかより、のびのびはじけてる姿こそが大事!
ダーンサ
2010/07/26 17:22
ohtematic
2010/07/26 18:25
多分、描けるからそういう意見を持つ余裕があるんだろうね。簡単な絵、下手な絵や刺激的な絵で人の気を惹く方がズルいよ。(ブルーナの絵は簡単ではない)。描写力をおろそかにして、のびのびやるっていうのは、事実上不可能だと思う。僕もシンプルな絵を描く事があるけど、それは描写を軸にした仕事をしているというバックグラウンドがあるから、たまにはやってみようという事で。これは、とある先生からの受け売りだけど、すぐに忘れ去られる瞬間芸と、落語家の違いというか。自分の技術はまだまだだと思うけど、後者を目指したいという事なんです。頑張るという言葉は、僕も好きではないし、ラブソングも絶対に歌わないけどさ。つくる側の時間が見えるというのは、作品として失敗なんだろうね。本当は、そういう時間や頑張っている姿が見えてはいけないんだよね。作り手側だから、見えてしまいがちなんだけど、思いっきりその世界に入り込めば、そういう情報は消え去ると思う。今、日本全体が疲れているから、近視眼的に、てっとり早く楽しめるものが横行している。結局、そういうものは長く楽しめないんじゃないのかな。
ダーンサ
2010/07/27 15:57
ま、ずーっと言ってることはゆとりなんだと思います。
世の中のビジュアルが全部ジブリアニメやスターウオーズみたくなったら窮屈でイヤです。きっちりとかビッシリとか細密なのはどんなに自然に描いてもその苦労がわかるからNGです。
あとやっぱ直接的でイヤかな、本当は人や顔を描くのも逃げてる感じなので、
笑顔描けば楽しげで、子供描けばほのぼのなんてバカバカしい。
ワシはオーテマくんのサラッと描いたラフが好きです。
あれは素人にはできない。圧倒的な実力とセンスを感じワクワクします。
要するに力作が嫌い。(瞬間芸のことだけど)
オーテマくんも先生してるからわかると思うんだけど、1年生の1学期とかみんな力作つくってくるよね。本当に困る。力作で喜ぶのは親とかだよ。一生懸命で。
でも、卒業する頃の方が良くも悪くも肩の力が抜けて個性も出てきてイイ感じ。
一生懸命操縦してくれるパイロットより、慣れてるパイロット。
慣れてる感を見せて安心させるのもプロの役目かもと思ってます。
ohtematic
2010/07/27 18:33
なるほどね。この議論の着地点が見えてきた感じがします。僕の人生において、ダーンサさん程、創作に熱心に取り組んでいる友人は他にいません。法を犯してまでも、やっていたよね。そういう人が「ラクな状態こそ自分」「のびのびと」という言葉を安易に使うと、若手が育ちにくくなってしまうと思うんですよ。俺は若い頃、寝る間を惜しんでやってたよ。と、素直に言ってみたらどうなんでしょう。「若い芽を摘む作戦」なのかとさえ、勘ぐってしまいます。このブログを誰に向けて書いているか、にもよるんですけど。僕は、きれい事に聞こえるかも知れないけど「真面目な人が報われる社会」が好きです。ですから、ノリで仕上がったものが大々的に祭り上げられたりして、ヘンなトレンドが生まれる事は避けたい。世の中の大きな流れを、自分で調整することは勿論出来ないけどね。慣れの話は、良く解ります。僕は、5時間くらいかかって描いた様に見える絵を、実は30分で描いている、とか、そういう方向かも知れません。シド・ミードとか、こちらが想像するよりも速く仕上げてるでしょ、きっと。あんな路線が好きですね。ラフを気に入ってもらって有り難いけど、あれを仕事にするっていうのが、なかなか難しいんです。「ラフはやってません」とクライアントに答えるというのはダーンサさんの名言として、時々思い出して笑っています。
ダーンサ
2010/07/29 12:00
オーテマくんは本当に変わらないね。シドミードなんて忘れてたよ。ついでに昔から変わらずオレのことは誤解してるよね。オーテマくんもお父さんだからすんなり理解するかと思ったんだけど、子供に見せたい姿のことをずーっと言ってるんですよ。頑張ってる姿より、のびのびはじけてる姿。親が楽しそうなのが一番だと思うんだよね。
スターウォーズは最初の(エピソード4?)だけ良い。ドキドキした。これから映画はどうなっていくのかとワクワクした。でもその後はクオリティは上がってるけどドキドキもワクワクも無かった。ターミネーター2にはあった。アニメだと「パワーパフガール」「マインドゲーム」「サマーウォーズ」にドキドキ。試しに昔の「あしたのジョー」と「巨人の星」見直してみたら今更ながらドキドキした。結局のところドキドキが大事。くだらない作品にクオリティ注いでると死ぬほど虚しくなる。「もったいない」
芸大の声楽科の人の唄は上手いだろうけど、世の中そんなの求めてないんだよ。もちろんオレも求めてない。ラブソングは売れるから「ラブソングでならCDデビューさせてやる」みんなそこそこ感動する。これもオレは求めていない。感動の方程式を感じてしまうだけ。
オーテマくんの言うのも普遍的だけど、次々新しいものをやるのも普遍的。歌舞伎だってなんだって元々は全部、客を飽きさせない新しい表現の追求なのではないでしょうか?オレはそっちの普遍がいいな。「真面目が報われる」は大賛成だけど「頑張りが報われる」は大反対。何が本当に真面目なのか、一般的にはネクタイして頭下げて寝ずに頑張るなんだよ。オレは上手くなるのもちょっと否定的。だって続けてりゃ普通上手くなるじゃん。普通なんだよ。普通の人はつまんないよ。オーテマくんのは結局エリート思想だったり、右肩上がり症候群の思考だよ。一般的な真面目が「頑張る」な現代社会では報われる人が少ないし、破綻するよ。とても見てられない。
年のせいか若者がのびのび楽しそうだとちょっとムカつくんだけど、でも、スターウォーズの時のように「これからはこういう時代になっていくのか?」とワクワクしながら去るのが一番しあわせな気がします。
あ、あともう年齢的にも面倒くさいから変に作戦とかも無いです。
ohtematic
2010/07/29 15:56
おお〜。引っ張ってきたね。「子供に見せたい姿」という事で言えば、真剣に働いている姿が一番なんじゃないの?お父さんが通勤する様になってから、父権が消滅し始めた。「のびのび」というのが良く解らないよ。遊ぶときも、無茶苦茶真剣にならないと、子供はついて来ないよ。「手抜き」を子供は見極める。ターミネーター2はまあまあ、パワーパフは観てない、マインドゲームは興味ナシ、サマーウォーズは良かった。ドキドキが大事っていうのは分かるけど「くだらない作品にクオリティ」っていう、その「くだらない」を決めるのは視聴者であって、作り手側はやはり、クオリティを軸とすべきだよ。もったいない、という事で言えば、例えばゲームやギャンブルに熱中している全ての人類の時間を、宇宙開発に注ぐとか、そういう話なら分かる。クオリティを目指さない人類は、「26世紀青年」みたいになる(観てないけど)。町の定食屋の味も落ちるよ。頑張りという言葉が嫌いな様だけど、ダーンサさんは誰が観ても「頑張り屋さん」だった。真面目かっていうと、違うでしょ。歌舞伎の事は良く知らないけど、世襲制だから一般の人は入れない。そういう表現は僕の考える普遍とは言えない。どちらかというと、既得権益的。そういう意味では、ダーンサくんの方がエリート志向でありセレブ志向だ。クオリティを否定してドキドキを目指すとなると全然別の物差しが出てくる。生まれとか美貌とか運とか酒が飲めるとか。技術というのは、そういうものを乗り越えられるんだよ。「手に職」があれば何とかなる。ダーンサくんは刹那的快楽主義のバブル志向でもあるね。続けていれば上手くなるというけど、そういう人、どんどん減ってるでしょ。アニメ界も後継者不足で困っているらしい。ダーンサさんの様なプロフェッショナルの人は、やはりのびのびなんて言っている場合じゃない。技術が日本からどんどん失われていく。普通がつまらないというけれど、僕はどちらかというと、普通に認識されたい。普通でいい。当たり前の絵が描けるようになって、当たり前の仕事として活動していきたいよ。
ダーンサ
2010/08/06 20:19
それは知ってて、そうじゃないって言ってるんだよ。
ビギナーズ本は上手い絵だと難しく感じてダメだよね。絵自体は下手な方が良い。
いろんな方向に成長してるんだよ。いろんな方向に成長してた方がどれかダメだった時もなんとかなるし、オーテマくんみたくクオリティ上げれない知能の人がごろごろいるんだよ。無理なんだよ。そういう人もいる事を考慮するとやっぱオーテマの思想は人類を狭めるよね。どんなに理にかなっててもイヤだと感じる感情も実際にあることだし、常識も時代によって変わるように、クオリティを追求してた時代ってのも人類史上では刹那かもね。だからいわゆる真面目は真面目に感じないし、普通も普通に思えないし、だから単にオーテマ的なのは憧れないから、オレが子供だったら本当に困る。それこそ押しつけだよ。
いろんな人がいるんだよ。オレが何言っても「また変な人が変なこと言ってる」だけど、あんたは立派に見えるからみんな信じるんだよ。だからそういう人こそ「いろいろあるからクオリティばかり気にする必要はない。これからは右肩下がりがカッコイイ」とかみんなを楽にさせてあげないと。会社員じゃないからできることをして、言えることを言うことが使命でしょうが!
それとオーテマくんの今までのコメントは自分が健康で頭もそこそこ良い人から生まれる考えだなあ〜と、12年前から病気で困りながらも仕事しているワシには羨ましくもあり、健常者には本当のとこは伝わらないとガッカリする感じでもあります。
女性にとって仕事なんて子育てに比べれば、ずーっと下のように、ワシにとっても仕事とかクオリティとかそんなのはずーっと下です。そればかり主張してる人はかなり低俗な人に思えます。
ohtematic
2010/08/06 23:44
何度もコメントを頂き恐縮です。うん、そうだよね。そう思う時もあるよ。僕の様な人間が世界を覆ってしまったら大変な事になるし、つまらない世界になる、という事も良く解る。健常者の話が出たから言うけど、鹿児島に来て、僕は初めて弱者の立場が何となく分かってきた。何となくだけど。鹿児島には、いわゆるイラストレーションシーンがない。東京は、何だかんだ言って、描ける人が引っ張ってきたと思う。そうした中で枝分かれして、多様な価値観が生まれた。そして現在は飽和している。だから、僕が非難している「感覚的な絵」の存在価値も、それなりにあると思う。でも、それはベースがきちんと構築されているからなんじゃないのかな。この記事がどの地域で読まれているか分からないけど、鹿児島はこれからなんだよね。これから、どうしていくかという時に、東京の最先端の感覚を真似してもそれは駄目だと。まず、鹿児島のイラストレーションシーンを構築していかないといけないと思っている。偉そうだけどね。先日観に行った「B&B」の様な展覧会は、メインストリームがあるから許されていると思うよ。新幹線の開通が40年遅れたから、デザインも40年遅れているのかも知れない。そんな中で、まず自分が体験してきた事を自分なりに伝えたいだけだよ。楽にやっているアーティストなら、鹿児島にも沢山いるから、そういう人達については静観しています。
ohtematic
2010/08/07 01:35
追記:
ダーンサさんの指摘している事は、自分の弱点であるという認識はあります。自分の描いている絵も、まだまだ、何かが足りないと思う。もしかすると、ダーンサさんの言うように、もっと楽をしたり、遊んだりする事で変わっていくのかも知れない。ただ、今はそういう時期ではない。教科書的、道徳的で当たり前の事なのかも知れないけど、そういう事を言う大人が今は少ないんじゃないのかな。だから、自分の使命だと感じる様になってきたんだと思う。
ダーンサ
2010/08/09 13:03
「歌舞伎世襲制」問題
まあ大体そうだけど、玉三郎は一般の人です。ウチ(日舞)の家元も歌舞伎の舞台に立ちます。ま、これはいいか。
「頑張ってる仕事」と「のびのび仕事」問題
ワシらは望んだ職業に就けてるけど、世のほとんどの人は本当は◯◯になりたかった状態だと思います。仕事の中でやりがいを見いだしてる人もいますが、でも「本当は◯◯になりたかった」と言います。もっと言うと家賃を払うため子供のために働いてるという人が多いんじゃないかな?そういう人見てると忍びない。そういう親は嫌だなってこと。大学時代のワシは何も頑張ってないんだよ楽しかったんだよ。楽しんでただけ。だから今があると思う。「頑張る」って言葉が悪いよね。代わりの言葉を新しく作ってほしい。
あ、でも、手抜きこそ個性の核だと思ってます。
どういう要素を切り捨てて、どこは絶対死守するかこそが個性だと思います。時間のたっぷりある人ってやっぱりいい絵を描かない。1ヶ月に1枚の課題なんて出すと時間があるから、どんどん描き込んで全員同じ「ただの力作」になります。先生も個性を把握しづらいし、生徒はもちろん何が自分らしさかわからない。プロもまったく同じで忙しい売れっ子の方が時間のない分、無駄がない。余計なことせず、肝心な点を的確に描いて、自分らしさだけ残す。多くの人は「手抜き」という言葉の響きに誤解をしているだけで、本質は「手抜き」だと思います。
あと、これを機に言わせてもらうけど、学生の頃からオーテマくんの会話の端々で出てくる差別発言が気になってます。気づいているとは思うけど、「野球」「ゲーム」「競馬」「パチンコ」「世襲制」、他にも「不良や不良好き」「こだわりの無い人」「貧乏で24時間お金のことしか考えられない人」など色々、切り捨ててるよね?気持ちはわかるけど、どれもイラスト好き人口なんて比じゃないくらいの大勢なのは事実。研究対象にはしてなきゃですよ。で、実はその偏見こそがオーテマらしさだと思うので、親友のつもりのワシとしては常識発言は聞きたくない。端々じゃなくもっとその本音の方を聞きたいくらい。
坂本龍一もそうだった。いろいろ知った上で余計なものを削って削って磨いてるのかと思ったら、耳をふさいでた。NHKで音楽の学校やった時バッハとジャズは最高に良かったのに、その後のリズムとベースは素人同然、それに音楽の学校なのに歌にも唄にも詩にも一切触れない。現代の大衆音楽にも触れない。ジャズという大衆音楽は語ったのに、、、まったく身体半分が無いような状態じゃないか。何が世界の坂本なのだろうか、、、オーテマに似てる(フフフ)。
ま、もういい年齢だから身体的にも脳味噌的にも無理になってくるし、適当にやりなよ。
ごめん。また長くなった。
「東イラ」の活動はある意味地方に向けて発信してます。「東京は今こんなだよ」
がコンゼプトでもあるので、TPOはまったく無いけどね。じゃあまた!
ohtematic
2010/08/09 14:21
度々、恐縮です。「歌舞伎世襲制」の件、了解しました。傷ついた人がいるかも知れないね。とにかく、どんなネタでもそうだけど、強く表現すると、少なからず傷つく人がいます。だから、何のためにブログを続けているのか分からなくなる時がある。こうしたやりとりでも、ダーンサの意見を聞いていると、僕は最低の人間かも知れないと思う訳だし。ただ、いじける訳にもいかない。ここが一番重要なんじゃないかな。ダーンサの様にきちんと対話をしてくれる人は、本当に少ないからね。
手抜き、というのも、頑張りと同じく誤解を生む言葉だよね。前にも言ったかも知れないけど、10本のベジェ曲線でサラリーマンを表現しろと言われた場合、自分の中での精度はかなり上がってきています。それを手抜きという表現にすると、一般的には誤解されるよね、気持ちは分かるけど・・・。差別発言は、僕の中で度々出てきているのかも知れないね。野球については、昔、野球選手になりたかったから、学生に対しても「例え」としてしばしば挙げる事がある。これは、差別じゃないよね。ゲームは、自分がのめり込んだ時期があり、人生の一部(時間も金も)を無駄にしたという教訓から、周りの人には極力やってほしくないという願望がある。スーパーファミコンを所有していた事があって、本当に、本当に後悔したんだ。だから、学生で「夢がある」のに、そういう娯楽にかまけているヤツを見ると本当に頭にくる。これは、差別発言なの?「競馬」「パチンコ」については本当に嫌いだからね、これは差別発言なのかも知れない。嫌いなものを嫌いと言っているだけだけどね。他にも嫌いなものはたくさんある。「貧乏で24時間・・・」の事は、ごめん、忘れている。そして、そういう人達を研究対象にはしない。ダーンサは、そのあたりが偉いよね。そういう人達の趣向が、大きく世の中を動かしている場合がある、というのは分かるけど、敢えて近寄ったり、研究しようとは思わないな。昔、ダーンサが「同世代だけで盛り上がってればいい、ブレイクしたら終わり」と言ってたけど、それと同じだと思う。それを偏見と呼ぶ人もいるかも知れないが、何らかの立ち位置から発信しないとね。スコラで坂本龍一が詩と唄を取り上げなかったのは、理由があると思う。昔から、唄や声は楽器の一部、という発言をしているから。勿論、音楽の大切な要素だけど、教授にとっては二次的なものなんだよ。多くのヒット曲が「歌詞に頼っている」日本の状況にゆる〜く喝を入れたかったんじゃないのかな。教授が世界のサカモトでいられる理由は、言語以前で勝負しているからに他ならない。純粋な音楽性について語りたかっただけだと思う。似ていると言われて光栄ですよ!
「東イラ」の活動って、地方に向けてるんだ、知らなかったよ(地方というのも差別発言なんだよ)、じゃあ、鹿児島でもやってよ。
こっちは、適当にやりますよ。ブログには書かないけど、一日の大半は子供と遊んでる。最後に「マインドゲーム」の事を「ライアーゲーム」と勘違いしてた。