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date 2012.1.23
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南日本新聞「南点」を振り返る(08)

南日本新聞「南点」を振り返る(08)

昨年、南日本新聞に掲載された「南点」(全13回)を振り返ってみようと思います。約800字という制限の中で言いたい事が伝わったのかどうか。読み逃した方々へ向けて、全文と追記を本ブログで紹介していきます。
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あいさつから始まる未来社会
 
 「おはようございます」「おはようございます」私の暮らす地域では、幼児からお年寄りまで、誰もが道で出会えば挨拶を交わす。時には、走っている車に向かって立ち止まり頭を下げている様子も見られる。 一方、首都圏では防犯上子供には「知らない人は無視する」という教育をする地域もある様だ。挨拶が作り出す安全もあるのだが、皮肉な世の中である。私も東京の集合住宅を転々としていた時期、引っ越しの挨拶として用意した菓子折りをドア越しに受け取り拒否された経験や、「五月蝿い」と同じ住宅の誰かに警察を呼ばれた事がある。通報者が解れば、謝罪のしようもあるが・・・。これでは、地域や社会に対して萎縮せざるを得ない。
  地縁、血縁といったものが持つ独特の「煩わしさ」を後回しにする事で、いや、最も単純な「挨拶」をも敬遠することで近代の日本は「経済的に」成長してきた。しかし震災以降は「お金でない何か」に立ち戻ろうとする気配が感じられる。これからは日本人が根源的に持つ関わりの価値が見直されて行く筈だ。盆暮れ正月だけ「モラトリアム人間から脱却する」という働き方はスマートではなくなるだろう。
 先日、初めて地元の小学校の運動会に「おやじ会」の一員として参加した。終了後、 地元の商店が用意した屋外のお座敷で教職員の方々や保護者との慰労会があった。 涙と笑いに溢れた宴は、二次会にまで及んだ。会場は何と校長先生のお宅である!全校生徒48名という小さな学校だが「地域との連携」は全国のモデル地域になるのでは?と思える程。いわゆる「郷中教育」の風習も残っており、毎年12月に同じ集落の住民と語り合う機会がある。会場は持ち回り制で自宅を開放する。
 両者とも都会では考えにくい状況だが、個人情報保護や法令遵守などでギスギスしている社会とは対極にある光景で気持ちがいい。「絆」という表現は好きではない。もっと大らかな空気が流れている。そこに私は未来を見ている。

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追記:
都会の人には「近所付き合いが大変なのでは?」という質問をされる事があります。都会でも地域コミュニティを視野に入れた分譲マンションが人気を集めているそうですね。震災以降は、地域活動と政治参加で「自分の暮らす街を育てる」という意識がより一層強まったのではないでしょうか。

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