西田橋の拓本と美術家たち2013展・終了
昨日、搬出を終えて帰ってきました。4日間という短い期間にもかかわらず、多くの方に見ていただきました。足を運んでくださった皆様、ありがとうございました。
いろいろと考える事の多かった展覧会だったと思います。僕は(五石橋のうち二つが流失した)8.6水害時鹿児島には住んでいませんし、若い頃は市民運動にも関心がなかったので、実情は推測するしかありませんが、覚え書きとしてアップしておきます。・・・「五石橋を中心にした街作り」という構想もかつての鹿児島にはあり、実際に、国から重要指定文化財にするという打診があった、という話も聞きました。しかし鹿児島県側がこれを拒否したとの事。そんな中でたまたま水害があり、まだ姿を留めていた橋も全て解体されることが決定され・・・市民と美術家が立ち上がり、拓本をとりながら、橋の現地保存を訴えたのだそうです。水害のある前から橋の解体は決定されていたのか?それは今の僕には解りませんが、事実関係を見る限り、市民運動の盛り上がりがあっても行政の決定はくつがえせないということ。拓本活動の成果なのかどうか、これも微妙ですが、残った石橋たちは石橋記念公園という場所が造られ、移設されました。現地保存の観点からすると、全く本来の機能を失ってしまった「墓標」に過ぎないと活動メンバーは言います。拓本は、まだ甲突川に架かっていた当時の西田橋であって、石橋記念公園の橋とは意味が全く違うのです。市民の声を拾い上げるのが行政の仕事だと思いますが、今も昔も変わっていないのかも知れません。今、僕が問題だと思っているのは、無関心な人々が結果として世の中を動かしてしまっているということ。原発問題なども、結局は再稼働に向けて進んでいる様に見えます。静かな民意は決してそうではない筈ですが、声をあげている人、選挙に行く人が圧倒的に少数派なんですよね。みんなが普通に声をあげて動いていけば、世の中はもっと良くなる筈です。














