手塚治虫展
既に会期終了していますが、長島美術館で行われていた「手塚治虫」展を見てきました。手塚治虫の原画を見たのは、1990年東京国立近代美術館で行われた「手塚治虫展」以来・・・。当時とは自分が置かれている状況があまりにも違っているので、鑑賞しながら複雑な気持ちに陥った。やはり、1970年代の原画は構図もバッチリ決まっているし、線の勢いがスゴイ。ところが、やはり晩年になると、「線」自体の情報が増えていたり、構図も複雑になってくる。複雑というか、どこか落ち着きがない。手塚自身が「線」が増えて来たことについて、スランプだと語っていた事を、当時のNHKのドキュメンタリーで見た記憶がある。・・・にしても手塚治虫であるから、どう考えても上手い訳なんだが・・・。僕がリアルタイムできちんと読んでいたマンガといえば「ブラックジャック」しかない。あとは、殆ど読んでいないと言っていい。アニメで言うと「海のトリトン」や「メルモ」などを再放送で観たり、24時間テレビ用の「マリンエクスプレス」などを楽しみにしていた程度。手塚世代というのは、僕たちよりも少し上。僕たち(昭和41年生まれ〜1966)が小学校の時には既に松本零士が台頭していて、手塚治虫というのは既にクラシックであった(この感覚には個人差があると思うけど)。ブラックジャックは本当に面白かったけど、ひと昔上のテイストを感じていた。線が丸すぎる。今の目で見れば、そっちの方が価値があるんだけど、当時の少年の目は細かいものを求めていた。そういう世代の興味に合わせて、手塚治虫の線も増えていったのかも知れない。大友克洋にもジェラシーを感じていたというから。気持ちはすごく解る。でもファンが好きなのはそっちじゃなかったりすることも含めて。
今回の展覧会、僕は1990年に観たときよりも、当たり前だけど随分とオジサンになっていて、そうした手塚治虫の「スタイルの変化」を自分の仕事になぞらえて見てしまうという・・・そういう結果になってしまった。
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今、抱えている「とある仕事」は描き込もうと思えば思い切り描き込めるんだけど、そうする事によって、逆に失われる勢いがある事も解る。着地点をどっちにするのか、迷いどころだ。整理するところは整理する。緻密な表現はもっと緻密に。そのバランスで全体を整えていく訳なんですが。とにかく、この仕事をしていると、何を見ても他人事とは思えず、自分ならどうするか?という見方しか出来ないな・・・。
















カンズ
2013/09/17 07:26
というより一時期はそこを目指していた者としては一瞬のぶれた印象の強烈な映像に心奪われます。雑でも手抜きでもでもないリアリティ。今も追いかけています。
ohtematic
2013/09/18 05:33
カンズさんの追求しているリアリティ、すごく良く解ります。細かく描いて失われるもの得られるもの、粗く描いて失われるもの得られるもの・・・そのせめぎ合いですよね。僕はパソコンで絵を描くケースが多いですが、極力、楕円ツールや直線ツールは使わない様にしています。整っていればいいという問題ではないし・・・。要は、人がどの部分に感情移入するのかということですね。それが解っていれば、感情を持って欲しくない部分の表現も出来る。僕は筆の跡で描かれた様な案内地図が大嫌いですが、それは、感情の押し売りがあるからです。