コンピューターは人を殺すのか
先日のブログネタ、電子広告塔の時に、ポスターを貼り出す作業が過去の思い出になるという話を書きました。本来は、コンピューターの登場により人間は労働から解放されるというシナリオが優先されていい筈なんですが、みんな、余計に忙しくなってしまった。これは、また友人との会話からなんですが、結局、コンピューター処理に置き換わった仕事が、コンピューターを扱える人のところに押し寄せているだけで、実際は仕事がなくなって暇になってしまった人は沢山いるんだろうなあと。
実際、自分の父は、極端な言い方をすればコンピューターの登場によって、これまで積み上げてきた仕事上の資産を一気に失ってしまったんです。具体的にいうと、郵政研修所の図書館に勤務していて、手書きの図書カードや目録を作っていました。バーコード(デザイン自体)がを装丁の一部になってしまうのは、文化としてどうなのか?受け入れるか否かでデザイン界では論争が巻き起こっていたことも思い出されます。そんな電子化が直接の原因ではないんだろうけど、間もなく他界してしまった。
***
子供にいつスマホを与えるか?という議論があります。与えないと決めつけるのは「包丁が危ない」と言っているのと同じで「これはただの道具」なんだと、大人がきちんと説明しないといけないですね。うまく使えば美味しい料理が作れるし、下手に使えば凶器になるということなんだと思います。高齢化の進む場所(僕が暮らしているような街)では、お年寄りにいつスマホを与えるか?という議論がもっと活発になっていいと思っています。