残したい鹿児島のデザインその8
鹿児島中央駅にて。九州新幹線の部分開業に伴い、2004年3月にそれまでの西鹿児島駅から、鹿児島中央駅と名称が変わった。東京で育った私は、子供の頃、夏休みに鹿児島へ帰省するのが楽しみだった。しかも、わざわざ寝台特急に乗って。1978年頃がピークだと記憶しているが、ブルートレインをその花形として、空前の電車ブームだったのである。松本零士の「銀河鉄道999」もそれと無関係ではなかった。当時、寝台特急としては「富士」に次いで2番目に長い距離を走るブルトレ「はやぶさ」に乗り、東京から西鹿児島まで22時間の旅を楽しんだ。何しろ子供なので、夜になり客席がベッドに変わっても、眠ることなく夜景を見続けた。「999」の鉄郎の気分を味わいながら、朝、関門トンネルを抜けて九州に入る。古い木造家屋に取り付けられたホーローの看板(カクイわた、などと書いてある)が目立ち初め、緑の色も随分と深まってくる。一生、この列車に乗っていてもいい、そんな気分だった。小学生の時、弟と2人でこの長旅にチャレンジした年は、西鹿児島駅で親戚一同が出迎えてくれた。そんな訳で、今も昔も、鹿児島中央駅は自分にとって、旅の終着駅なのです。・・・鹿児島の有名企業の社長にこの話をしたところ、「鹿児島県民にとって、鹿児島中央駅は始発駅に過ぎない」とおっしゃっていた・・・まあ、その通りですね。ただ、冷静に日本地図上で観ると、明らかに終着地点です。
今回、残したい鹿児島のデザインに選んだのは、昔の面影を伝えるベンチです。随分と様変わりしてしまった駅ですが、このベンチは古そう。もしかすると、小学生の時もこのベンチだったかも・・。鹿児島を代表するお菓子「ボンタンアメ」の手書き文字がいいし、「九州路」というフレーズが、郷愁を誘っていますね。
よっちん
2005/03/14 18:27
マティック
2005/03/19 10:10