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date 2005.2.9
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シンコム3号

DSC00009.jpg


シンコム3号・・・。人工衛星、というだけで胸が躍ります。何故パンのパッケージに?「復刻版」というからには昔、人気があったんでしょうね。この写真を撮った時期には見かけましたが、最近は目にしません。それにしても、このパンが星という設定で、シンコム3号が周回しているイメージなんでしょうか・・・?是非とも、そのあたりをもっと徹底してデザインして欲しいです。復刻版と言わず、レギュラー商品に!

Comments: 25 comments

  1. まさかOhtematicさんでシンコム3号に会えるとは・・・。
    昭和3X年生まれの私にとってはまさしくおやつの殿堂、ヒット商品でした。定番の食し方は冷蔵庫で冷やして中のクリームが固まった状態を頂くというものでした。
    確か3号のヒットに気を良くしたのか?シンコム4or5号なる黒あん?の物も商品化されたような気がします。でもやはりオリジナル3号が一番でした。
    今でも何かの拍子に思い出してしまっていたシンコム3号(微かな記憶)の鮮やかな姿を見ることが出来、とてもうれしくなりコメントしました。
    追伸:何時も陰ながら拝見しております。その内、突然お宅訪問をさせて頂きたいものだと思っております(よろしければ・・・)。
  2. アクセス、有り難うございます。確かに常温ではスポンジ部分がもろくて、ぽろぽろと崩れてしまいました。冷蔵庫で冷やすのが通の食し方だったんですね。4号、5号も存在していたなんて、嬉しい話ですね。いつの日か、また店頭に並ぶかも知れません、楽しみに待っています。
    最近は家を空けることが多いのですが、事前に連絡を頂ければ助かります。
  3. ほうしん

    約1年後の2006年2月4日にこのシンコム3号に遭遇しました。
    些細な話を書き込みたかっただけなのですが・・
    それは、現在城山観光ホテルの場所にあった(はず?)の「城山遊園地」には、
    このシンコム3号のオプションプレゼントとして
    「当時の絶叫マシン(別の意味で絶叫した)・スーパー滑り台(本当の名前は忘れた)」があって、
    パンについてる点数券で乗れた、という記憶があるのですが、
    誰かその記憶をお持ちの方は居られないないでしょうか?
    よろしければご教示下さい。
  4. ほうしんさん→
    アクセス、有り難うございます。パンについていた券と、遊園地〜滑り台の話は、友人から聞いたことがあります。
    これはもうイケダパンに問い合わせるしかないですね。
  5. 突然失礼します。シンコム3号の姿に再び相まみえることができるとは…。
    現在の城山観光ホテル新館側(草牟田側)の位置にあった
    「城山遊園地」の絶叫マシンは、「東洋一の滑り台」でした。(笑)
    シンコム3号やジェットパンの袋に切り取り式の券が付いていて、それが2枚で1回滑れました。
    滑るとき、尻に敷くむしろのようなものを貸してくれました。それがないと、とても滑りが悪かった。
    残念ながら、まさに別の意味の絶叫です。
    東洋一といっても、40~50メートル程度だったんじゃないかな? 
    山の傾斜に沿って多少うねりが作ってあるけど、ホントにただの滑り台。
    両サイドは青いペンキが塗られ、滑るところは赤色。イケダパンとのタイアップだったんでしょうね。
    昭和40年前後の記憶です。
  6. hyakkさん→
    貴重な情報、有り難うございます。城山遊園地・・・僕は行ったことはないのですが、皆さんの記憶を重ね合わせると、相当楽しい場所だったんでしょうね。無くなってしまったことが惜しまれます。
    滑り台以外にも楽しいアトラクションがあったのでしょうね、ジャングルパークも無くなってしまいましたので、城山には復活してもらいたいものです。
  7. HASY

    はじめまして、HASYです。シンコム3号の記事が載っていて楽しく思いました。
    わたしは、昭和3?年生まれで、シンコム3号は、小学校のころ、私の楽しみにしていた、おやつのひとつです。当時たしか30円でしたでしょうか、10円のチロルチョコかシンコム3号をおやつにしていました。現在福島に住んでいますが、先日(2006年4月)鹿児島に住む弟から、とある売店でシンコム3号発見といって、2個送ってきました。ときどき入荷するそうです。久々に食べたけどこんなあじだったかな?と記憶を探っています。
    ちなみに、メールアドレスはsyncom3gou@y*****なんですね。では!!
  8. HASYさん→
    遠くからの書き込み、有り難うございます。シンコム3号、昭和30年代生まれの方はジャストミートで想い出がある商品の様ですね。今になっても、わざわざ弟さんから送られてくるなんて・・。池田パンは、この他にも魅惑的な商品を沢山作っていたのでしょうか。何か情報があったら教えて下さいね。
  9. かみちゃま

    シンコム3号( ..)φメモメモ  懐かしさにビックリしました。  私は35年生まれの46才。まさにど真ん中。
    5才くらいに3号デヴューしました。  その当時、子供ながらに、こんな美味いものがあるんだ、と毎日のように買って食べた思い出があります。 それに対等して、ロバぱん、なるものにもハマった記憶があり、今で言うと蒸しパンにチョコクリームが入ってて、パンそのものにも着色されていたり、クリームも何種類かヴァージョンがあったと思います。 ちなみに当時は家の前の道路はまだ舗装されていない土の道で、本物のロバが屋台みたいなものを牽いて売りに来ていました。 その当時の名残か未だにクリームの入った菓子パンが大好きです。
    現在、私は埼玉に住んでいます。あるとき知人に小さい頃のシンコム3号の話をしたら、誰もその存在を知らないのです。
    あれは記憶違いだったのか?  
    しかし今回、この記事を見たときには、一気に子供の頃へタイムスリップすることができました。大変感動しているところです。 そして謎も解けました。 私は鹿児島県出身なんです。
  10. かみちゃま

    シンコム3号( ..)φメモメモ  懐かしさにビックリしました。  私は35年生まれの46才。まさにど真ん中。
    5才くらいに3号デヴューしました。  その当時、子供ながらに、こんな美味いものがあるんだ、と毎日のように買って食べた思い出があります。 それに対等して、ロバぱん、なるものにもハマった記憶があり、今で言うと蒸しパンにチョコクリームが入ってて、パンそのものにも着色されていたり、クリームも何種類かヴァージョンがあったと思います。 ちなみに当時は家の前の道路はまだ舗装されていない土の道で、本物のロバが屋台みたいなものを牽いて売りに来ていました。 その当時の名残か未だにクリームの入った菓子パンが大好きです。
    現在、私は埼玉に住んでいます。あるとき知人に小さい頃のシンコム3号の話をしたら、誰もその存在を知らないのです。
    あれは記憶違いだったのか?  
    しかし今回、この記事を見たときには、一気に子供の頃へタイムスリップすることができました。大変感動しているところです。 そして謎も解けました。 私は鹿児島県出身なんです。
  11. かみちゃまさん→
    妻の実家が埼玉なので、年に2-3回は訪れるのですが、さすがに「シンコム3号」は売っていない様です。
    イケダパンが全国区になれば可能なのでしょうけど。ネーミングがイイので、関東でも絶対にウケると思います。
    それにしても、パンを巡って何気なく検索〜タイムスリップというのは良いお話ですね。昔の鹿児島情報、何かあったらまた教えてください。
  12. はじめまして♪
    この記事みて懐かしく嬉しくなってしまいました。
    自分も昭和30年代生まれ。シンコム3号・ジェットパンなどで育った世代です。
    そうそうシンコム5号もありましたね~♪
    あまり品数が出てなかったと思うんで、買った時ちょっと得意げだった気がします。
    それと、城山遊園地の長い滑り台の券もありましたね~♪
    折角集めても、遊園地自体になかなか連れて行ってもらえず
    結局使わず捨ててしまったような・・・
    今ではいい思い出です。ありがとうございます♪
  13. じょにーさん→
    コメント、有難うございます。やはり相当深い想い出があるんですねえ〜。シンコム5号、見てみたいです。
    それにしてもパンの袋に、滑り台の搭乗券?が印刷されているというのは、素敵ですね。現代版で、もっとヴァージョンアップした様な企画が、池田パンさんから出てくることを期待しています。
  14. たまたま、ファミマーにてふんわりサンドなるものを食べていましたところ、過去にこれににたものを食べていたなー。と・・ふと考えていたら、シンコム3号という名前が頭に浮かびました。あー、と思い、完全にぼやっとした記憶の中にこの名前が浮かんでみつけました。私も出身は鹿児島。昭和36年生まれ。ドンピシャ・・です。イケダパンも懐かしい。今、福岡にいますが、なかなか、お目にかかれないことでした。あと、パンで思い出すのが、チョコでなく、羊羹がうすくのったパンがありました。また、知っている人は教えてください。
  15. fu0402さん→
    コメント、有り難うございます。
    シンコム3号は、この後、随分と見かけるようになりました。どのような周期で出荷されているのか解りませんが・・・。
    薄い羊羹が載っているのは、おそらく「ラビットパン」ですね。この商品も、イケダから復刻版が出ているのを目にします。他社からも出ていますね。鹿児島にお越しの際には、スーパーのパンコーナー巡りをされてみては如何でしょうか。
  16. かずまる

    今「秘密のケンミンショウ」って番組をやっていて
    その中で「シンコム3号」がでてきて懐かしく
    グーグルで検索したところ、ここがまっさきに
    ヒットしました。
    31年生まれの私の場合これが発売されたのは小学校の
    時だったかな。
    初めて食べた時は「こんな美味しいものがあったんだ」って
    衝撃でしたし、他の方のコメントにでてくる城山の
    長~~いスベリ台も2回くらいすべったかな。
    おしりが摩擦熱で熱くなってしまうので厚めの茣蓙みたいな
    敷物を敷いてすべったように思えます。
    いや~~ぁ、本当に懐かしいなぁ。
  17. かずまるさん→
    コメント、有り難うございます。
    かずまるさんはまだ鹿児島にお住まいでしょうか。
    最近では、スーパーなどで良く見かけるようになりました。お徳用パックなどもあります、ただしこの場合、パッケージが違ってしまうのですが。
    城山のすべり台・・・いろんな所でウワサには聞きますが、乗ってみたかったですね。ジャングルパークもなくなってしまった現在、今復活すれば意味のあるものになると思っています。
  18. かずまる

    いやいや、35年ほど前に上京しまして今は埼玉に住んでいます。
    鹿児島に帰るのは法事とかがあった時ぐらいで、それだけに余計にあの頃ののことが懐かしく思い出されます。
    同じような世代の鹿児島出身と思われる方々のコメントも懐かしく読ませていただきました。
    ありがとうございます。
  19. かずまるさん→
    そうでしたか。僕の場合は父の代で上京し、そのまま東京で育ちましたが、祖父が暮らしていた吹上町に世代を超えてUターンしました。
    鹿児島、味わい深い場所です。人口流出や高齢社会の問題を抱えていますが、これから農業への関心などをきっかけに挽回する時代が来ると思っております。観光でも是非帰ってきてください〜!かずまるさん世代の方の移住、定住もそこそこある様です。うちの近所にも埼玉で暮らしていたご夫婦が最近喫茶店を開いて話題になっています。
  20. かずまる

    吹上町ですか。
    私は指宿なんですが、そこでは今でも母と弟が
    小さな印刷所を営んでいます。
    最近は市町村合併で昔とずいぶん変わってしまい
    国分のあたりが霧島市になっていたりで地名がよく
    わかんなくなってます。
    吹上の当たりはそのままなんですか。
  21. かずまるさん→
    指宿で小さな印刷所、ですか。いいですねえ〜!聞いただけで、何か物語が出来そうな感じがします。
    吹上は、伊集院町が中心となり、吹上町、東市来町、日吉町が合併して「日置市」となりました。面積的にはかなり広いです。加世田市のあたりは南さつま市に、また知覧町のあたりは南九州市となって、区別がつきにくくなりました。道路標識も一斉に変わってしまったので、地元の人でも解りづらくなっています。
  22. かずまる

    父を産んですぐに連れ合いを亡くした祖母が
    女手ひとつで始めた印刷所で南薩地方では
    一番古いとか。
    初めのうちは活字が足りないと祖母が鹿児島まで
    馬車を走らせて入手していたとかなど逸話も多く、
    私が小学生の頃女傑として南日本新聞の囲み記事に
    なったこともありました。
    指宿にはうちで働いていた方が独立した印刷所も
    数軒ありましたが、プリンターやパソコンが発達した
    今では出版社や新聞社などと関係ある大手は別として
    町の印刷所にはほとんど仕事がなくなりほとんどの
    ところが廃業してしまいました。
    母からは赤字が続いているけど、二人残った従業員が
    やめるまでは貯金を切り崩しながら続けていこうと
    思ってるって聞かされます。
    湿っぽい話になってすみませんでした。
    話は変わりますが日置市はまだ元の日置郡の町村が
    合併しての名前だからいいにしても南九州市ってのは
    なんだかいただけませんねぇ。
  23. かずまるさん→
    やはり、映画のような話ですね。当時の記事を見てみたいです。
    東京では、逆に活版印刷を「ウリ」にしている印刷所も出てきている様ですね。パソコンを介した印刷よりも当然、温もりが違うわけで・・・。手間はかかるのでしょうが、それを求めている人も増えていると思います。
    「パピエラボ」で検索してみてください。
    お母様が営まれている印刷所も、活版時代の作品が残っていれば立派な展覧会が出来そうですよね。
  24. かずまる

    「パピエラボ」、原宿なんですね。
    いろんな需要のある都会ならではで
    活版の持つアナログ感が逆にお洒落と
    感じる方などもいらっしゃるんでしょうねぇ。
    田舎ではとてもとても。
    うちでもかなり前からメインは活版から
    オフセットに切り替わってますが、まだ
    活字がいっぱい残ってるとこみると、
    活版の需要も少しはあるのかな。
  25. かずまるさん→
    鹿児島、現在は決して田舎ではないと思います。むしろ、東京よりも進んでいる点が多いのではないでしょうか。パピエラボをプロデュースしている方は、加世田のご出身で、鹿児島のDWELLというお店と原宿を行き来しています。先日もjuddが主催する、Ash Design and Craft Fair という催しが開かれたばかり・・・デザインに対する意識も高まってきています。何か、繋がりが出来るといいですね。
    http://www.dwell-playmountain.com/
    http://www.judd.jp/