選択されるということ
「選択されない」という恐怖を実感しながら暮らしている。その緊張感が作品を生み出す原動力となっている。仕事にたずさわっている人の多くはそうであろう。しかし稀に、選ぶ→選ばれるの関係から逸脱した位置で仕事が成立してしまう人たちもいる。こうした関係の中で仕事をしている場合は、川の流れが止まり、淀んで、当然、両者とも腐っていく。本人達は解っていないかも知れないが、周りから見れば彼らの目は死んでいるので、すぐに解る。政治家や公務員、会社の不祥事は、ほとんどこのメカニズムの中で生じている。喫茶店は、一店舗では成り立たないという。同じ商店街に数店舗あって、それぞれが刺激し合い、コーヒーを飲む側に選択肢を与える事が大切だと。そういう意味でも、同業者が増えて欲しいと、いつも願っている。
はな
2006/07/28 10:03
死んだ目の人の息を吸ってしまうと、こっちまで目が死んできます。キケンキケン、近づかないのが一番です。そんな人が「あいつらいっつものんきに遊んでていいよな…いつまでもそんなことじゃ食っていけないぜ!」って言われるようなケッコウなご身分になれるよう、楽しんで参りましょう!
そんな人たちはぜ〜〜ったいバチがあたります。人間としてやっぱしダメなことはダメですって。そんな同業者の一人でございます。おー!
マティック
2006/07/29 02:37
い・いや・別に何もないんですけどね。一般的に見て、将来が安泰な人にそういう傾向が見られますよね。ニュースなどで、会社の人が頭を下げている姿を良くみかけますが、もう、全然理解できないんです。1人1人がきちんと独立した、大人の社会を目指したいものですね。話が難しくなってしまったかな?