連載小説・昭和の高校生 第十六回
牧夫は目を閉じて、スピーカーに耳を傾ける。無の状態からスッと、何かにフォーカスが当たる。ダイヤモンド針とレコード盤の摩擦。スクラッチノイズがふんわりと大きくなっていく。録音レベルを調整する薫子の指先が手に取るように解った。(薫子の指が見える・・・。普段はフルートに手を添えているが、今日は僕のためにそっとツマミを回している。親指の付け根にホクロが見えた。ホクロなんてあったか、いや、あった、あったあった!)牧夫の考えは、どんどん肥大化していく。(いや、厳密に言えばホクロではなく、鉛筆の芯で怪我をしたのだ・・・お兄さんと喧嘩をしたんだ、多分。薫子に兄はいただろうか、いや、いた、いた、いた!)そんな事を直接聞いた覚えはこれっぽっちもないが、頭の中で勝手に物語が組み立てられていく。これも湖での感覚の延長なのだろうか、牧夫の想像力は更に膨らみ始めた。(僕はその鉛筆の粉になろう、粉だ!)そう思っていると聴き間違いかと思えるピアノの音に続いて、実体としてのピアノの音が空間を切り裂いた。「鉛筆の粉」と化した牧夫は、その音の粒子に必死にしがみつく。続いてジョニ・ミッチェルの肉声が割って入るかの様に「登場」した。これまで、薫子に感想を述べることが出来なかった牧夫だったが、アルバムが始まって間もなく、その事を後悔した。(ああ・・・)歌声は自身に満ちた確実なものだった、しかしどこかもの悲しく、重力の弱い場所でスキップを踏むかの様な揺らぎがあった。奥の方にギタリストが佇んでいる。こちらは、真っ白な状態から音が徐々に立ち上がっては消える。これはギターなのだろうか。沖からの風を利用してホバリングしている海鳥の様だ。牧夫は打ちのめされていた。世界に浸っている。(マスターが言っていた「旅」とはこういうものなのだろうか。)店内に響く音量は、かなりの大きさの筈だ、だが決してうるさくはない。カセットにこんなエネルギーが収められていた事自体にも驚いた。20分も経たないうちにA面が終わり、スクラッチノイズが徐々に弱まっていく。薫子の録音にはぬかりがない。牧夫はしばらく、余韻をかみしめていた。「シーーー」というテープのヒスノイズが流れていたが、それはまるで巨大なシルクの布の様に感じられた。
よしみーん
2006/11/30 11:15
よしみーんはつぶやき、HPを後にした。ある初冬の朝だった。
マティック
2006/11/30 23:05
ここでは「Court and Spark」を聴いているという設定です。
第十四回、マスターの台詞で出てきています!
この写真がブルーですからね。このイメージはマッキントッシュのアンプなんです。